少女は稲荷ずしが大好き
「巫…………さま?」
震えるナズナの声。
だが小さい方の巫女はそれに構わず静かに龍狩りを追ってゆくが、案の定男たちもその存在に気付く。
「なんだお前」
「歩き巫女か?」
龍狩りの声。しかし巫女は歩みを止めず、それどころか歩速を上げて男たちとの距離を詰める。
対する男たちは、自分たちに比べれば大して背丈も無い女に、無意識のうちに警戒心を解きつつあった。
「おいおい、顔なんか隠してねぇで、ちょいと拝ませてくれよ」
「ばか、ありゃどっからどう見てもガキだろ」
「ああ? 俺はガキでも全然いけるぜ」
「本気かよ。俺は無理だ――――」
などと、彼らは互いの顔を見合わせて談笑するが。――ふと気が付くと、一人の顔面が巫女の飛びヒザ蹴りによって音を立てて粉砕。
「なぁッ!」
「ッな、なんだお前ッ!」
あまりに一瞬の出来事にたじろぐが、しかし男は条件反射のように腰の得物に手を添える。
だが巫女はその手を抑え、男の口元と同じようにがら空きの胴に正拳突きを撃ち放った。
「ぐぉッ!」
鈍い音と共に吐き出る唾液。その情けない声と共に、屈強な二人の龍狩りは小さな巫女にノックアウトされる。
「ケガは?」
「え」
ふと気が付けば男が倒れており唖然とする母狐。その声に視線を下げると、目の前には一人の小さなつぼ装束。
「あっ、いえ、私は大丈夫です! 有難うございますっ」
「ならよかった」
「――姫、お怪我はありませぬか?」
もう一人の巫女が現れる。彼女も母狐に比べれば小さめだが、しかし小さい巫女に対して膝を着く。布に覆われ表情は見えないが、その声色は少女を敬っているようにも聞こえる。
「大丈夫。それより先を急ごう」
「…………は」
今の今までの一件を、蟻を踏みつけたかのように、まるで何事も無かったかのように立ち去ろうとする二人の巫。だがどうしてもそのお礼をしたかった母狐は、気付けば彼女らを呼び止めていた。
「あのっ。良かったら我らの家で昼餉でもいかがですか? 何かお礼をさせて下さいませ」
時刻は正午。尋常であればお腹がすく時間だが…………。
「いえ、私共は急ぎの用があるので、これにて失礼」
背の高い巫女が、その少しハスキーな柔らかい声でそれを断った。
対する少女の方は、もはや振り返る素振りすら見せず歩き続ける。しかし。
ぐるるるるるる。
と、ここでどちらかの巫女がお腹を鳴らす。
「あの、やはり食べて行かれませんか?」
気を使ったのか、母狐が苦笑いで呟く。
そうして巫女は互いの顔を見合わせた。しかしその様子はどこか物々しく、少女の方はまるで「何で腹の鳴らせてるんだ」とでも言いたげだ。
しかし背の高い方は、煙を振り払うかのようなジェスチャーでこれを否定。「お前の方だろ」とでも言っているように見える。
「あのぉ」
結局どちらも一歩すら譲らず、どんどん険悪なムードへ突入。しかしここで助け船。
「お母ちゃんッ!」
「カナデ、無事か?」
尻尾を振り回す男児と、未だ痛々しく腹を抑えている夫。だがその表情は湯に浸かっているかのように穏やかである。
「……ごめんね二人とも、心配かけたね」
「ううんっ、オラお母ちゃんが無事でよかった!」
「すまんカナデ、おいらが不甲斐ないばかりに」
「いいのよ。アナタが来てくれて私も嬉しかった」
涙も出るくらいの愛情劇。その空気は流石に壊せないと、二人の巫女は静かに睨み合う。
「お母ちゃんを助けてくれて有難う、お姉ちゃんッ!」
一点の曇りも無い綺麗な瞳。純真無垢なその笑顔と、ぴこぴこと動く可愛らしい狐耳に、巫女の二人は釘付けになる。
「と、尊い」
背の高い方はボソッと呟き。小さい方も声には出さないが、息の荒さだけでどれだけ興奮しているかが窺える。
「お二方、この度は妻を助けて頂き、誠にありがとうございます」
今度は父狐が頭を下げるが、まるでエコーがかかっているような爽やかボイス。
その二メートル以上の身長と程よく焼けた肌。あまつさえ凛々しい顔つき。母狐の男を見る目が窺い知れる。
「と、尊いッ」
――――パアン!
