夏休み:二年生女子たちの過ごし方 ③
その後なんやかんやと色々あったものの、四条家の家政婦さんに声を掛けられ、わたしたちは旅館へと戻ることとなった。
元々長風呂が好きなわたしたち三人だったがどうやら考えていたよりも長い時間を湯船の中で過ごしていたようで、脱衣所で時計を確認した時には驚いたものだ。
ちなみに後で紅葉に聞いた話だが、本当は家政婦さんが迎えに来る予定はなかったとのこと。
曰く夕食の時間近くになっても姿を見せないわたしたちを心配して確認しに来てくれていたそうだ。
いやはや三人寄ればなんとやらとはよく言ったものである。
「ねぇ、友奈ちゃん」
洋服の裾をぎゅっと掴まれて、廊下を歩いていたわたしはその場で立ち止まる。
ふと隣を見れば桜ちゃんが窓から外を眺めていた。
いつの間にやら辺り一面が暗闇に包まれて、明るかったはずの空には散りばめられた星々の光が目に映る。
「綺麗、だね」
わたしたちの地元でも十分に綺麗な夜空を眺めることは出来る。
だけど、今日この場所で見る夜空は心なしかいつもより素晴らしい景色に見えるような気がする。
きっと桜ちゃんも同じような気持ちでいるのだろう。
どこにいても見上げる空に違いはないはずなのに、そのことがなんだか不思議に思えてくる。
「そだね。綺麗な星空だ」
「――えぇ、とても素晴らしい景色ですね」
窓に手を当て、同じく空を眺める紅葉がぽつりとつぶやくように言葉を落とす。
それは本当に小さなつぶやき声で、もしかしたら無意識に出た独り言なのかもしれない。
多分わたしを挟んで反対側に立つ桜ちゃんにはきっと声が届いていなかっただろう。
まるで今ここに自分一人しかいないと錯覚しているかのように、そんな無防備な様子でただ空を眺める彼女の姿を、わたしは何故か目を離すことが出来ずにいた。
――その一心に何かを見つめる瞳に、不思議な魅力を感じていた。
「――実はお二方にご案内したい場所があるのですが、夕食の後で少しお時間を頂いてもよろしいですか」
少しの時間を経てから紅葉が口を開く。
気が付けばいつものように笑みを浮かべて話を続ける彼女の様子に、なんとなしの安心感を抱きつつ会話に耳を傾ける。
「大丈夫。友奈ちゃんも、平気?」
「もちろん大丈夫。それで、どこに連れて行ってくれるのかね」
わたしと桜ちゃんから何か異論が出るわけもない。
それに紅葉からの誘いともあらば、期待するなというのが無理な相談である。
「ふふっ、それはまた後でお伝えしますね。さぁ、まずは夕食を頂きましょう」
「えー、いま聞きたいよね桜ちゃん」
「聞きたいけど、お腹空いた」
くぅーと可愛らしい音が聞こえる。
表情は変わらずともお腹を押さえて、桜ちゃんは少し困った様子を見せていた。
「……あの、ね」
「どうかしら紅葉。これが桜ちゃんの魅力よ」
「そうですね。とても可愛らしくて同性ながら見惚れてしまいそうです」
「……二人とも、いじわる」
拗ねたように歩き始める桜ちゃんの後ろ姿に、わたしと紅葉は顔を合わせて思わず笑ってしまう。
「待ってよ桜ちゃん。わたしが悪かったってば!」
先を行く友人に追い付こうとわたしは紅葉と二人で駆けだす。
それほど離れていない距離をすぐに詰め、届いた背中から首に腕を回し彼女の小さな身体に抱き着く。
「……歩きにくい」
「えぇ、いいじゃんか。コミュニケーションってやつですよ」
言葉では邪険にしながらも決して振り払おうとはしない桜ちゃんの様子に満足感を抱きつつ、わたしたちは用意された部屋へと向かう。
