少女は尾羽里に浪漫を覚える
「ところで姫様は、獣神や神を殺したことがおありで?」
尾羽里へと続く街道。平地なので坂道が少なく、道も整備されており身体的な負担は少ないが、逆に人や牛車の往来が多いので、素性を隠す彼女らにとっては不都合な道でもあった。
そんな美しいイチョウの並木道を歩く中で、シンがソウに問うた。
「国つ神なら一柱」
「ヤヅノ蛇神ですね。それ以外に、獣神の形をした者を殺めたことは?」
「…………ない」
「やはり」
呆れたようなため息を吐くシン。これにはソウも立ち止まってしまう。
「何が言いたいの?」
「単刀直入に申し上げます。この任務に、姫は向いておりませぬ」
「いま言うこと?」
「はい。大神が何をお考えになっているのか理解は及びませぬが、もっと適した者がいたと私は考えています」
何故今になってそんな話をするのか。それがソウの苛立ちを増させ、次に放つ言葉にその感情が乗ってしまう。
「だから?」
「…………いえ。それだけです」
たった一言でシンを殺すかのような重い声音。その迫力に押し負け、咄嗟にシンも黙り込んでしまうが、彼女はまだ何か言いたげな様子だった。
しかしそんなシンを放っておいたまま、ソウはここで会話を終わらせ再び歩みだす。
二人きりの仕事だと言うのに、彼女とシンの溝は深まるばかり。――しかしこの苛立ちが、ソウの中で滾る復讐心を、より強固な物へと昇華させたのだった。
「――――着きました。ここが尾羽里です」
「おぉ」
飛儺火の国で一番の大きさを誇る尾羽里の街。西ノ宮とは違い、景観の一切を考える事無く無雑作に建てられた建築物。
「ちょいとお兄さん、少しお茶でも飲んでい行かないかい?」
「さあさあ安いよ安いよ! 買った買った」
「おい聞いたかっ、ハバキ様がこの街に来てるそうだ」
「マジかッ、ちょいと見に行こうぜ!」
「お、歩き巫女かい、殊勝なこったねえ」
などと祭りのような賑やかさを見せる人々。そして通りに並ぶ店先には、大きな看板や垂れ幕が下がっており、歩く獣神の数も、店や民家を含む建物の数も、全てが西ノ宮の倍以上の規模を誇っている。
「広いなぁ」
その景色にはソウも目を見張る。まるで映画のセットのような、ドラマの街並みのようなその景色は、現代人のソウにとっては堪らなくロマンのあるものに見えたのだ。
「私も以前に情報収集の為に忍びましたが、あまりの大きさに苦労したものです」
「そうなんだ。シンも頑張ってるんだね」
「は。ありがたきお言葉」
どことなくユキメと雰囲気が似ているシン。しかしいくらソウが褒めても、そのぶっきらぼうな表情は微塵も崩れない。
「さて、それじゃあどうやって将を探しましょうか…………」
「先ずは酒場や宿屋を当たってみるのは?」
人込みの中を歩くつぼ装束の巫女。二人ともそこまで身長が高くないため、ソウは愚かシンまでも人の海を泳ぐことが出来ず、ただ流されるように歩いている。
「定石ですね。ただ、それは初心者の考え、大人はもっと御湯町などの遊び場へ行くものです」
「了解。じゃあそっちの方へ行ってみよ」
その口ぶりにはソウも少しムッとするが、それでもシンのほうが経験豊富なので、彼女も一歩譲ってシンに任せることにした。
「はい。遊女屋は以前に行った事があるので、案内は出来ます」
「へぇ。仕事で?」
「当たり前です。とはいっても、探りに入っただけですよ?」
「ふーん。まあその身体じゃ人気は出ないかもね」
「私の身体に、何かご不満でも?」
お世辞にも色気を感じるとは言えない体つき。彼女の見た目は十七ほどだが、残念ながらその華奢な身体は中学生のようにも見える。
「ううん、好きな人はいると思うよ」
「何か勘違いをされておられる様ですが、私は客として入っただけですので悪しからず」
それはソウも重々承知していたが、苛立ちを覚えるシンへの密かな仕返しという事で、彼女は少しからかってみせた。
「それより、陽も暮れそうだし先ずは宿をとろうよ」
王狐の農村を出てから三時間ほど。秋の日の入りは早く、気付けば太陽は西の方へと傾いていた。
「そうですね。この話はまた後でしましょう」
「もうしないよ」
妙な所にこだわるシンに対し、ソウの心も少しだけ穏やかなものになる。
そうして二人は旅籠屋を探して練り歩く。しかしここは東部の大都市、どこまでも続く建物群に、二柱は道に迷うかとも思われたが。
「あれ、もしかして迷ってない?」
「いえ。確かこっちに宿屋街があったはずですが」
シンが何の迷いも見せず歩くので、てっきりソウは道を分かっているものだと思っていた。しかしどれだけ歩いても一向に宿屋が見えないので、彼女はそこはかとなく不安を抱いていた。だがその心配は無用。
「ほら、見えてきましたよ」
「おぉ。ほんとだ」
「こう見えても地理には明るいので」
シンは被衣の中でドヤっているのだろうが、残念ながらその顔は窺えない。ただ布を被ったてるてる坊主のような物体が、いそいそと動いているだけである。
そうして二柱は瓦屋根の立派な宿屋ののれんをくぐる。
