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夏休み:二年生女子たちの過ごし方 ④

現在三話を修正中。

「……ここは、わたしが幼い頃よく訪れていた部屋になります」


 入り口近くにあるスイッチを押すことにより灯された明かりで、ここがどんな場所であるのかを知ることが出来た。


「――ここは、書斎?」

「本が、いっぱい」


 辺り一面に並べられた本棚を見渡し、わたしと桜ちゃんは視線を合わせる。

 部屋の広さはわたしたちにそれぞれ用意された個室と変わらないくらいの大きさで、しかしその造りは少し異なるようにも見える。

 また何より目を惹くのが壁面に敷き詰められた本棚の数々。隙間も見えないほどに隅から隅まで並べられたそれらの数は両の指を超えている。

 

「だけど、なんか――」

 

 ただ、わたしはこの部屋をどこか不自然なものに感じていた。

 目について本棚に手を伸ばし、その中から一冊の本を手に取る。

 ページをめくり中を確認するに、この本は少し古いものらしい。ふと匂いをかいでみると日に焼けたような古本独特の香りがする。

 

「そうでしょう。いかがですかこの部屋は」


 問い掛けるような紅葉の話し方に、わたしは思わず眉を顰める。

 なんというかいつもの紅葉らしからぬ雰囲気を感じたからだ。


「……どうって言われても、ただの書斎にしか――」

「友奈ちゃん」


 服の裾を引っ張られた方に振り向くと、桜ちゃんがこちらをじっと見上げていた。


「どうしたの桜ちゃん」

「この部屋、窓がないね」


 その言葉にはっと気が付き改めて周りを見渡す。

 壁一面に(・・・・)敷き詰め(・・・・)られた本棚(・・・・・)――それはつまるところ、その他に一切の景色が見えないということ。

 例えば、ここが旅行客にあてがう部屋でないと言われればそれまでだ。物置だと、あるいは資料室だと説明されれば納得するほかない。

 だけどこの部屋から感じる何かがその考えを否定してくる。それは間違えであると訴えかけてくる。

 きっと桜ちゃんも同じように感じたからこそ、わたしに疑問を問うてきたのだろう。


「このお屋敷(・・・)は、元々は古い知人の所有物でした」


 少しの間をおいてから口を開き始める紅葉は、部屋の奥に一つだけ置かれた机に向かって足を進める。

 手を伸ばし、撫でるように触れる彼女の表情をうかがい知ることは出来なかった。


「小学生の頃になりますが、わたしは父の付き添いでこのお屋敷を訪れたことがありました。正確にはパーティに招待された父に連れられてと表現するのが正しいのですが」

「ここで、パーティ?」

「えぇ、そうです」


 その話にわたしと桜ちゃんは視線を交わす。

 今日一日過ごしたが、この施設が元々『お屋敷』であると言われてもしっくりこなかった。

 そういったものに縁がないわたしではあるが、ここでパーティを開催すると言われてもあまりイメージが出来ない。

 大勢が集まれるような施設ではないと感じていたからだ。

 そしてその考えはどうやら彼女にも伝わっているようであった。


「とはいえパーティと言っても規模は小さいものでした。外にあったテニスコート、あそこにテーブルを用意して十数人程度でお話をするような身内の集まりと言えば分かりやすいのかもしれません」


 ふと今は見えないテニスコートに視線を向ける。

 よくドラマや漫画で見るような貴族たちの立食パーティのような光景が繰り広げられていたのかもしれない。


「そんなあの日、わたしがよほど退屈そうに見えたのでしょう。ある一人のお爺様が気を使ってお声を掛けてくださいました。大人ばかりでつまらないよね、一緒に素敵な場所に案内するよと」

「……なんか、言葉だけ聞くと、怪しい人みたい」

「ふふっ、そうかもしれないですわね」


 この部屋に入ってから始めて紅葉の笑い声を聞いた気がする。


「そのお爺様は父と懇意な間柄の方でした。父もわたしの様子が気がかりだったようで、お爺様の言葉に頭を下げていたことをよく覚えています」

「他に子供はいなかったの? ってかなんで紅葉をそんなパーティに連れて行ったのよ」


 そのわたしの問いかけに、紅葉は答えることなく話を続ける。


「……わたしはそのままお爺様に連れられて屋敷の中を案内されました。実際は特に興味を引かれるような場所があるわけでもなく、屋敷をぐるぐると歩き回っていただけなのですが」


