朱い兜の龍狩りは、その龍玉を曇らせる
――――そうして、玉座の間へと繋がる大扉が、まるで腕を広げるように私たちを誘う。
目に入るのは、甲冑を着たたくさんの兵士と、ひ弱そうなモヤシ官吏たち。そして、この広間に集められているという事は、ある程度の信用がある者だという事。
その証拠に、兵士は巨木より屈強で、官吏は岩より頭が固そうな者ばかりだ。
「よくぞ参られました! こたびは葦原国から遥々、この時香国への来訪、誠に感謝申し奉ります!」
大きな紙を縦に広げる、女神の側近らしき男。背は低く、姿はいかにも官吏らしいが、それでも声は自慢してそうな程大きい。
「此度の来国目的は、我が君、音鳴尾売との謁見と聞き及びましたが、それに相違はございませぬか?」
「うむ。相違ない」
官吏の言葉に、カナビコも負けじと声を張る。しかし周りを囲む兵士や他の人たちの顔を見るに、どうやら私たちは目の上のたんこぶだと思われていそうだ。
「承知いたしました。それでは…………」
「ええい、もうよいッ!」
するとここで、ずっと口を閉ざし、広間の最奥で鎮座していたオトナリ尾売が、急に声を張り上げた。この回りくどい前置きを、彼女もさっさとすっ飛ばしたい様子。どうやら気が合いそうだ。
「は! 申し訳ございませぬ我が君」
「タケンマ。お前の話は長い。さっさと下がらぬか」
「ははぁ!」
女神に脅され、そそくさと三歩程さがる男。彼も彼なりに色々苦労してそうだ。
「して、誰もが尊ぶ天上の天つ神が、我に何の用かえ?」
見た目は二〇代。しかし胸は八歳児の美人。身に纏っている衣の煌びやかな装飾を見るに、彼女がこの国の主宰神に思えるが。
「お初にお目にかかりますオトナリ尾売。此度は我らの突然の…………」
「お主も! そう言うのはよいから、さっさと本題に入ってくれんかえ?」
確かに見た目は可愛い。下手したらユキメに引けを取らない程だ。それでも性格は、ゴミ溜めよりも最悪な匂いがする。
「では単刀直入に申し上げますが、この国には不死の呪い、またはそれに準ずるものがあると聞きましたが、それは誠ですかな?」
「おほほ! 天津神は歳を取らぬではないか。それでも不死を得たいと願うのかえ?」
「いやはや、お言葉ですが、我らは不死を殺す方法を探りに来たのじゃ」
カナビコの言う不死殺し。その言葉に、オトナリは少し目元を細める。
「ほう。主らは不死殺しの方に興味があると?」
「そうじゃ。もし仮にそれが可能なら、我らにお教え願いたいのじゃが」
唯我独尊。そんな言葉が感じ取れる表情のオトナリヒメ。しかしカナビコも、負けじと髭をモフモフしてそれに対抗する。
「おっほほほほほ! これは傑作じゃ。天界を支配する天津神が、不死一匹も殺せんとは笑止。それでよくぞ天津神と名乗れるものじゃ」
「うぬのその口ぶり。…………残念ながら其方らも、不死の殺し方を知らぬようじゃのう。ふぉっふぉっふぉ」
「おほほほ。そもそも不死なんぞこの世には存在せぬ。それなのにどうして知っていようか。なあ、お前らもそう思うじゃろ?」
女神に問われ、それに激しく同意をして見せる家臣たち。そして彼らもまた、馬鹿にしたような笑いを私たちに浴びせかける。
「ふぉっふぉっふぉ! ならば、このお方の前でも、それと同じ言葉が言えますかな?」
――――このお方? 誰の事を言ってるんだ?
