12問目:白 / 黒 Ⅱ ③
「どうもー! お昼ご飯のお届けに参りましたー!」
静寂の空間に響く透き通った声に、ふと時計を見上げれば正午を過ぎていることに気が付く。
どうやら気が付かぬ間に結構な時間を作業に費やしていたらしい。
多くは彼女の相談に乗りながら、次いで自分自身の作品に筆を入れるための構想を固めるべくキャンバスに向かい合う。
そんな幾度となく繰り返してきたいつもの光景を、今日も俺は飽きることなく繰り返していた。
「優木くんか。もしかして先ほどの話か?」
「そうでーす。ぜひ黒崎先輩の感想を聞きたくて」
その両手には大きめの皿が置かれており、その上にはアルミホイルに包まれた何かが乗っかっている。
何かのホイル焼きだろうか。
空き始めた腹を刺激するような良い匂いが教室を漂い始める。
「そうか。すまなかったな。こちらから出向くべきだったか」
「あーいいんですよ。先輩は部活のために来てるんですよね? だったら趣味みたいなので来てるあたしなんかに気を使わなくても」
大げさに右手をぶんぶんと振る彼女は、ひとまずどうぞとばかりに教室の机へと皿を下ろす。
「部員が何人いるか分からないからいっぱい持ってきちゃいましたよ」
そう言いながらエプロンのポケットからペーパータオルに包まれたフォークを取り出し始める。
その数およそ五本程度。普段の人数を考えればなかなかに良い読みをしていると変に感心してしまう。
「そういえば今日は二人だけなんですか? 夏休みだから集まり悪いんですかねー」
「いや、今日はたまたまだと思うのだが。そういえば柏木くんは何か聞いているかな?」
「ん? かしわぎ……ってあれ! 柏木さんじゃん! えー全然気づかなかった!」
今になって一緒にいる女子生徒が自分の知り合いだと気が付いた様子の優木くん。
たしか二人は同じクラスだったはずなのだが、どうやらあまり交友はないのかもしれない。
まぁ彼女と優木くんが仲良くしている姿を想像する方が難しくはあるのだが。
「こんにちは優木さん。ごめんなさい。声で分かっていたのだけれど、こちらに少し集中していたもので」
そんな優木くんの声に応えるかのように、これまでずっと背中を向けていた彼女はこちらへと振り向き挨拶を口にする。
良く見せる余所行きの笑顔を覗かせる辺り俺の推測はあながち間違っていないのだろう。
「えー、逆にごめんね。そっかここって美術部だもんね。うるさくしちゃったあたしが悪いよ」
「ふふっ、ちょっと静かすぎたのでちょうどいいのかもしれません。それよりも、そのお料理は私も頂いて良いのでしょうか」
「うんうん! ぜひ食べて感想を聞かせて欲しいなっ!」
彼女はあまり自分の交友関係について話題にすることはない。
元々他者とのつながりを求めているタイプではなく、むしろ優木くんのように誰とでもコミュニケーションを築こうとする人間とは反対の性格をしている。
自分自身で一定のラインを線引きしているとでもいうべきか、ある意味では優木くん以上に他人との距離感を重要視していると言えるのかもしれない。
「じゃじゃーん! これはなんと、ミートパイでーっす!」
そんなことを考えていた俺を他所に、優木くんはアルミホイルを開き始める。
すぐに立ち込める鼻に抜けるスパイシーな香りがますます食欲をそそる。
「ちょーっと香辛料を多めに入れてるから辛めに仕上がってるんだけど、結構見た目も良く出来てると思いませんか!」
「あぁ。これは美味しそうだな。優木さんは料理が得意なのか?」
「んー、一からレシピを考えるとかはあまりしないですけど、あればこれくらいなら作れるくらいにはって感じですかね?」
なるほど、しかしこれはなかなか。
改めて料理を観察するが、素人目に見ても商品として店に並んでいてもおかしくはないように見える。
味はまだ分からないがこの見た目で不味いなんてこともないだろう。実に良く出来ている。
「優木さんはお料理も出来るんですね。ちなみにこちらはお一人で?」
「いや、実はもう一人いたんだけど、その子も知り合いに届けるって別々に分かれてて」
「そうですか。いずれにせよ、ここまで見事なお料理を作れるなんて羨ましい限りです」
そう言いながら、彼女はフォークを手に取りミートパイに切り込みを入れ、器用にフォークを使い一口サイズにカットし、そのまま口へと運ぶ。
熱々の生地の中から湯気が立ち上り、三度立ち上る香ばしい匂いを腹で感じつつ、俺は彼女の表情が柔らかくなる様子を見届ける。
「……なるほど。本当に良く出来てますね」
それはお世辞ではなく心からの感想だったのだろう。
彼女の口元に自然な笑みを浮かぶのを横目に、今度は俺もフォークを使い、ちょうどよい大きさにカットしながら試食してみる。
サクサクのパイ生地も上手い具合だが、良く溶け合っている具材の数々も強めの香辛料で良い感じに整えている。
なるほど、見た目も良く出来ているが味もそれに負けてない。
「本当に美味しい。良く出来てるよ優木さん」
「マジですか! 嬉しいなー! やったぜっ!」
優木くんは言葉通り嬉しそうにガッツポーズを見せる。
そのまま自分も試食をとフォークを手に取り料理を口へと運ぶ。
「んー! いい感じじゃん! さっすがあたし! そしてありがとー柊さん」
誰かへの感謝の言葉を口にしつつ、次いで自分も褒め始める優木さん。
そんな姿も実に彼女らしいと思いつつ、一方で俺たちは手を止めることなく食事を進める。
食欲が刺激されるというか、味わいながらもつい食べてしまうような非常に素晴らしい出来栄えだった。
「はぁーごちそうさまでした。いやーこれは成功っすね」
「とても美味しかったです。さすがは優木さんですね。これなら彼氏さんも喜ばれるのでは?」
「あれ、良く知ってんね? でもそっか。んー、喜んでくれるかな?」
「えぇ、これほど良く出来た料理ですよ。喜ばない男性はいないでしょう」
お腹が満たされ、俺たちはお互いに一息ついていた。
学校で手作り料理を食べるというスパイスも相まってかその満足度はかなりのものだ。
大げさかもしれないが今日という日を忘れることはないだろう。
「えー、てかさ。あたし前から柏木さんとお話してみたかったんだよね。普段って何してんの? 休みの日は? 彼氏とかいるの?」
「あら、それほどいっぺんに聞かれても困ってしまいます。そうですね、それじゃあまずは――」
食事を終えたことで女子同士の賑やかな会話タイムが始まったらしい。
相も変わらずの勢いで質問する優木くんと、少し困ったような表情で受け答えする彼女の姿は、なんだか見ていて面白く感じてしまう。
彼女のこんな姿を、俺は過去に見たことがあっただろうか。
「何か飲み物を買ってこよう。二人とも何が欲しい?」
「えー、いいですよ。むしろあたしが買ってきますってば」
「食後の運動も兼ねて少し歩きたい気分なんだ。それにあんな美味しい料理をごちそうになったんだから何も遠慮することはない」
俺の一言に立ち上がろうとする優木くんを手のひらで制し、彼女たちから要望を受けた後に教室を後にする。
おそらく彼女と優木くんは普段接点を持たない間柄なのだろう。そんな二人が少しでも距離を縮められれば、そして彼女が優木くんから僅か以上に刺激を受けることが出来ればそれ以上に望ましいことはない。
今年この学校から去る俺とではなく彼女は彼女にとってのコミュニティを築くべきであり、そんな願いが叶えられるのであればペットボトル一本奢ることくらい安いものである。