なお、その後ぐぅーと大きな音が誰かのお腹から聞こえた話は名誉のために割愛させていただこう。
「さっきの、友奈ちゃんの、お腹の音、すごく大きかった」
「まだ言うかちくしょうめっ!」
「ご飯の量足りましたでしょうか」
「どうもおかわりまでさせていただきましたよっ! 美味しいご飯をありがとうございますっ!」
先ほどの復習をとばかりに虐められつつ、食事を終えたわたしたちは紅葉の案内で旅館の中を歩いていた。
どうやら彼女の案内したい場所というのは旅館の中にあるらしい。
「……ずいぶんと、お腹が大きくなった。そろそろ、生まれる?」
「もぉー、ごめんて桜ちゃん! そろそろ許しておくれよ」
歩きながらぽんぽんとわたしのお腹をノックする桜ちゃん。
先ほどの県がよほど恥ずかしかったのか悔しかったのか、いじり方が留まることを知らない。
しかし実際ヤバかった。
ただでさえ完全に空腹だったことに加えての、紅葉の予告通りに美味しい食事の数々。
新鮮なお刺身に山菜の添え物、さらにこれまた欲しいところに用意された鶏のから揚げ。
どれも丁寧に調理されたことがよく伝わってくるほどに、とても美味しい仕上がりになっていた。
食の細いあの桜ちゃんでさえ箸が止まることなく進んでいたほどだ。
恐るべし四条家の食卓。
――と、ここまでは良いのだ。
問題はこの後、家政婦さんが浴衣を用意してくれたところから事件が始まる。
『……友奈ちゃん、お腹出てるね』
食い過ぎた。
ただその一言に尽きる。
というかわたしも一応乙女の端くれだ。
ダイエットもするし、体重には敏感なお年頃である。
なのに、それを……それを――。
『友奈ちゃん、お腹膨らんだね』
無邪気な言葉というのは、時に人を傷つけるものだと、わたしは泣きながら彼女に訴えかける羽目になった。
「まぁまぁ桜さん。友奈さんも反省しているようですし、もうその辺りにしてあげてはどうですか」
慈悲の心を以って優しい女神がとりなしのお言葉を掛けてくれている。
なんと優しい――というか、あれ? 冷静に考えてなぜわたしだけがこんな目に。
「さぁ、もう着きますよ。――この部屋、この場所をお二人にお見せしたかったのです」
廊下を歩き辿り着いたのは何の変哲もない部屋の扉の前。
階段を上りきったところからするに最上階の部屋の一室だろうか。
もしかしたら見晴らしのいい部屋、なんて場所なのかもしれない。
そんな推測を立てている頃、紅葉は袖から一本の鍵を取り出し、それをじっと見つめ始める。
「……紅葉、さん?」
躊躇っている、わけではなさそうだがどうにもすぐに扉を開けようとはしない。
声を掛けようかと口を開くも、紅葉の表情を視界に収めた瞬間につい閉ざしてしまった。
思い返すのは先ほどの彼女の、何かを見つめるあの真剣な眼差し。
桜ちゃんもわたしと同様に何かを感じ取ったのか、その後何も言わずにじっと紅葉を見続けていた。
「――すみません、お待たせしました。いま部屋を開けますね」
決心がついたのか、ようやく手を動かし始めた紅葉は扉の鍵穴に手を伸ばす。
カチリとたしかな開錠の音を聞きながら、彼女はその扉をゆっくりと開き始める。
ドアから覗くその部屋は薄暗く、一見するだけでは中を除くことが出来なかった。
「……ここは、わたしが幼い頃よく訪れていた部屋になります」
入り口近くにあるスイッチを押すことにより灯された明かりで、ここがどんな場所であるのかを知ることが出来た。
「――ここは、書斎?」
「本が、いっぱい」
辺り一面に並べられた本棚を見渡し、わたしと桜ちゃんは視線を合わせる。