 紅葉が桜ちゃんの方へと顔を向ける。

 とても穏やかな表情で、それでいて何か懐かしみを感じているようにその瞳はどこか遠くを見ていた。

 この表情はたしか――。


「あの窓からの景色――」

「……さっきの?」

「そうです。夜に見上げる景色がとてもきれいだと、お爺様も同じ事を仰ってました」

「……うん、すごい綺麗だった」


 口元に笑み浮かべ、彼女は次に一番奥に位置する本棚に向かって歩き始める。


「外にいたときにはまったく気が付かなかった光景を、わたしはお爺様に教えて頂いたことで初めて認識することが出来ました。夜空はそれほどに美しいものだと識ることが出来たのです。――そしてもう一つ」


 手を伸ばし一冊の本の手にとった紅葉はページをぱらぱらとめくり始める。

 やがてぴたりと手を止め、そこに挟まれた一枚の紙を抜き取る。


「――わたしは、この部屋で『あの人』と出会いました」


 本を元の位置に戻し、紅葉はその手に取った紙を浴衣のポケットへとしまい込む。


「その、『あの人』っていうのは……」

「……わたしにとって、とても大切な人です。――いまでも、ずっと……」


 ふといつかの手紙が脳裏をよぎった。

 紅葉と仲良くなるきっかけとなったあの日、彼女の鞄から零れ落ちた一通の手紙。


「その人は、紅葉さんの、好きな人?」

「ふふっ、それは秘密です」

 

 あの手紙をお守りだと言っていた彼女の言葉は今でもよく記憶に残っている。

 それは要するに、ただの知人からの手紙ということではないのだろう。

 何の感情も抱かない相手からの手紙を、お守りなどと呼ぶことはないはずだ。


「ねぇ、紅葉。結局なんでわたしたちをこの部屋に呼んだのよ。案内したいって言ってたでしょ?」


 そろそろ本題を聞きたいと、わたしは話を切り出すことにする。

 なんとなくだが、ここから先が彼女の本当の目的なのだとわたしは悟る。

 良い話か悪い話か、いずれにしても最後まで話を聞く心構えは出来ている。


「あ、いえ。ただこの部屋を見せたかっただけです。本がいっぱいですごいですよねって」

「……なんだって?」

「ですから、こんなにたくさんの本が」


 え、この子は一体何を言っているの?

 さっきまでのシリアスな空気はどこへいったの?


「見たことのない、本がいっぱい」

「小説もたくさん置いてありますの。ここにいる間は好きなだけ呼んでいいですよ」

「……それは、悩んじゃう」


 いつの間にか桜ちゃんはすっかり適応しあちら側へ。

 というか、最初から真面目な話なのだと感じていたのは私だけなのでは?


「……え、もしかしてただの惚気話?」


 口に出してみれば、段々とそんな気がしてきた。

 え、うそ……なんか恥ずかしくなってきた。


「……ねぇ紅葉、もう一回お風呂に入ろうぜ」

「え、さすがにこの時間はもう入浴出来ないかと思いますが」

「うるさーいっ! いいからその乳もませろぉぉぉ!」

「ち、ちょっと……嘘ですよね。さ、桜さん、なんとか――ってちょっと! い、いやぁぁぁっ

!!」


 その後、彼女の悲鳴により駆け付けた家政婦さんたちにわたしたちの痴態を目撃され、わたしは紅葉にこっぴどく叱られる羽目に。

 ちなみに桜ちゃんは部屋に持ち込む本を探していたのか、こちらに一切関心を示していなかったことが少し寂しくもあった。

 ――てか、わたし今日こんなんばっかりだな。ちくしょうがっ!