と、小さい巫女が頭をどつく。
その光景を目の当たりにした母狐は、なぜ小さい巫女の方が貴いのか全て分かったような気がしたが、それは胸の奥へと仕舞い込んだ。
「お姉ちゃん! よかったら家でご飯食べて行ってよ!」
「そうだ、それがいい!」
再び誘われる魅惑の昼食。しかも二人はお腹をならせてしまうと言う失態を犯し済み。もう逃げられない。
「どうしますか姫」
「…………はぁ。少しだけなら」
こうして、巫たちは名も知らぬ家族の家へと招待されることとなった。
ちなみに先ほどKOされた龍狩りたちは、巫女たちの指示の下、村人たちが肥やし臭い牛舎に縛り付けた。
「――――ささ、大した物はありませんが、どうぞお召し上がりください!」
田園から少し歩いた所にある王狐族の集落。風化した壁に、いつ飛んでも可笑しくないようなワラ葺の屋根。広大な田園を持ってはいるものの、あまり豊かではない事が窺える。
「では、遠慮なく」
「いただきます」
少しカビ臭い一軒家。しかし中は綺麗に整っており、五人がいろりを囲んでも窮屈しないだけの広さはある。
そして大皿に並んだ小麦色に輝く瑞々しい稲荷ずし。他にも小鉢がたくさん並んでいるが、占める面積は圧倒的に多い。
「お姉ちゃん達、そのまま食べるの?」
フードのように被衣を被ったまま食べようとする二人に、ナズナが嫌味の無い鋭い突っ込みを入れる。彼の両親は深い事情を察してか聞かなかったが、いかんせん子供にそれが分かるはずもなく。
「こ、これは失礼」
そう言って先ずは長身の巫女が布を払い、それを綺麗に畳んで素顔を露わにさせた。
全体的に薄い顔だが、どこか涼し気な表情には女である母狐さえも見とれてしまうほど。しかし頭には牛のような角。
「申し遅れた。手前どもは、津々浦々を歩きながら生計を立てている巫。名をスズランと申す」
スズランと名乗る麗人。しかし彼女の正体は、天陽の命にてソウの護衛に従事する女神シンだった。
彼女は神霊や気配を隠すことができる数少ない神。しかしその仕事の少なさから、普段は天陽の世話役をしている。
「右に同じく、巫女のエトと申します」
そう言って被衣は脱がず、その素顔だけを見せ自己紹介をするソウ。
高く結った艶やかな黒髪に、絹のような白い肌が美しいが、その頭には黄色い耳が生えている。
「その耳、貴女は虎珠族なので?」
「ええ」
父狐が言った通り、ソウの頭には虎珠族特有の丸っこいふさふさの耳が生えている。一応は変装の為に付けているのだが、家族の様子を見るにどうやら成功している様。
「わぁ、オラ虎珠の人初めて見た! 尻尾見たいなぁ、尻尾!」
「デリケートな部分なので勘弁を」
「で、でりけ?」
その幼い男児のきらきら眼ですら冷たくあしらうソウ。しかし尻尾など生えていないので、こうするほかなかった。
「こらナズナ。知らない女性に尻尾を見せてなんて言ってはいけません」
ここで母狐がナズナに注意をして、さらに言葉を続ける。
「申し訳ありません。なにぶん子供なので、ご容赦ください」
「いえ。ところで、あなた方は?」
ソウが稲荷ずしを飲み込んで夫婦に問うと、彼らも頭を下げて自己紹介を始める。
「これは失礼っ、おいらはトウテツと申しまさぁ。この度は妻と息子を救っていただき、誠にありがとうございました」
深々と床に手を着いて頭を下げるトウテツ。その雄々しさと礼儀正しさに、シンは思わず息を呑んだ。天陽の侍従は女神しかいないため、シンは男に弱い。
「そしてこっちが家内のカナデで、こっちの坊主が俺の息子のナズナでさぁ」
「よろしくお姉ちゃん!」
静かに頭を下げるカナデとは違い、ナズナは無邪気な笑顔を振りまく。その様子にはソウの表情も少し綻ぶ。
