楽しい旅行は最後の旅路②
常世の国遠征前日の夜、私は寮にてチヨと布団を並べ、彼女との最後の夜を過ごす。
「チヨはさ。本当に死にたいって思ってるの?」
春の夜風が少し肌寒い自室。今夜は星空が綺麗だが、私は障子戸を閉めて布団に潜り込む。
「…………うん。だってチヨの周りには、誰もいないのよ?」
確か明日は、日食があると皆騒いでいた。でもそれも、チヨと一緒に見られるかは分からない。
「そっか。でもご両親は普通の身体なのに、チヨだけ不死ってのも変な話だね」
苦し紛れに話題を変えると、ずっと線だったチヨの口元が、少しだけ上方向に曲がる。
「おっ父は、嘘をついていたのかもしれない」
「――――え?」
「本当は人魚を殺したんじゃなくて、人魚が好きだったんじゃないかなって」
初めて会った時より、かなり感情が戻ったチヨ。それでもまだ、瞳には光が宿っていないが、これは大きな進歩だ。
「お母さんが、人魚って事?」
「うん。チヨのお母さんは、チヨを産んですぐに死んだの。だからお母さんの顔を知らないチヨに、あえてそんな嘘を吐いたんだと思う」
ということは彼女の父親は、チヨが人魚だという事をチヨに隠し、さらに母親の正体を隠し続けていたってことか。でも何のために?
――――いや、まだ子供もいない私が、チヨの親の気持ちを理解しようなんて無粋すぎるか。きっと私みたいな子供には、まだまだ理解が及ばない所にあるんだろうな。
「そっか。きっとチヨのお父さんは、優しい人だったんだろうね」
「そうだよ。おっ父はね、いつも漁で帰りが遅かったけど、帰ってくるといつも笑ってくれた」
「うんうん」
「夜ご飯はいつも魚だったけど、チヨはおっ父の為に料理を作るのが楽しかった」
「うん」
「寝るときもね、おっ父の寝息が聞こえるだけで安心したんだ」
「…………うん」
「だからね、チヨは早くおっ父に会いたいんだ」
泳ぐように脚をパタパタさせ、楽しそうに父親の話をする彼女。ずっと堪えていたけど、私の涙腺はそこで限界を迎えそうだった。
――――幼児退行。そんな言葉が私の頭に浮かぶ。
彼女の見た目は十七ほどだが、その口調や動作はまるで八歳児。彼女がどれだけ生きてきたのかは分からないが、きっと私の想像も及ばない、そんな環境の中で生きてきたのだろう。
「…………私がいるよ」
淡い期待を抱いて私は言う。
彼女は、何を言っているのか分からない。と言った表情で首をかしげるが、私は言葉を続ける。
「チヨには友達がいるよ」
「ともだち?」
「そ。一緒にご飯食べたり、お風呂入ったり、怒られたり。それが友達」
「そっかぁ。チヨにもいるのかなぁ?」
まるで友達が何かも知らない口ぶり。一体彼女は、どれだけの時間を一人で生きてきたのだろう?
「心配しなくても大丈夫だよ。とりあえず、明日に備えてもう寝よっか」
「うん。チヨね、ここで寝るのも好きだよ」
「…………私も」
そうして蝋燭の火を吹き消す。部屋は闇で満たされるが、私は彼女に悟られないように、背を向けて鼻をすする。
彼女の心に、一体どれだけの傷がついているかは分からない。しかしそれでも私は、彼女に生きたいと思って欲しい。生きて、これまでの苦痛を忘れる程の経験をして欲しいと願った。それが、今の私に出来る唯一の事だった。
――――翌朝。洗濯物がよく乾きそうな晴天。遠征にはもってこいの空の下で、私とチヨは集合場所である大手門へ向かった。
そこでは既に、ヒスイとユハン、そしてカナビコとユキメが楽しそうに話していた。
「ソウ様、今朝の具合はいかがですか?」
「絶好調よ。ユキメは?」
「上々でございます」
ユキメが膝を着き、優しく微笑む。
「我が君が早速、船の手配をしてくれたそうです」
「流石は最高神。仕事が早い」
カナビコが手元の紙面を眺めながら、口元を綻ばせる。
「はえぇ。緊張してきた」
「大丈夫? 無理しなくていいんだからね」
「うん。大丈夫だよ」
ユハンとヒスイも緊張こそはしているものの、いつも通りの様子で安心した。
「――――ソウ様。誰か来るようですが」
ユキメの言葉に気付き振り返ると、浮かぶ石床に乗ってくる二つの人影が見えた。最早見慣れた二つの影。
「ウヅキにタライ、どうしたの? もう授業始まる頃でしょ?」
「皆が頑張ってくるんだからぁ、ボクたちも見送りしようと思ってぇ」
「うん。じっとしてられなくてね」
ウヅキと鼻たれ坊主のタライは、授業が始まると言うのに、わざわざ見送りに来てくれた。ここまでくると、憎らしいタライも可愛く見える。
「……おい、お土産だけ、頼んだぜ」
「はいはい」
タライは私の耳元に袖を添えると、いつも通りの口調でそう言った。やっぱりコイツは鼻たれ坊主だ。
「ありがとね二人とも」
「うん。無事に帰って来てね」
「何かあってもぉ、紋様羽織だけは帰してねぇ」
タライの裏表の激しさにウンザリしていると、ユハンが声を尖らせる。
「タライ君、ヒドイこと言わないでよ」
「え!? いや、これはそういう意味じゃ…………」
「ソウちゃんに謝って」
「ええぇ」
ユハンに睨まれ、蛇のように身をくねらせるタライ。どうやら彼は、ユハンに弱いようだ。こいつは使えそうだ。
「ちょっと、いつまでそうしている気?」
「ああ、ごめんごめん」
ヒスイの言葉に気付かされ、私達は急いで港行きの駕籠に乗り込む。そして全員が乗ったタイミングで、タライとウヅキが声を張る。
「おい! チヨ、しっかり守ってやれよ」
「みんな気を付けてね!」
彼らは、私がすだれを降ろすその瞬間まで、その小さな手をしっかりと振ってくれた。
「ありがとう。でも、そろそろ授業始まるよ」
「――――ヤベ! ウヅキ早く行くぞ!」
「う、うん!」
いつも奥手のウヅキにも、どうやらいい友達が出来た様だ。
白兎族迫害の歴史が子供達にも根付いている中、タライはウヅキに良くしている。そんな子が、悪い子であるハズがない。
「タライ君は本当に賑やかだねえ」
「ふん。るさくて仕方ない。ウヅキ君を見習って欲しいものだわ」
ユハンは、やれやれと少し呆れたように笑ったが、ヒスイの表情は本気だった。
しかしこの世界に来てからというもの、女子ばかりに囲まれていたが、こうして男子に手を振られるのも、案外悪くないかもしれない。
「どうチヨ、友達は?」
「うん。すっごく楽しそう」
彼女の目が開いている。初めて見世物小屋で見た時は、まさに死人同然の目をしていたが、こうして改めて見ると、私の頑張りは報われているのだと感じる。
――――しかし忘れてはいけない。今回の遠征は、あくまで不死の正体を探りに行くもの。仮にそれが分かって、それでも彼女が死にたいと言うのなら、その時は私が介錯しなければいけない。それが彼女を助けた私の責任でもあるからだ。
だがもし、その逆だった場合は、私が彼女に、この世界を見せてあげよう。――ただそれまでは、この遠征を楽しむことにする。