 夜も更ける頃、いつの間にか眠りについた友人たちを他所にわたしは一人部屋を出る。

 三人それぞれに部屋を用意したにもかかわらず、結局はみんなで集まって盛り上がり、気が付けば寝てしまうというなんとも学生らしいお泊り会が、わたしはたまらなく嬉しかった。

 友奈さんと桜さん。彼女たちに出会えたことがわたしにとっての幸せだと改めて実感する。


「――本当にわたしは幸せ者ですね」


 わたしは今日一日の彼女たちとの出来事を思い出しつつ、懐中電灯を片手に足を進める。

 最上階に位置する部屋。

 この旅行の目的の一つでもある、あの許されざる部屋。

 胸の内に秘めた想いをそのままに、わたしはかの部屋へと訪れる。


『君をここへ連れてきたかったんだ』


 わたしにはいま二つの道が存在します。

 一つはこのまま、あるがままを受け入れ人生を過ごしていく道。

 良き友人とともに時間を過ごし、やがて決められた婚約者と結婚しその生涯を終えるという四条家の女性として定められたレールの上を歩き進む人生。

 父と母、四条家の誰もが思い描く未来のカタチ。おそらくそれが、わたしにとって最良の選択なのでしょう。

 ――ですが、それとは別にもう一つの道をわたしは選ぶことが出来るのです。


『この部屋に隠れている子を君は探し出すことが出来るかい?』


 鍵を差し込み扉を開く。

 懐中電灯の明かりを照らし、音を立てないように静かに部屋へと足を踏み入れる。

 後ろ手に扉を閉め、まっすぐに机へと歩み進む。


『君は、とても賢い子だね。そして優しい子でもある』


 カタリと懐中電灯を机の上に置き、ポケットに収めた一枚の紙を手に持ちあげる。

 光の当たる位置に紙を動かし、そこに書かれた文字を読む。


「……ねぇお爺様。わたしにはやっぱりこの気持ちを抑えることなど出来ません」


 先ほど桜さんに好きな人なのかと聞かれた時、わたしは答えを出すことが出来ませんでした。

 あの人――彼に対する気持ちを言葉にすることに抵抗を感じてしまったから。


「何事もなかったのだと彼を忘れられるのであれば、あるいはそれでも良いのかもしれません。でもそれは、わたしのこれまでを否定することに他なりません」


 椅子に腰を掛け、ひやりと冷える机にぴたりと頬をくっつける。

 伝わってくる冷たさがあの頃を感じさせる。


「例えどのような結果になろうとも、わたしは後悔だけはしたくありません」


 音のない静かな部屋で、わたしは過去に想いを馳せる。

 結局わたしはまだこの部屋に捉われているのだと改めて自覚する。

 大切な友人たちと訪れた時でさえ、わたしの想いは彼へと向けられてしまったのだから。


「だから見ててくださいお爺様。わたしは決して諦めません」


 覚悟を伝えるように、気持ちを言葉に空へと届ける。

 腕に力を入れて立ち上がり、未練を断ち切るように部屋を後にする。


「もういいの?」

「――えぇ、大丈夫です」


 部屋の外に立っていた彼女――明石友奈さんに声を掛ける。

 

「悲鳴でも上げるかと思ったのに。もしかして気付いてた?」

「なんとなくですよ。部屋の前に誰かいるような気配がありましたから」

「……紅葉って本当に変わってるよね」

「それはお言葉を返しますわ」


 互いに思っていることを遠慮なく口にして、やがてそれは笑い声に変わる。


「ふふっ、友奈さんとはいつもこんなやり取りばかりしている気がしますわね」

「そうかもね。わたしも紅葉がこんなにいじりがいがあるなんて知らなかったわ」

「――何も聞かないんですの?」

「別に。必要になれば聞いてあげるわよ」


 さ、帰りましょ。そんな風に前を歩き始める彼女の背中が、わたしにはとても眩しく見えた。

 ――本当に、わたしは良き友人に出会えたものですね。


「そういえば明日はどうするの?」

「この近くに綺麗な小川が流れてるのですが、そちらにお連れしようかと」

「お、いいねぇ。一応水着とか持ってきて良かったぁ!」

「えぇ、わたしもとても楽しみです」


 いまはただ、お二人との旅行をゆっくりと楽しむことにしましょう。

 彼女らとともに過ごすこの時間を、いつか大切な記憶だったと思い出せるように。


 ――そして、わたしは今とても幸せなのだとお爺様に伝え届けられるように。


《了》

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