3問目:特別 / 当たり前 《前編》
僕こと水戸悠は、人生最大の危機に直面していた。
家からそう離れておらず偏差値もちょうどよい程度だと、軽い気持ちで選んだ高校に入学してからおよそ一ヶ月。
落ち着いた学生生活を過ごすべく目立たないを信条に、日々を細々と過ごしていたにも関わらずこの有り様。
これはあれだ、僕の黒歴史ランキング一位である『妹が本棚に隠していたはずのエロ本を見つけてしまい母親にしゃべり散らかす』の精神的ダメージを優に超えている。
もしもこの世に神様がいるのなら、おそらくそいつは相当僕のことが嫌いなのだろう。
「よし、それじゃあ文化祭実行委員は水戸と優木に決まりだ。頼んだぞ!」
湧き上がる拍手の嵐。
「頑張って!」「盛り上げてくれよ!」などという無責任な歓声に対し、僕は声を上げて言いたい。
『陰キャの僕がそんなのできるわけないだろぉぉ!!』
てか文化祭実行委員って何。文化祭ってマジでなんなの?
現実を受け止めきれず思考放棄をしそうになる僕を他所に、ますますクラス一同は盛り上がりを見せていた。
「しょうがないなー。任せときなって! あたしが文化祭を盛り上げてやるってーの!」
そんな中、大声を上げながら唐突に立ち上がる女子生徒が約一名。
ド派手な金髪がトレードマーク、一目見たときから絶対に関わるまいと心に誓ったはずの圧倒的陽キャ女子。
文字通り歓声をその身に浴びながら堂々とした佇まいで場の雰囲気を支配し始める。
これはもうあれだ、どうしたって逃げ場がないってやつでは――。
「ほら水戸、あんたも挨拶しときなって!」
悲報、僕終了のお知らせ。
寝たふりをして聞かなかったことにしようかと考え始めていた中、見事なタイミングで話を振られてしまう。
知将のごとく退路を塞ぐ陽キャ系金髪ギャルは僕に向かって手を伸ばし無邪気な笑顔を僕に向けてくる。
綺麗すぎるほどに整った顔が腹立たしいことこの上ない。
「ほーら、ここはみんなでやるぞーって意気込むところっしょ!」
これはまずい、ここで挨拶などしたら本格的に取り返しがつかなくなってしまう。
なんか、なんか断る理由はないか。てかみんな本当に僕なんかでいいと思っているのか。
――ここは正直に辞退を申し出よう。
雰囲気をぶち壊してしまうかもしれないが、今後のことを考えれば今ここで断りを入れた方がみんなの為にもなるだろう。
ごくりと喉を鳴らしながらかけなしの勇気を振り絞り、そして――。
「一緒に頑張ろうね。水戸っち!」
「あ、うん。よろしくお願いします」
はい終わったー。
グッバイ僕の静かな高校生活。
3問目:特別 / 当たり前
さて問題となる文化祭だが、開催されるのは十一月とおよそ半年先の話になる。
とはいえ、それまで何も仕事がないということではないらしい。
先生に聞いた話によれば、企画内容自体は経験者である上級生を中心に話し合って決めていくようであり、僕たち一年生はそれに合わせて資料を作ったり、備品の用意など手伝いをすることが主な仕事になるとのこと。
主体的に何かをする度胸もない僕にとっては少し気が楽になる話で正直安心しているところではある。
あとは定期的に顔合わせを兼ねた打ち合わせをすると説明を受けている。
あまり発言の機会なんかがないと助かるのだが――。
「あははっ、マジか!」
「本当だって美奈! あんた見てなかったの?」
「いっや全然! 真希、あんたちゃんと声掛けなさいよっ!」
いつものように机に顔を突っ伏しながらぼんやりとしていたところ、どうしたって気になってしまう声が耳に届く。
にぎやかな会話につい耳を傾けてしまえば、否が応でも彼女のことを意識してしまう。
グループカースト一位(暫定)の中でも更に上位、言ってしまえば『女王』のような地位を形成し終えた陽キャ女子の代表――優木美奈さん。
その底抜けに明るい性格や人柄から男女問わず友人が多いクラスの中心人物である彼女と――え、マジか。
本当にあの人と文化祭を盛り上げなきゃいけないの?
