クリスマス記念:とある彼と彼女の物語
クリスマス記念的な物語です。
「あちゃー、降ってきちゃったか」
右手をすっと前へ伸ばし、空へと開いた手のひらに白い結晶が降り落ちる様を眺める。
一粒、二粒と乗っかっては文字通り溶けるようにその有様を変化させ、ふいと傾けた右手から地面へと零れ落ちていく。
「そっかー。まいったな。傘なんて持ってきてないよ」
ふと今朝のニュースで雪が降るかもしれないと聞いていたことを思い出す。
今冬初めての降雪の可能性、そんな話を綺麗なお天気お姉さんが解説してくれていたような気もするが、しかし想い返すのは珍しくそわそわとした素振りを見せていた彼女の姿。
あまりに可愛らしいその姿につい見とれてしまったのは男として恥ずべき行為ではないはずだ。
むしろ常識であり当たり前とさえ言えるだろう。異論は認めない。
(――とはいえ、困ったな)
つい先刻に家を出る時には晴れていたものだからすっかり油断してしまった。
少し出掛けるだけだからと財布を片手に家を出たのが運の尽き。
いつも持ち歩いている折り畳み傘も今は部屋に放置されたカバンの中だ。
「……傘、売ってるかな?」
ただ一つ、幸いにも今立っているのは駅近くの道路の上。
少し引き返せばコンビニもあるし、そこで傘を買って帰るというのも選択肢の一つである。
余計な出費には違いないが、この後より強く雪が降る可能性を考えたら致し方ない行動であるともいえるだろう。
決めた以上は即行動とばかりに、百八十度身体の向きを入れ換え今歩いてきた道を戻り歩き始めることにする。
自業自得という言葉を心に刻みながら、ついつい大きなため息を吐いてしまう。
白い息ははっきりと形を成し空へと昇っていく。
十二月二十五日、十九時四十七分。いつか以来のホワイトクリスマスがやってきた。
クリスマス記念:いつかの彼と彼女の物語
「あら、こんなところに真っ白な色男が。すみません、頭大丈夫ですか?」
「……言い返すお言葉もございません」
雪に降られて歩き帰る途中、何故か目の前に彼女が現れた。
こちらといえば、コンビニの店員さん曰く昼頃からお客が多かったとかで結局傘を購入できずに今に至る。
降り積もる雪を遮るものはなく、頭や肩にと真っ白になるまでに時間をそれほど必要としなかった。
「まったく、人がせっかく声を掛けたというのに。話を聞いてなかったのかしら」
「えーっと、何か言ってたっけ?」
「なるほど。よく覚えておくわ」
彼女から放たれるプレッシャーがすさまじい。
とても綺麗な笑顔にも関わらず伝わってくるのは負の感情。
「……すみません。とりあえず傘に入れてもらってもよろしいでしょうか」
「ちっ」
「いや、ほんとごめんて」
今夜はどうにも長い一夜になりそうである。
『風邪を引いたらどうするの? そもそもちゃんと人の話を――』
あの後、説教を垂れながらも彼女は雪を手で払ってくれた。
そんな彼女の姿に愛おしさを感じてしまったことを素直に言葉に表したところ、見事なまでにゴミを見るような目で蔑まれてしまった。
まぁいつもの通りである。
(でも、そんなところが可愛いんだよね)
渡された傘を左手に持ち、彼女が濡れないようにと注意しながら視線を向ける。
左手に腕を絡める形で身体を密着させ、彼女もまたこちらへと意識を向けていることに気が付く。
「どうしたの?」
「いえ別に。あなたこそ」
「え、可愛いなって」
間髪入れずに頭突きをかまされる。
胸元に吸い込まれるように見事に決められるヘッドバット。
思いのほか勢いがあったことに驚きつつ、右手に持つ袋を地面に落とすまいとうまい具合にバランスを整える。
「こらこら、危ないってば」
「軽薄な色男への罰よ。あなたはその軽口を自覚しなさい」
口では文句を言いつつも腕から身体を離す素振りは見せない。