「このお方じゃと? そちの後ろにはガキと女しかおらぬではないか?」
ここでカナビコが私の肩に手を置き、その視線の一切もこちらに向ける事無く、まるで切り札を出すかのように言葉を始める。
――――って、私の事かよ。
「こちらにおわす姫君は、天都を治める最高神。太陽を司る神、天陽大神のその御神使。天蒼陽姫命であらせられる」
「っぷふ! おっほほほほほほほ! おほほ、あっはあはははは!」
やはり笑うオトナリヒメ。それどころか、周りの官吏や兵士たちも嗤い続けている。しかし私たちにも、まだまだ打つ手は残されているのだ。
「大神の神使じゃと? それがどうしたと言うのじゃ、そんなガキに頼らねばならぬほど、天津神は落ちぶれたのかえ?」
「――――お言葉ですがオトナシ姫!」
「オトナリだ。間違えるなよ童」
私が名前を間違えると彼女は、そのニヤケ面がまるで嘘だったかのように、その綺麗な顔を醜くしかめる。しかしこれで心の隙が生まれた。
「コレは失礼! 姫君の声があまりに賤しかったものですから、つい私の耳が受け入れず、てっきり音無しかと思いました」
「ふぉっふぉっふぉふっふぉっふぉっふぉ! お戯れがすぎますぞ、蒼陽姫!」
「ええ、そうですか? これは失礼仕りました。オトナシ、ああいえ、オトナリヒメ!」
などと、自分でも訳が分からないくらい煽り倒し、必死に笑いをこらえていると、後ろの方から声が飛んでくる。
「ソウ! これは不味いでしょ!」
「あはははは! いいの、いいの! 私も神様だから」
ヒスイが声を尖らせる。しかし、他の皆も不安そうな目で私を見つめている。――――いや、チヨヒメはどこか楽しそうだ。
「おい子供。大神の神使だか何は知らぬが、あまり図に乗るでないぞ」
綺麗な顔に青筋を浮かせるオトナリヒメ。しかしそんな怒り狂った表情も、私の神様に比べれば不細工なものだ。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
ひふみ祝詞の最後の一節。それを読み上げると、私の身体が偉大なる大神の神霊を纏う。――ちなみに願い事は、私的なものだ。
そして纏いが成功した瞬間から、場の空気は一気にこちら側へと流れ込んでくる。だがしかし、まだこれが切り札ではない。
「なんじゃ、この神霊は」
「聞こえなんだか! このお方が、主宰神の御神使と申したのだッ!」
「…………あ、あああ?」
「不埒! 頭が高いぞ者ども、首を垂れよッ!」
カナビコがそう叫ぶと、オトナリは玉座からズリ落ち、屈強そうな兵士も、頭の固そうな官吏も、皆そろって頭を下げた。頑固そうには見えたが、それだけの頭はあるという事か。
「オトナリよ、そなたにもう一度問う。不死を殺す手際を、知っておるのか?」
「…………いっ、いえ! 我らも目下探求している次第でございます!」
先程の見下したような眼の、その一切も見せること無く、顔面を地に伏したまま、オトナリは私の問いに答える。
「偽りはないか?」
丸まったティッシュペーパーを見るように、視線を彼女に落としながら問う。
「誠にございまする!」
「うむ。しからば、もう表を上げて良いぞ」
「ッははぁ!」
怯え、縮みあがった獅子のように滑稽な姿。しかしそんな彼女を見ても、私は最早なにも感じない。干からびたミミズのようにも見える。
「ではもう一つ聞く。そなたはこの者に見覚えはないか?」
ちょいちょいと手をこまねき、チヨを私の傍に寄らせる。
「存じ上げませぬ!」
「そうか。実はこの者も不死なのだが、この娘に似た体質を持つ者を、見たことはないか?」
「…………その者も、不死であらせられるので?」
あくまでも単なる情報収集のつもりで聞いたのだが、存外、オトナリは何か知っているような雰囲気だった。
「何か知っておるのか?」
「い、いえ。全く持って存じませぬ」
「それに偽りはないか?」
「…………は、はい」
「目を見て答えよ」
――――しかし目を逸らすオトナリ。それどころか彼女の肩は、ぷるぷると小刻みに震え始める。
「聞こえなんだか? 我が双眼を見よと申したのだ」
「………………………………ろせ」
「なんじゃ?」
「…………この者どもを、斬り殺せ!」
突如頭を上げ、私を指さし兵士共に叫ぶオトナリ。――――しかし反応はない。なぜなら、この広場にいる一兵までもが、私に頭を下げたまま震えているからだ。
「ほう。我が神の前でも、兵に命ずることが出来るとは。オトナリよ、いかんせんお主も見上げたものじゃな」
「…………ひっひい!」
「さて、では質問に答えてもらうぞ」
ここまで取り乱すという事は、何かしら知っているはずだ。ここは何が何でも吐いてもらわねば。
「オトナリ尾売ッ!」
――――バタン!
と、大扉を力いっぱい開け、何者かが大声でオトナリの名を叫ぶ。
振る返るとそこには、龍の彫り物が入った、真っ赤な甲冑に身を包む。鬼を象った兜をかぶる武士が一人。
「おお! よくぞ参ったカガ!」
形勢逆転。先ほどまで土に埋まったサツマイモの様だった兵士たちが、今まさに兵士として立ち上がる。その男が現れるや否や、玉座にいた兵士たちが声を上げ始めたのだ。どうやらこの軍隊のお偉いさんの様だ。
「お前ら、音鳴尾売に何をした」
三〇代くらいの厳つい顔つきの男。身長は私の二倍以上はある。そしてその男は、ズカズカと力強い足取りで向かってくると…………。
「答えろッ!」
と言って、殿内が震える程の怒号を私に浴びせ、叢雲よりも長い大太刀を私に突きつける。
「そこまでだ」
ここで、ユキメが負けじと天羽羽斬を男の喉元に添える。――そうして、その光景を目の当たりにした兵士たちが武器を取り、空気は一触即発へと流れてゆく。
しかしこれでは非常にまずい。ここにいる兵どもの個々の武も分からぬのだ。このまま戦をすれば、こちら側も無事では済まない。
「ユハン、チヨヒメ。私たちは三人で固まるわよ」
「分かった!」
流石は紋様羽織、判断が早い。しかし彼女らにはカナビコが付いているので、私もある程度に安心できた。けれど、今の老いたカナビコが、果たしてどこまで戦えるのか、私は計りかねている。
「ところで武士よ、名を何と申す?」
ユキメの血刀が喉元に迫っていると言うのに、赤甲冑の武士は一切の汗も流さず、絶えず刀を私に向ける。だからそんな彼に興味が出たので、つい名前を聞いてしまった。
――――これって逆ナン?