『みんな、僕と優木さんに任せとけって! 絶対盛り上げてやっからよ!』
こんな感じ? 誰だお前は。
どうにか適応した自分を捻り出してみたものの実に再現性が乏しい。胃を痛めつけるだけの結果に終わってしまった。
――あぁ、死にたい。
「……たは……ね。……かしら?」
「……ねぇ……けよや!」
……騒がしいなぁ。
優木さんたちとは別の喧騒感。というよりも文字通り喧嘩みたいなやり取りが聞こえる。
バレないようにそっと声のする方に目を向けてみれば、案の定いつもの二人が口論の繰り広げていた。
背が高くガタイの良い茶髪不良系男子こと宮原くんと、学年でも一番を争うほどに可愛いと評判の無表情美少女、柊さん。
ある意味では優木さんよりも目立っている二人組が、今日も今日とてよく飽きもせずに言い争っている。
(あぁ、この人たちとも関わりたくないんだけどなぁ……)
余談ではあるが、うちのクラスでは席の配置を出席番号で決めている。
僕の苗字が『みと』、茶髪の彼が『みやはら』となるため僕らの席は非常に近い。というよりもすぐ後ろの席である。
また同様に『ひいらぎ』さんは僕の隣の席であるわけだが、二人の声がよく聞こえるのは以上が原因となっている。
従って、騒がしい彼彼女のやり取りはすぐ隣の席から聞こえてくるってなもんだ。
それでも、慣れとは恐ろしいもので今では気にも留めないやり取りではあるものの、今日みたいに静かに時間を過ごしたいという時にはやはり気になってしまう。
(……今度、図書館でも行ってみようかな)
教室にいるよりはマシかもしれない。
極力人と関わりを避けるため、学校生活の習慣を変えてみようと僕は行動を起こすことに決めた。
「あ、あの、よろしく」
「あ? あぁ、よろしくな」
本当に神様は僕のことが嫌いなのだと実感する。
何とか接触を避けようと策を練った先でこの有り様だ。
目の前に座る彼――宮原光輝くんと向かい合い思わず小さなため息を吐いてしまう。
(……あぁ、本当に最近ついてないなぁ)
昼休みが終わってからの五限目の授業。
美術室に移動した僕たちクラス一同は、先生から二人一組による写生を課題として出された。
まだ友人関係を築けていない生徒のことを考慮してだろうか、出席番号でペアを組むようにと指示があったまでは良かったのだが、いざ授業に取り掛かれば相手が宮原くんだという現実を突き付ける。
全く話したことのない相手に、しかも一番に関わりたくないと思っていた宮原くんとなんてどんな顔をして話しかければいいのだろうか。
いや、いっそ会話なんてせず黙々と写生を終わらせるべきか――いや、まったく分からない。
「……なぁ、おい」
もし話すとすればどんな話題になるのだろうか。
アニメとかゲーム、はきっと興味がないだろう。とすればスポーツとか?
いや、宮原くんみたいなタイプは車とかファッションの話題が良いのかもしれない。だけどそんな内容僕は詳しくないし、一体どうしたら――。
「おい、聞こえてねぇのかよ」
「え、えと……なに、かな?」
びっくりした。
急に話しかけてくるものだから上ずった声で返事しちゃったけど大丈夫かな。
手元のスケッチブックに絵を描きながら宮原くんが話を続けようと口を開く。
「お前――いや、わりぃ水戸だよな。なぁ水戸はゲームってよくやるのか?」
「え、ゲーム? う、うん。そうだね、結構好きだけど」
「だよな。たまに水戸がゲームしてるところを見ててよ」
え、ゲーム?
もしかして宮原くんも――いや本当にそうか?
「も、もしかして宮原くんもゲームが好きなの?」
「いや、そういうわけじゃねぇんだが」
そう言いながら宮原くんはなぜか眉を顰めながら歯切れが悪くなる。
なんだろうか。話の意図が良く見えないのだが。
「あー、なんていうかだな。ボードゲームって興味あるか?」
……え、ボードゲーム?
ボードゲームって、オセロとか将棋とかそういうやつ?
『ダチと麻雀やるんだけど人数足んなくてよぉ! せっかくだからお前も来いよ。大丈夫、ちょっと金を賭けるだけだからヨォ』
みたいなカツアゲ一歩手前の誘いなのでは?
彼については良からぬ噂を聞くし、もしそうだとすればどうやれば誘いを断ることが出来るのだろうか。
そんな風に嫌な方向へと考えが進み始めた矢先、彼は会話を再開する。
「なんていうかよ、ちょっと訳ありで相手を探してるんだよ」
「そ、それって麻雀とか……」
「あ? いやちげぇよ。俺が探してんのはチェスの相手だ」
チェス? あの宮原くんが?
派手な金髪に大学生だと言っても通用しそうな身体つき。
見る人の多くは不良だと口を揃えるであろう雰囲気を醸し出す目の前の宮原くんが、チェスの相手を探してる?
「あ、あの。僕お金とか持ってなくて……」
「あ? なんで金が要るんだよ」
「え、その賭け事、とか」
「……てめぇ、何を勘違いしてんだ」
動かしていた手を止め、じっとこちらを見る宮原くん。
どうやら口を滑らせてしまったようで気のせいではなく嫌な威圧感を感じ始める。
あぁ、失敗した……というか、もしかして本当にただ相手を探していただけ?
