夏休み:二年生女子たちの過ごし方 ①
「いっくよーっ! それっ!」
「さすがいいコースを狙ってきます。――ですが、はいっ!」
照り付けるような日差しに肌を焼かれながら、わたしはボールを追いかけテニスコートをあちらこちらと駆け回っていた。
隅から隅まで、左右前後に揺さぶられながら必死になってボールを拾っていく。
そんな嫌らしいゲームメイクもさることながら、地面に反射する熱も合わさり、わたしの体力が必要以上に奪われていくのを感じる。
この女、思った以上に手強い相手である。
「くぅ、その顔に似合わず嫌らしい試合運びをするよ――ねっ!」
「それは誉め言葉として受け取っておきますね、っと!」
「……ゲーム。四条リード」
苦し紛れに撃ち込んだボールを見事に逆へと突き返される。
それほど悪いコースではなかったはずだが、彼女相手では絶好の位置取りに返してしまったようだ。
敵ながら実に見事だと褒める他ない。
「明石、サービス、プレイ」
審判役を務めてくれている友人からボールを受け取り、わたしはサーブを打つべくコートの後方へと歩き下がる。
わたしはここから先の試合運びを脳裏に浮かべ考える。
その可愛らしい見た目からは想像もつかない俊敏さで広いコートをカバーする敵相手にどう立ち回るのが効果的であるのか。
そしてわたし自身が何をすべきなのか。
「――すぅ、はぁぁぁっ」
一度大きく深呼吸し、乱れた呼吸を整える。
頭の中をすっきりさせ、気持ちを切り替える時に実施するわたしのルーティンの一つである。
「いやー強いね。聞いてはいたけど、まさかここまでとはね」
「いえいえ、それを言うなら友奈さんこそ。私が知る限り同い年でここまで動ける女性を他に知りません」
「……自分以外は、でしょ?」
「さぁ、それはどうでしょうか」
不敵、というにはあまりにも柔らかすぎる笑みを浮かべる彼女に、私は意地でも負けまいと今一度身体を奮い立たせる。
それに元よりこちらの得意分野で勝負をしているのだ。
一度たりとも負けるわけにはいかない。
「……ふぅ、よしっ」
目を閉じ、頭の中で自分という存在をリセットする。
余計な雑念を払い試合に集中する。
世界はいまコートの中にしか存在せず、わたしはただこの場所で相手に打ち勝つ。
ただそれだけをイメージし、ボールを大きく空へと放り投げる。
姿勢を正し、膝をバネに変え、肘を曲げ、そしてタイミングを合わせて落下してくるボールを一直線に撃ち込む。
維持と意地とぶつかり合いは、今まさに佳境を迎えようとしていた。
季節は夏。
照り付けるような日差しが肌を焼く時期に、わたしはとある別荘を訪れていた。
毎日のように聞こえてくる猛暑日の言葉にうんざりし始めた頃、わたしの親しい友人から誘いを受けたことが事の発端である。
『別荘へ遊びに行きませんか? 避暑地としてはとても適している場所になるのですが』
避暑地、なんて響きのよい言葉なのだろう。
しかも別荘?
なんかよく分からないが、きっと最高の組み合わせに違いない。
そんな風に断る理由など露ほどもないわけで、わたしは友人の誘いに二つ返事で参加の意を表明した。
何をするとも決めていなかったこの夏休みにして、きっと素晴らしい思い出になるに違いないと、わたしは期待に胸を膨らませていた。
「ようこそお待ちしておりました。友奈さん。桜さん」
まずは集合場所として、一度駅前の広場へと集まることにしたわたしたち。
二泊三日で計画されたこの旅行の主だった参加者は三人。
わたしこと明石友奈と仲の良い友人である氷室桜ちゃん、そして主催者である四条紅葉さん。
とある事情から知り合い、一緒に行動するようになったいつもの仲良し三人組である。
「お誘い頂き光栄ですわ紅葉さん」
「……なんか、友奈ちゃん、変」
「変ってなんですか。いい桜ちゃん? こういう上品な旅行というのは言葉遣いから正していくものであって」
「今日は、よろしくね。紅葉さん」
「はい、よろしくお願いしますね。桜さん」
場を盛り上げようと会心のボケを見せるも見事にスルー。
後ろガン無視と言っても過言ではなかった。
「……最近、紅葉もこう遠慮が無くなってきたよね」
わたしを置いて未だ会話を続ける二人の間にずるっと割り込み、ぼそりと恨み言を呟く。
