少女と亡き女神への想い
いわし雲が高く泳ぎ、からっとした晴天が美しい季節。しかしそれを純粋に楽しめる者は多くはない。
天陽大神が中つ国の平定に着手してから二十年。しかし現状、天都に降った国は大和、紀伊、伊勢の三国と、その他周辺の小国。さらには遠い海の向こうに存在する常世の国のみだった。
「ふむ。別天津神がお怒りとは、まずいですのう」
天界、神々が住まう都の中心部。天都の大部分を占める広大な敷地の、その更に中心に鎮座する巨大な社。そこが主宰神の住まう家でもあるのだが、なにぶんそこに勤める柱数も尋常ではないので、天陽と共に過ごす神も多い。
「それだけに、飛儺火の平定は急を要するということじゃ」
社の中の大広間。夥しい数の畳が敷かれ、壁のいたるところには真っ白な紙垂や、その辺から拾ってきたような木の枝、もとい榊が飾られている。
そんな宴会やイベントで使われるような空間に、四柱の神が集まって何やら話し合っている。
「しかしさるお方に使者の遺体を送り返すとは、奴らも命知らずであるな」
部屋の真ん中に垂れ幕ほどの大きな地図を広げ、それを囲うように三柱の老神が。そしてその上座には天陽が座る。しかし皆頭を抱え、奥歯に何かが挟まったかのような表情を浮かべた。
「して、如何様になさいますか大神」
「…………大神?」
眼が痛くなるような装飾。その立派な衣に身を包んだ老輩が、覗き込むようにそろって天陽に目を向ける。
「大神、何かご憂慮でも?」
「いや、大丈夫じゃ。続けてくれ」
そうは言うものの、しかし彼女の表情は浮かばない。
彼女は今、自身の妹でもある月の神。吾月との遭遇と、その吾月の目的について、飯も不味くなるくらい思慮していた。
「やはり、吾月様の事がお気に掛かるので?」
一柱の老。あごの髭を綺麗に剃っており、上唇に被るほど白い髭を蓄えた神が問う。
「ああ。やはりあ奴も、蒼陽の存在に気付いたと見るべきか」
「しかし蒼陽姫は龍人。月の神に気取られるほどの神霊をお持ちではないのでは?」
「そう考えるのが普通じゃろうな。じゃが、吾月は再び降臨した」
「まさか、誰かが情報を流しているとでも?」
「考えたくはないがな。…………やはり、蒼陽を神使にしたのは不味かったか」
重たい空気に日も陰る。
しかしそんな中、廊下をバタバタと駆けてくる忙しない足音が響いて来る。そしてその音が止むと、今度は襖の奥から声が飛んできた。
「大神。シンです」
少しハスキーな柔らかい声。しかしどこか焦燥を感じさせる声音に、一同の注意はそちらに向く。
「おおっ。影の神が戻ったぞ」
「何か情報を掴んで来おったか!?」
「静まれ、静まれ! 先ずは話を聞こうではないか」
二柱の老神が騒ぐ中、その中でも一番背の小さな男神が声を上げて制した。そのおかげもあって場は静寂を取り戻すが、天陽は変わらずの表情で問いかける。
「何か分かったのか?」
「はい。やはり飛儺火は、月の神が統治しておるようです……」
襖を開ける事無く、それでも全員の耳に行き届くような声量でシンは続ける。
「そして、アラナギが率いる龍狩りとその軍勢が、実質、飛儺火を圧政していると見ても間違いありません。しかし誠に遺憾ながら、奴らの居場所までを特定することは出来ませんでした」
「そうか」
「他にもまだ危惧することがあるであれば、今一度、飛儺火へ忍びますが」
「よい。ここまでご苦労じゃった。下がってよいぞ」
「…………は」
シンはこれで話が終わるかとも思ったが、しかし天陽は去ろうとするシンを再び止めた。
「シン」
「はっ」
「蒼陽を、呼んできてはくれぬか?」
「畏まりました」
その要求にほんの束の間だけ沈黙が生まれたが、すぐにシンは返事をし、またしても忙しない足音を広間から遠ざけた。
「大神。やはり、蒼陽姫に行かせるので?」
視線を襖から天陽に移し、老神が問う。
「ああ。ここまで来たら何が何でも蒼陽に信仰を集めさせる」
「しかし、飛儺火は東を治める大国。いくら大神の眷属と言えど、無理があるのでは?」
「うむ。確かに今回ばかりは少し憂いも残るが、致し方ない」
蒼陽には何を言っても聞かないだろうと諦め、天陽は小さくため息を吐く。
そうして数時間にも及ぶ会議も終わりを迎え、彼女は蒼陽と会うための支度を始めた。




