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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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少女はただ仇を殺したい

 ――――官学の頂点に位置する学長舎。そこから見える雲の海は、如何なる者にも美しいと感じさせる絶景だが、ソウにはただただユキメを彷彿させるような鬱陶しい物に見えた。


「失礼します」


 羽をまき散らすキジと、水面下を優雅に泳ぐコイが描かれた高級感漂う重苦しい襖。

 ソウがその襖を静かに開けると、奥には正座をする二柱の女神が見える。


「蒼陽姫、突然のお呼出しお許しください」


 そう言って頭を下げたのは、天陽の世話役でもあるシンだった。

 海を思わせるような明るい髪色に引き締まった表情。髪はあごのラインに沿うようなショートヘア。背丈は160センチ程だが、全体的に冷たい印象を持たせる凛とした女神。


「奴らの話で来たの?」


 しかしソウはお辞儀を返すわけでもなく、シンを見るやそう言い放った。


「はい。国つ神が治める飛儺火ひだかと言う国を、天陽様は平定なさるご決断を下しました」

「それで、それはいつ?」

「それらを含め、天陽様が直々に説明なさるそうなので、一度天都へ来るようにとの言伝です」

「分かった」


 吐き捨てるような言葉、ソウはくるりと振り返ると、襖をあけて部屋を出ようとする。

 だがズイエンはそんな彼女を案じてか優しい声音で引き留める。


「蒼陽」

「なんでしょうか」


 ズイエンに目を合わせるでもなく、ただじっと視線を落とすソウ。その時のズイエンには、本来美しいはずの龍眼が、まるで絹ごしに見ているように曇って見えた。


「貴女が行く必要は、あるんですか?」


 子を想うような表情。ズイエンはユキメが亡くなってからの10年間、ただずっと不安定なソウの心を心配していた。


「私が行かないと、駄目なんです」

「復讐などおよしなさい。それに飛儺火国の平定など、貴女には荷が重すぎます」

「大丈夫です。これから天都に行かないといけないので、これで失礼します」

「蒼陽…………っ」


 しかしソウは振り返ることをせず、そのまましずしずと学長舎を後にした。

 そして残されたシンとズイエンは互いの顔を見やる。日頃ぶっきらぼうなシンも、今回ばかりは眉をひそめた。


「これでは、800年前と何ら変わらないわ」

 机上から筆を落とすように、ズイエンはただ静かに呟く。

「蒼陽姫が、さるお方と同じ道を歩まれるとお思いですか?」

「…………ええ」


 小一時間換気をしていない冬の部屋のように重たい空気。そんな淀みは二柱の間に自然と沈黙を産み落としたのだった。



 ――――天都。その正宮内部にて、ソウは天陽と会うべく足袋を滑らす。

 外から舞い込む紅葉が、縁側にひたりと落ちては、ひとたび通りれば蝶のように舞い上がる。そんな風情ある光景も、彼女の心には響かない。


 社の奥の間。学長舎とは違い、その全面を黄金に染める大ふすま。人間でいえば9歳と同等のソウが、その手前でちょこんと正座をすれば襖の大きさもよく分かる。


「ひふみか?」

「はい」

「入れ」


 襖を開けると、そこにはいつも通りの景色が広がる。

 空中で微動だにせず、墨の浸った筆先を静かに受け入れる和紙。それも一枚や二枚ではなく、幾枚もの上等そうな淡い白が部屋を埋め尽くしている。

 しかし一歩でも足を踏み入れれば、それらは主にへりくだる民のように道を作った。


「話はシンから聞いておるな?」


 部屋の一番奥。一人では余すであろう大机の前に座る天陽。彼女は硯に筆を置くと、前置きも無く話を始めた。

 そして、その寂々たる間合いを置き、ソウは立ったままで答える。


「ええ」

「復讐は、復讐しか生まぬぞ?」

「分かってます」


 一切の感情を見せず、死んだ魚のような目にはただ一点の灯火のみ。その目も当てられない少女の様子に、天陽は深く息を吐く。


「そうか。しからば、此度の策をお主に伝える」

「策?」

「そうじゃ。今回の国つ神討伐は復讐だけの単純なものではない。これは()()()からの神勅でもあるのじゃ」

「私は、アイツらを殺せればそれでいいです」

「まあ聞け」


 後ろで結いあげた髪を解き、天陽は全ての和紙を一か所にまとめると、今度は布団のように大きな地図を神通力で広げる。


「この印の打ってある国は、西ノ宮から東側に存在する諸々の国を束ねている大国じゃ」


 天陽が指さすのは、日本列島に似ても似つかない大きな島国の中心。そこがまさに、彼女の言う西ノ宮が位置する場所。しかしそれから東側は、列島のほぼ三分の一を占めているものだった。


「その名を飛儺火ひだかと言う。……ひふみ、お主の仇はこの国の、尾羽里おはりという街の近くに潜伏しておることが分かった」

「それはもうシンから聞きました」


 早く話を進めろと言わんばかりの口ぶり。本来なら無礼にあたる行為だが、天陽はせんなき事と受けれた。


「それで、あたしの仕事は何ですか?」

「お主にはこれから、この飛儺火に忍び入ってもらい、国を治めている国つ神を……」

「――――殺せばいいんですか?」


 何のためらいもなく、そして一瞬の戸惑いすらも見せず、むしろ待ち望んでいたかのようにソウはその言葉を口にした。

 この時の寸分も変わらないソウの表情に、天陽は一つだけ汗を流す。そこにはいつもの大らかさはない。


「違う。先ずはその神を探すことから始まる」

「位置を特定した後、力づくで平定するんですね」

「……ああ。我らも幾度か使いの者を送ったが、むしろその遺体を送り返される始末。本当なら先鉾に行かせたいが、なにぶん奴らは神霊が大きすぎる」

「それで龍人の私ですか」

「もちろん護衛は付ける。じゃが、一人で先走るでないぞ」

「それで、奴らを見つけたら殺してもいいんですか」


 その殺気の籠った問いかけには、天陽も少しだけ間を空けた。


「駄目だ、援軍を待て」

「分かりました。でもいざと言うときの誅伐許可だけ貰えますか」

「構わぬ。しかし少しでも危うしと思えば、すぐにでも退くんじゃぞ」


 そう言って彼女は一つの鳥笛をソウに渡す。それは先鉾が使っていた煙草ほどの白い筒。


「これは…………」

「それを吹けば、すぐにでも天津神がお主の援軍に行こう。しかしひとたび吹けば、激戦は免れぬぞ」

「分かりました」

「それと…………」


 しかし鳥を受け取ると、ソウはくるりと身体を返す。

 だが天陽は、自身に彼女を止める資格などない事を分かっていた。彼女を外道へと導くことを、自らの過去の失敗と重ねながら。

 そうして天陽はソウが下界へ戻ったことを確認すると、ただ一人で静かに泣いた。


(本当ならお主には安寧を生きて欲しかった。許してくれユウリツ)


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