「調子に乗るな。お前に語る名など持ち合わせてはおらぬ」
まあそうですよね。
「我は蒼陽姫と申す」
「ふん。子供風情が、武士の真似事とは片腹痛い」
嫌な目だ。子供を見下ろすような視線。これまで出会ってきた、私を不愉快に思う連中と同じ目だ。
そうして、毛穴が閉じ切ってしまうほどのピリついた空気が流れるが、ここで大乱闘をするわけにはいかない。
「武士よ、この戦場には子供もおる。故にこの勝負、我らの勝敗でケリを付けぬか?」
「ソウ様!」
不安げな表情を私に向けるユキメ。だが私は、ただ黙って彼女の目を見返し、口を少しだけ綻ばせて頷いた。
――――そして私が望むは一騎打ち。果たして乗ってくれるか。
「はっはっは! 笑わせるな、うぬもまだ子供ではないか」
「いかにも。しかし私も天津神。子供の一言で括らないでもらいたい」
そうして男は呆れたように笑うと、突きつけた大太刀を腰の鞘に戻す。まさか投降するのかとも思ったが、いかんせん、彼は不敵な笑みで私を見下す。
「はははは! 我が太刀を受ける事無く、なおもその様な無粋な目で挑んでくるとは。面白い」
「返答は?」
「いいだろう。その勘違いも甚だしい面ごと、叩ききってくれるわ」
「では、決まりだな」
こうしてなんとか、私はカガとの決闘を取り決める事に成功する。まあ相手からしたら、初心者狩りとでも思っているのだろうが。
そして私たちの話を聞き、広間の兵士は沸きあがり、官吏は胃を痛めて腹をさする。オトナリヒメはそのどちらでもないようで、ただただ茫然と眺めているだけ。
――――対するこちら側の陣営は、全員もれなく不安げな表情。少しは私の腕を信じて欲しいものだ、と肩が落ちる。
「蒼陽姫。もし敵わぬと判断したら、ワシに代わってくだされ」
「大丈夫、大丈夫」
「ソウ様! 決闘などおやめくださいまし。ソウ様に何かあれば、ユキメは……」
「――――心配しすぎだって。死にはしないから」
などと大人二人も心配する中で、対する子供たちはそれ以上の懸念を私に見せてくれる。ありがたいことに、それらは兵士共の士気にも勝るものだった。
「ソウ! あんな強そうな人相手に無茶よ!」
「そうだよぉ。カナビコ先生に任せようよ」
しかしその心配も、五分と続くと流石に落ち着かない。少しは集中させてほしいのに。全く仕様がない友達だ。
「…………皆」
それぞれが秩序なく言葉を発する中で、たった一言。皆が心の底から安心できるような言葉を探し、私は彼女らに背を向けたままそれを言う。
「応援も、心配もいらない。ただ黙って、私だけを見てて」
目を輝かせて身をよじらせるユキメ以外は、依然として不安げな表情を浮かべるが、まあ先ほどよりかはマシになった。
――さて、これで後ろの憂いも無くなった。あとは眼前の相手を全力で叩き潰すまでだ。
さて、それじゃあ少し考察をしよう。
相手は根っからの脳筋、恐らく変な種族能力は持っていないと見える。あくまでも可能性の話だが…………。しかしもしそうなら、私の勝率は遥かに高い。仮にクナイや投げナイフ類の飛び道具があったとしても、その動作さえ見逃さなければどうってことはないのだ。
そして、忘れてはいけないのが――――。
「龍脚・龍椀」
私の手足が龍に還り、視界が高くなる。そして大岩をも砕く龍椀に、海をも切り裂く龍爪。そして神をも凌駕するこの脚だ。最近覚えたとはいえ、意外としっくりくる。
「ほほう、面妖な。その黒髪に燃ゆるような瞳。やはり龍人族だったか」
男は物珍しそうに私を見下ろす。しかし龍脚で身長が伸びたとはいえ、まだ背伸び程度の差しか埋まっていない。本当に大きい奴だ。
「しかし、貴い神霊を感じたが、よもや神使とは笑わせる。だが、龍人の角や爪は高く売れるから、その点で言えば俺は幸運だったな」
そう言って嫌らしい笑みを浮かべると、男はおもむろに胸元に手を突っ込み、そこから取り出した物を、自慢げな顔で私に見せる。
――しかしその首飾りを見て、私の心は震えあがった。……その首飾りには、数えきれないほどの龍玉が、数珠つなぎで並んでいたのだ。




