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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第一章 八柱の姫君
10/202

武鞭3

龍文書―9


【天の山腹】:天界へ繋がる唯一の神宮。ここへ来るための道は下界にいくつもあるが、それらは途中で一本に収束する。誰でも入れるわけではない。

「ソウ様、いかがされましたか?」


 門の前で立ちすくむ私を見て、ユキメが不思議そうな表情で私を見る。

「あぁ、ごめんごめん。ちょっと考え事」


 こんな所でビビっている姿は見せられない。と、私は自分の頬を叩いて、いざ手水舎の前に立つ。


 ――――ちなみに手水舎ちょうずやの作法は知っている。

 先ず柄杓ひしゃくを使って左手を濯ぐ。次に右手を濯いで、柄杓を持ち換えたら左手で口をすすぐ。最後は柄杓の持ち手を残った水で洗い流す。完璧だ。


 私はドヤ顔でユキメを見る。この年で手水舎の作法を知っているのだ。きっと目ん玉ひん剥いて驚いてるだろうな。


「何をしておられるのですか?」


 ユキメは柄杓で水をすくうと、それを自らの頭にぶっかける。

 ――――いや、お前が何してんの?


「な、何してるのユキメ」

「神の御前に列するのです。手だけではなく、身も清めねばなりません」


 あ、そういう事。現代の作法は通用しないのね。

 …………というわけで私もユキメを見習い、ひんやりとした手水を頭からかぶった。


「うう。はかまが肌に引っ付く」


 べたべたして気持ち悪い。だが不思議と寒くはない。しかし、ここまでびしょ濡れだと、かえって神様に失礼な気がする。


「すぐに慣れます。私も初めてここへ来た時、ソウ様と同じ気持ちでしたから」


 水も滴るいい女が何か言っている。

 濡れた黒髪、唇に残った水滴。水を吸った袴は体に吸い付き、そのボディラインを露わにさせる。

 …………エロいぞ。なんだか頭がくらくらする。


「いかがなさいましたか、ソウ様?」

「――――へ? ごめん聞いてなかった。何か言った?」

「いえ、大したことではありませんが、目が虚ろですよ。ご気分でも悪いのですか?」


 果たしてこの女は、自分の美しさに気付いているのだろうか? きっとこれまでも、何人もの男を骨抜きにしてきたに違いない。


「大丈夫! ちょっとぼーっとしてただけ」

「そうですか。ならいいのですが」


 眉根を吊り上げ、心配そうな表情で私の顔を覗き込むユキメ。この感じは、多分気付いてないな。


「では、参りましょう」


 そうして私たちは門をくぐり、拝殿へとたどり着く。だがやはり、拝殿も凄まじく甚大であり、巨大物恐怖症でなくとも鳥肌が立つ。


「あいそづさいしゅじぇにふぁねか」

「えっ?」


 突然声を掛けられ心臓が縮みそうになる。

 恐る恐る声の方へ顔を向けると、大きな白い獣が、石柱の上から私の事をじっと見つめていた。


「ユキメ…………」


 そのおぞましい姿に肩がすくみ上がった私は、条件反射の様にユキメの袖を掴む。

 ――――何だあれ? 顔怖すぎるだろ。


「狛犬ですね。我々が神獣の言葉を理解することは出来ませんが、彼らに敵意はありません」


 ユキメはそう言って、柴犬でも見ているかのような表情で狛犬を見る。しかしどうしても、私はその獣を生理的に受け付けなかった。

 平らな顔に大きな鼻。耳まで裂けているかの様な口からは、人間のように平な歯が覗いている。まさしくその姿から連想するのは、狛犬ではなく人面犬だ。


「安心してください。ソウ様には私が付いていますから」


 そう言って彼女は私に身体を寄せ、羽織の袖を私に覆いかぶせる。すると、まるで布団の如し抱擁感に、私は絶大なる安心感を得る。


 そうして私の肩に手を回したまま、ユキメは拝殿の鈴を力いっぱい打ち鳴らす。しかし、がらんがらんと響く鈴の音は、あまり心地のいい音ではない。


 ――――しばらく待つと、建物の奥からぎしぎしと音を立てながら、しゃくを持った一人の男がやってくる。

 この人も大きい。二メートル以上はあるぞ。


「よくぞ参った。その方らの名と、所を述べよ」


 水色の衣をまとった男は、見えているのか分からないくらい細い目をしている。一見した感じは年若い好青年だ。


手前てまえは、天千陽あまのちはるに住する龍人が一人、ユキメ・エトと申します」


 まるで私に“こう言うのです”と、教えるかのように、ユキメが先陣を切って男の言葉に答える。だから私も彼女の動作を真似る。


「て、手前も、同じく天千陽に住する龍人が一人、ソウ・ヨウと申します」


 腰を直角に曲げた深いお辞儀。この最敬礼は神様にのみ行う礼だ。という事は、この男の人も神様の一柱なのだろうか


「ふむ。して、用件は?」

「は。恐れ多くも我らの子が無事、今年で三十を迎えました。しかしながら、これからも道は長く。その無病息災を願い、みそぎを済ませに参った次第にございまする」

「うむ。汝らの早い行いに、天都の神々も満足しておられる」


 ユキメの言葉を聞くと、男は糸目をさらに細めて満足そうに頷く。どうやら歓迎されている様だ。


「しからば、参られよ」


 私たちは男に言われるがまま内部へ上がり、亀のようにのんびりと歩く男に付いてゆく。


 殿内は壁が少なく、風も素通り出来るほどの造りで、まるで来訪者を手招いているかのように、その口を大きく開けていた。

 日差しを通さないので中は程よく明るい。外から入る風も、打ち水の如く涼しく、その風に乗って来た桜の花が、歩く度々蝶のように舞う。


 ――――その美しい殿内に、心地よさを覚えながらしばらく歩くと、なにやら細い渡り廊下に差し当たった。


「ここから先は、童子のみ。付き人はここで待つように」


 男は足を止めて振り返ると、ここから先へは通させまいと言わんばかりに、渡り廊下の中央に立つ。


「ソウ様、案ずることはありませぬ。どうか安らな心で行ってきてくださいませ」


 ユキメは優しく微笑むと、私に向かって小さくガッツポーズを見せる。

 しかし、今から独りになると思うと、ユキメが遠い存在のように感じてしまう。

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