「よろしくね」
「ところで、先ほどの武士たちは何者であるか?」
ここでシンが話を切り出す。そしてその時から、青空のように明るかった夫婦の表情が、目に見えて分かるくらい曇り出す。
「あれは、この飛儺火を治めている飛儺の武士たちでさぁ」
「しからば、あれが噂に聞く龍狩りという事か?」
ある程度の情報は知っているシンだったが、一応確認の為に問うと、トウテツは苦虫を誤飲したかのような表情で答える。
「はい。飛儺から降りて来ては、先ほどのような無茶苦茶をしているんでぇ」
「ふむ、尾羽里のような大きな街でも、同じような事を?」
「いえ、尾羽里は龍狩りの当主様が強く気に入っておられるので、部下たちも手荒な真似はしやせん」
「なるほど。こういった辺境の村々ばかりを狙っているわけか」
「はい。本当に困ったものですよ」
すっかり飯が不味くなってしまったが、それでもソウとナズナはぱくぱくと稲荷ずしを口に運んでいる。
ところがソウは、口に含んだ食べ物を煎茶で飲み流すと、ある一つのことを夫婦に問う。
「飛儺には容姿がそっくりな双子の神がいるって聞いたんですが、それが龍狩りの当主ってやつなのですか?」
それまでは冴えない表情だったトウテツは、なぜかその話には表情が崩れる。
「ええ。野蛮な部下とは違い、大層立派な神様だと聞き及んでおりまさぁ」
双子の神を立派と言う男狐にソウは少しだけ眉をひそめるが、しかしここは堪えて笑顔を作る。
「立派な神ですか。一度お会いしてみたいものですね」
「あはは。それは叶わぬ願いでしょうなぁ」
「何か理由が?」
「ええまあ、飛儺はとても広い国ですからね。誰も当主様と結舞月様の住む屋敷を見たことが無ぇんでさ」
この結舞月と言うのが、今回ソウとシンが飛儺火に潜入した大きな目標であるのだが。しかし彼女らは、ユイゲツが自身らのターゲットであることをまだ知らない。
「ユイゲツというのは、一体どういう?」
「ああ、ユイゲツ様は当主様のお嫁さんでさ」
「お嫁さん。であれば、相当大切にされておられるのでしょうね」
「そりゃあもう。あ、よければ、飛儺火に言い伝えられているお話をしてみせましょうか?」
「そういう事なら是非」
「はい! カナデはこの話が上手いんですよ」
「……えへへ」
――――そうしてカナデによるおとぎ話を聞き終え、二人は竹から生まれた結舞月こそが、いま探すべき国つ神であり、月の神様が吾月であることを確信した。
しかしそれでも、肝心の結舞月が住まうとされる屋敷の位置が分からず、彼女らは頭を抱えた。
「…………竹から生まれたとは、また随分と幻想的な話であるな」
「ええ。絶世の美女とも言われてるんで、一回お目にかかってみたいものでい」
「こら!」
顔を染めるトウテツをカナデが割と強めに叩き、その様を見ていたナズナは眼を丸くさせている。
「ふふ、仲が良いのですね」
「いやあ、それほどでも」
そうして、和気あいあいとした時間も過ぎ去り、ある程度の情報も掴めた二人は、ここら辺で帰る旨を夫婦に伝える。
「私たちはこれで。馳走になった。」
「そうだ。もしお宿が見つからんかったら、また私たちの家に寄ってってください。二人くらいなら泊めれるもんでさ」
「じゃあ、その時はよろしくお願いします」
飛儺火特有の方言を使って話すカナデ。そんな彼女の厚意に、二人はただただ頭を下げた。
そうして狐一家の家を出た二柱は再び被衣を頭深くまで被り、ソウは杖に見立てた天叢雲斬を手に持つと、一家の見送りを背に受けながら歩き出す。
そしてそのまま二柱は尾羽里の街へ向かう物だと思われていたが、しかし彼女らは迷いもなく牛舎へと向かった。