「――――頼もう、大人一人と子供一人で」
土間から一段上がった座敷に正座する宿屋の主人は、古びた老眼鏡をつけて台帳を捲っている。
そんな中年くらいの男にシンは一言そう言うが…………。
「大人一人って、嬢ちゃんも子供やないけ」
依然として台帳に顔を向けたまま、目線だけをシンに向ける店主。
「いえ、私はもう一五〇なので」
天津神ゆえに、シンは生まれて五〇〇年以上は経っているが、しかし今回はそのことを明かせないので、彼女は成人を超えた年齢である一五〇と言う数字を出した。
「本当かい?」
「うむ。して、一泊はこれで足りるか?」
シンが差し出した銀色の硬貨。この世界の通貨である楽は、金、銀、銅の順で資産価値が上がる。
そんな大金をか弱そうな少女が持っているので、これには主人も目の色を変えた。
「悪いが、うちは一泊2万楽だよ。あと三枚は足りないねえ」
「ならばこれで」
懐から取り出した布袋。今度はしっかりとその目線をシンに向ける店主に、シンがチャリチャリと音を立てながら残りの銀貨三枚を手渡すと。
「おっほっほ。毎度、それじゃあ案内するからついてきな」
「うむ」
「おーい婆さんや、客人を案内するから、店番頼まぁ」
「はぁいよぉ」
寒さに震えているかのような老婆の声。店主はその声だけを確認すると、二柱を二階へと案内する。
彼女らが入ったのは少し年季の入った宿で、無駄に蹴上げが高い階段を踏めば、軋む堅材の乾いた音が心地よく響く。
「それじゃあ、ここがお部屋になりやす」
「かたじけない」
店の主人は案内を終えると、再びのそのそと階段を下りて行く。その去り際、彼は二人の怪しい恰好に奇怪な目を向けたが、ソウは特に気にも留めなかった。
「姫、しばしお待ちを」
そう言ってシンは部屋に入ると、まるで探し物をするかのように隅々をチェックする。壁に耳あり障子に目ありという訳でも無いが、彼女は覗き穴やそれに類する呪符を警戒している様だ。
「問題ありませぬ。どうぞご入室を」
「有難う」
一通りの確認を終えると、彼女は片膝を着いてソウを招き入れる。
「へえ、結構いい部屋」
二〇畳ほどの広い和室。畳の匂いが心地よく、使い古された机には茶菓子が置かれ、障子戸を開けば通りが見渡せる。それはもはや宿と言うより旅館のような部屋だった。
「ところでさ、私達ぼったくられてると思うんだけど」
先ほどのシンと店主とのやり取りを無言で眺めていたソウは、確実に騙されていることを悟っていた。
「いえ、如何様なことありませぬ」
「いーや。絶対ボラれてる!」
「そんなことありません」
ようやく一息つけるといった所でも喧嘩を始めてしまう二柱。適正価格がどれだけなのかは店主のみぞ知るのだが、明らかに二万楽は高すぎるとソウは踏んだ様子。
「ていうか明らかに見せびらかしてたよね?」
「それはまあ、鼠を捕るための罠ですよ」
「ねずみ?」
訳の分からないことを言い放つシン。そんな彼女の言葉を聞き、きっと何か考えがあるのだろうとも思ったソウだが、しかし教えてくれてもいいのではと口を尖らせた。
「とりあえず、計画通り御湯町へ参りましょう」
そんなソウに構わず、シンは話題を本題へと移す。
「それはいいけど、どうやって将を探すの?」
「龍狩りは尾羽里を統治している国つ神の私兵部隊。その将ともなれば、御湯町でもかなりの待遇を受けているはずです」
「なるほど。一番盛り上がっている所を見つければいいのか」
「ええ。ある程度の目星もついております」
そして陽は傾き、燃えるような夕明かりが尾羽里の屋根屋根を照らす中、さっそく二人は被衣を羽織って宿屋を出る。
――――その雑に整備された大通り。夕刻だと言うのに人通りは多く、綺麗なロウソクの明かりが漏れる料理茶屋や屋台店からは、絶えず笑い声が芸子の歌が零れてくる。
「姫はまだ七十の身、こういった雰囲気は初めてなのでは?」
小川を挟むような二本の大通り。垂れた枝が美しい柳が川沿いに連なり、その反対側には長屋が雑に賑わっている。そんな心躍る雰囲気に包まれながら、シンはソウに質問をした。
「うん。まだこういうのに憧れる気持ちも無いけどね」
「左様ですか。ですがいずれは、自分を信仰する民のため、こういった場を設けねばなりませぬ」
「祭りってやつ?」
「ええ。お祭りは楽しいので、姫もきっと気に入られるかと」
相変わらず台本を読んでいるかのような棒読み。普段は誰に対しても愛想が無いが、しかし彼女は無類の祭り好き。この空気にはどこか表情も和らいでいた。
「そういえば、スズランも神使と契約しているの?」
「はい。比較的身軽な種族とだけですが」
「ふーん。やっぱり隠密っぽい神通力なの?」
「ええ。私が使う事を赦しているのは、千里眼だけですけど」
「千里眼?」
「他人の視界を覗き見ることが出来るのです」
「へえ、面白そう。ちょっとやってみてよ」
「嫌です」
少し仲良くなれそうな空気感だったのだが、彼女の水のように冷たい言葉を浴び、ソウは小さく舌打ち。そこから会話が無くなってしまったのは、もはや言うまでもないだろう。




