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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第一章 八柱の姫君
12/202

禊祓2

龍文書―11


【神憑】:神使がその身を神に捧げる行為。執行者の御霊はそのまま黄泉の国へと落ちる。


 しかし、あれだけの水が落ちてきたにも関わらず、床には水が溜まるどころか、水滴一つさえ残っていない。一体あれは何だったのだ?


 降水が止み、私は気管に入った水を吐こうと、全身の筋肉が縮こまるほど激しく咳き込む。それにしても冗談ではない。年齢は三十でも、体はまだ五、六歳児と同等なんだぞ。

 ――――完全に殺しに来てる。


「お疲れサマー」 


 心臓も一緒に出てしまいそうなくらい、大量の水を吐く私の背中をさすりながら、彼女は陽気な口調で労いの言葉をかける。


「ちなみに、今の“サマー”は"さま”と掛けてるんだよ。ほら私“太陽の神"だから」

 何言ってんだこいつ。人が死にそうだって時に。

「でもこれで、()()()みそぎは終了だよ」

 

 今なんと言った。三十歳の禊と言ったのか? もしかしてこれで終わりじゃないの?


 そんな私の疑問に答えるかのように、太陽の神はまさしく、さんさんと太陽のような陽気なテンションでこう言う。


「残るは七十歳の禊だけじゃ。多分その禊祓みそぎはらえは余じゃないけど、まあ頑張ってね」

 ――――むしろお前じゃない方がいい気がする。

「さて、それじゃあ、次はちぎりの話だけど……」


 そうだ。まだ課題は残っていたんだった。確か、力を貸してくれる神様と契約を交わすんだっけ?


「喜べ。お主の神通力。余が力を貸してやる」


 正直、この神様とは今日で関係を終わらせたいが、ここで断ったらもっと面倒な繋がりが出来そうだ。


「……あざっす」

 咳に紛れて、私はお礼の言葉を砕いた。

「それじゃあ、“余の血”と“お主の血”を今から交わすぞ」


 そう言って私の対面にちょこんと正座をすると、絵に描いた様な白くて細い人差し指を私に向けた。


「……でも、どうやるんですか?」


 何故だかすごく嫌な予感がする。果たして血と血の交換とは大丈夫なものなのだろうか。衛生的にも、絵面的にも。


「――――まず、相手の指の先を少し切る。次に、指を咥えてその血を飲むのだ」


 おっと、ちょっとヤバそうだな。…………でもまあ、人間の身体とは構造が違うっぽいし、大丈夫なのかな?


「わかりました」


 ようやく咳も落ち着いて来た私は、袴に染みこんでいる水を雑巾の様に絞り出しながら頷く。

 そして、“床は濡れていないのに、なぜ袴は濡れたままなのか"と、禊祓のシステムを呪った。


「うむ、では余の小刀を貸してやる。故にまずはお主が切れ」


 正直、指の一本くらいは切り落としてやりたいところだが、生憎、それを実行するほどの度胸を、私は持ち合わせていない。

 そうして彼女の手から私の小さい手へと、白銀に輝く小刀が渡る。

 私は今から神様の指を切るのだが、まあこの神様の指なら問題なく切れるだろう。


「――――痛っ」

 

 しかし痛みに耐えるその儚げな表情に、不覚にも私の顔は火照ってしまう。というか、神様にも痛覚はあるのだな。それともこの刀が特殊なのか。


「では、次は余の番だな」


 そう言って彼女は逆の手で小刀を握ると、台の上に置かれた白い布を手に取り、刃を伝う真っ赤な血を拭う。

 ……しかし綺麗な手だ。女性らしい細い指に滑らかな関節。それなのに刀の柄を握る姿は様になっている。


 と、私が彼女の手に見惚れていると、その手は私の指に軽く傷をつけた。

 そして指先からの出血を確認すると、彼女はもう一度血を拭き取り、その刀身を胸の前でゆっくりと鞘に納めて台に戻す。


「それじゃあ今度は、相手の指を咥えます」


 血の滴る指が私に向けられる。体に残る龍の本能なのかは分からないが、その真っ赤な貴い血を見ると、体がうずいて仕様がない。


「ふふ。その糸のように細い瞳孔と、血を見ると赤く輝く瞳。最早お主も、立派な龍人なのだな」


 ――――ついに我慢が出来ず、私は神様の指を咥えた。そして指先から溢れる血液を、この舌の隅々にまで絡ませる。

 水とは違い、粘り強く舌に巻きつくような感触。唾液に混ぜて飲み込めば、鼻の奥では鉄分が弾ける。


「こ、こら。そんなに舐めまわすものではないっ」

「す、すいません」


 上手く感情の読み取れない表情を見て、思わず指を離してしまった。しかしその際、唾液が口から伸びてしまったので、恥ずかしく思いながらもすかさず袖で拭う。


「こっ、今度は私の番だ」


 神様は頬を薄く染めながらも、ゆっくりと私の指を口に含む。しかしこの感じ、どうやら彼女は慣れていないようだ。もちろん私も慣れていないが。


 ――――そして、柔らかくて暖かい感触が指先に伝わってくる。

 彼女が血を飲み込むたびに、舌全体が指に強く吸い付いて嫌でも鳥肌が立つが。たまに猫の甘噛みのように歯が当たるのは不思議と心地がいい。


 …………そうして彼女は唾液が漏れないように、ゆっくりと私の指を口から離す。しかし本当にこれで終わったのだろうか。


「これで、お主の身体には余の血が流れることとなる。同様に、余の身体にもだ」


 艶やかな深紅色の口紅に、彼女は絵具のように赤い血を染み込ませたまま口を開く。まるで告白でもするかのように頬を赤らめながら。


「もういいんですか?」


 何か気まずい。さっきから神様と目が合わなくて余計に気まずい。先ほどの滝行が気まずさの余り、手を振って走り去っていく勢いだ。


「うむ。後はしっかりと祝詞のりとを読んでくれれば、それが”繋がり”となり、余はお主に力を貸すことが出来るだろう」


 少しぎこちないドヤ顔だが、不覚にも少し可愛く見えてしまった。


「それじゃ、余も最高神ゆえ、こう見えても忙しいのでな。ここいらで失礼させてもらう」


 ――先程は「今日で関係を終わらせたい」と思っていたが前言撤回だ。恐らく、彼女とはしばらく会えなくなるだろう。そう思うと少し寂しい。


「わかりました。本日は誠に、ありがとうございました」


 九十度に腰を曲げてお辞儀をする。その最中、川のせせらぎを聞いているかのように心が安らぎ、やはりこの方も神様なのだなと強く実感する。


「うむ。お主も神使の責務、しっかりと務めるのだぞ」


 そう言って、天陽アマハル大神様は再び、眩い光と共に閃光のように消え去る。

 それと同時に、堅く閉ざされていた出口も、ゆっくりと口を開け始めた。



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