「……いや、俺が悪い。説明もしてねぇしな」
「えっと、チェスの相手を探してるって」
「あぁ。経験者を探してるんだが心当たりがなくて困ってるんだよ」
全然言葉ほど困ってるようには見えないんだけど。
でも、チェスか。やったことはなくもないけど――でもなぁ。
「……宮原くんはスマホゲームって何かプレイしてる?」
「スマホゲーム? よく知らねぇ、というかあんまりやったことねぇ。あれだろ、金出してやるやつ」
なるほど。案の定そういう認識レベルか。
「あ、あのね。実はこういうゲームがあって」
僕はスケッチブックを地面におろしポケットからスマートフォンを取り出す。
そして画面を操作し、宮原くんの顔の前まで持ち上げる。
「ん? なんだこれ」
「えっと、これはね――」
少し前に流行っていたアニメのキャラクターを用いたチェスのアプリケーションゲーム。
僕が好きなアニメで一時やり込んでいたゲームなのだが、段々と課金圧が強くなったことでいつの間にかログインすらしなくなってしまった。
それこそ彼の話を聞くまで忘れてたくらいではあったのだが――。
「これ。このアニメのゲームで少し触ったくらいかな。もし相手を探してるとかならおすすめかも。難易度が選べるから腕前もチェックできるし」
「……相手? 難易度? よく分からねぇが俺がやりてぇのはチェスであってだな」
馴染みのない宮原くんからしたら理解しづらい話かもしれない。
その証拠に若干顔が引きつっていたものの僕はここぞとばかりに説明を口にする。
「いやいや宮原くん。これはキャラクターこそオタクっぽく見えるかもしれないけど内容は本当に良いゲームなんだよ。ストーリーは多分興味ないからいいとして演出とか。ちょっと待ってて――ほら、見てこの演出。業界だと有名な会社が担当してるってのが評価高くて、なんというか最近のゲームにはない魅力があるっていうか」
「おいおい分かった。分かったから止まれ。――分かった、分かったからよ!」
「あ、ご、ごめん。つい話に夢中になっちゃって」
「い、いや、いいんだけどよ。……お前、なんか変わったやつだな」
それはお互い様だよ、などとは言えずに僕は口を閉ざす。
友達とかだったらそんな風に軽口でも言えたのかなと、らしくない考えが頭に浮かぶ。
本当に、僕らしくもない。
「でだ。よく分からねぇんだがそれでそのゲーム、ってのを用意すればチェスの相手が探せるってことなのか?」
先ほどのやり取りを気にせず宮原くんは話を続ける。
まぁ当然か。そもそもチェスの相手を探しているのは彼なのだから。
「そうなんだけど。――ちなみに宮原くん、リアルで指せる人を探してたりするのかな?」
「……リアルってのはなんだ?」
「あ、えっと現実――じゃなくて、例えば僕と対面でってこと」
「あぁ、そういう意味か。そうだな、正直に言えば正面で向かって指し合うのが一番なんだが、水戸が出来ねぇってんならこの際文句は言わねぇよ」
そんな彼の言葉に僕は少し考えてしまう。
ルールは一応知っているし、指そうと思えば多分チェスは指せる。
だけど誰かと対面でなんて経験はないし、言ってしまえば実際の駒になど触れたことすらない。
(……まぁ、でも)
宮原くんの事情は分からないけど、こんな僕に声をかけてくるってことは何か真面目な理由で探しているのかもしれない。
それに、いざ話してみれば決して悪い人ではないというのがなんとなく伝わってくる。むしろある意味では彼となら気の置けない関係を築くことが出来るかもしれないとすら思える。
「そ、その、ゲームで指したことがあるくらいだから腕は立たないかもしれないけど、多分指せる、かもしれない」
気が付けば口を開き、そんな内容を彼に伝えていた。
果たしてどうだろうか。もしかしたらやっぱり僕となんて――。
「お、そうか。それじゃあ放課後に相手してくれよ」
「え? ほ、ほんと? 僕なんかでいいの?」
「なに言ってんだよ。俺が指せるって言ってたんだろ」
「そうじゃなくて――いや、そうだよね。ごめん」
「んだよ。やっぱり変な奴だな水戸はよぉ」
眉をひそめながら苦言を呈する宮原くんだが、そこには侮蔑の色は見えない。
ただただ思ったことを、普通なのだと感じたままに感想を述べているだけのようだ。
『おいおい、水戸がなんかしゃべろうとしてるぜー』
きっと宮原くんは違う。
彼とならもしかしたら、僕は――。