そういうところなんだよなー、なんて思いながらも口に出すのはやめておく。
いま言っても機嫌を損なってしまうだけだろうし、その言葉は後で伝えることにしよう。
勢いを増す雪の量に、周囲の世界は真っ白に染まりつつある。
静かな世界で、しゃりしゃりと降り積もる雪を踏みしめる音だけが耳に届く。
「ねぇ、何を買ったの?」
家に着くまで約五分。
残りわずかの距離で、待ちきれなかったのか彼女は右手に持つ袋へと視線を向ける。
「全部で四つ。なんだと思う?」
「モンブラン。あるわよね?」
「うん。渋栗のやつ」
「私のでしょ?」
「もちろん」
その言葉に口元を緩め、嬉しそうな表情を浮かべる彼女の姿に満足感を抱きつつ、話を促すことにする。
「さて、残り三つはなんでしょう」
「チーズケーキは?」
「あー、売り切れだったんだよね」
「……なんて使えない男」
「その代わりに限定のフルーツタルトってのがあってね」
「素敵ね。さすがだわ」
「でしょ? まぁ僕の分なんだけど」
「え? あなたの分のケーキって必要かしら?」
「まぁまぁ、少しあげるからさ。一緒に食べようよ」
八割ぐらい真剣そうな冗談を言いながら、唐突に彼女は左肩に頭を乗せる。
ぽふっと軽い音がしそうな可愛らしい仕草で、重さを感じさせない様子でただただ左肩に熱だけを伝えて。
「……もしも、歩きにくいって言ったら怒る?」
「……そうなの?」
「さぁ、どうだろうね」
別に急ぐ理由もなければ彼女と過ごす時間が減るわけでもない。歩くペースが落ちることなんて何の障害にもなりはしない。
彼女の可愛らしい姿を見れるだけで心が満たされるまである。
「……ねぇ、もしも今この瞬間。私といるこの時間が夢だと言ったらあなたはどうする?」
ふと、ぽつりとつぶやいた彼女の言葉が耳に届く。
少し寂しそうに、感情のこもったつぶやきは足を止めるには十分だった。
「どうしたの? 変なこと聞くね」
「なんとなく。そうね、少し感傷的になってるのかも」
彼女もまた足を止め、傘越しに空を見上げ始める。
雪は未だ止むことなくしんしんと降り続けている。
ホワイトクリスマス。それは二人にとって特別な意味を持つ言葉で、それ故に彼女の気持ちが手に取るように分かる。
「そうだね。それはなんともお得な話だ」
だから、自分の思っていることを正直に伝えることにする。
「……その心は?」
「夢の中で君とクリスマスを過ごしているんだろ? 現実ではぜひ違うシチュエーションで一夜を共にしたいね」
くるりと身体の向きを変えて、向かい合う形で彼女の正面に立つ。
傘から手を離し、そのまま身体を包み込むように右手で背中を抱きかかえ、左手は彼女の頭の上にそっと乗せる。
出会ってからずっと伸ばし続けていた綺麗な黒髪を視界に映しながら、彼女の熱い吐息を胸に感じながら身体を抱きしめる。
「……あなた、どきどきしてるわね」
「してるさ。いつもそうだろ?」
「変態」
「お互い様さ」
どれくらいの時間を過ごしていたのだろうか。
二人の肩には雪が積もり始め、身体も少し冷えてきた。
「さぁ、帰ろう。クリスマスパーティの続きをしなくちゃ」
「――えぇ、帰りましょう。まったく誰かさんがケーキを買い忘れなければこんなことには」
「えぇ、だって君が美味しいケーキを作るって張り切ってたから」
「そうだったかしら?」
「へぇ、しらばっくれるんだ。それならこちらにも考えというものが――」
軽口を叩きあいながら、二人で再び道を歩き始める。
夢かもしれないし現実なのかもしれない。
それは、あり得る可能性の一つ。
これから進み、今まで歩いてきた道のりの先にある未来の一つ。
二人で選んだ選択肢の果て。
「ねぇ、好きよ」
「そっか、僕なんか愛してるけどね」
――これは、とある彼と彼女の物語。
《了》