「えぇっと、そうでしょうか」
「多分慣れただけ。大丈夫、問題ない」
困り顔で苦笑いを浮かべる紅葉と、さも当然といった様子でさらりと受け流す桜ちゃん。
相も変わることのない無表情の中に呆れの感情が見えたのはきっと気のせいだろう。
「もういいさ。それよりも桜ちゃん、今日はオシャレさんだねっ!」
桜ちゃんの特徴である腰まで伸びた長い黒髪が目を惹きつつも、今日はその頭に被さっている白い麦わら帽子が印象に残る。
彼女の艶やかな黒髪とは対極の白色がなんだかとても映えて見える。
またその服装も白いワンピースとこれまた清楚な雰囲気を醸し出しており、まさしく深窓の令嬢とでも呼ぶべき儚さを感じさせる。
なんという可愛さよ。我が親友。
「そうですよね。本当によく似合ってますよ桜さん」
「……ありがとう。なんだか、照れる」
一方で、こちらも全くもって負けてなどいない。
今日は赤いカチューシャをトレードマークとして付けている紅葉。
いつもは包み込むように柔らかな雰囲気が人目を惹きつけるが、やはりというべきかそのずば抜けた容姿こそ彼女の大きな魅力と呼べるのだと実感する。
綺麗でふわふわとした黒髪もさることながら整った顔立ちに絶妙に細った身体のライン。
にもかかわらず一部強調している部分があったりと、改めてまじまじと見てみれば実に端麗な女性であることがよく分かる。
「……ちっ、反則かよ」
「……友奈ちゃん?」
「いや、なんでもない」
「あのー、考えてることが口に出ているというか、そのー」
なんと言葉にしていいのか分からないといった様子で苦笑いする紅葉に対し、わたしはその顔よりやや下に目線を落とし無言の視線を向け続ける。
「ねぇ桜ちゃん」
「なに?」
「わたしこの旅行で目標が出来たよ。――あの巨乳を揉み砕く」
「砕かないでね」
「……普通そういうことは本人のいないところで話すものではないのですか?」
ある種の想像通り、わたしたちは四条家用意の車に乗って別荘へと向かうこととなった。
わたしとしては電車でも良かったのだが、どうやら四条家の決まりごとは思った以上に厳しいものらしかった。
後で聞いた話だが、紅葉は今まで数える程度しか電車に乗ったことがないそうだ。
だからといって憧れのような感情を抱くことはないそうだが、そんな彼女の表情になんとなく少しの寂しさを感じたような気がした。
ともあれ、この旅行は楽しい思い出として記憶されることはすでに決定事項である。
この移動時間もまた然り。
僅かな時間でさえも楽しまなければ損というものだ。
「そういえば、これから向かう場所ってどんなところなの?」
「四条家の別荘ですね。山の中に建てられた別荘なのですが、木陰が多く空気も美味しいのでとても快適な時間を過ごせると思いますよ」
車の中にもかかわらずテーブルが置かれていて――なんてことはなく、至って普通の車の中でわたしたちはこれから向かう場所についての話で盛り上がっていた。
「その別荘には、よく行くの?」
「毎年夏に訪れますの。ちゃんと人に管理してもらっている別荘で、よく手入れをして頂いていることもありとても綺麗なんですよ」
「へぇー。ちなみに普段って何かに使ってる別荘なの?」
「いえ、毎年この夏だけ利用する別荘です」
いまさらりと、なんだかとんでもない金銭感覚の差を感じさせられたような気がする。
一年に一度しか訪れない別荘の管理、手入れってどれくらいお金がかかるものなんだろうか。
物語でしか聞いたことのない世界に、わたしは心の中で驚きを隠せずにいた。
そんなわたしの心境を知ってか知らずか、紅葉は窓の外を少しの間眺めた後に口を開く。
「――実はその別荘、わたしの所有物なんです」
二度目の驚愕。
「え、所有物ってなに? 高校生って別荘とか持てちゃうの?」
「友奈ちゃん、驚きすぎて、日本語がおかしくなってる」
変わらず冷静な桜ちゃんの様子に少し落ち着きを取り戻しつつ紅葉との会話を続ける。
「なんというかその――わたしが我儘を言って両親に譲り受けた別荘、というのが正しいのかもしれません」
「それでも十分凄いんだけど。そんなにお気に入りの場所なの?」
「もしくは、思い出の場所とか?」
規模が大きすぎてピンとこないのだが、別荘を自分のものにするってのはお金持ちの家にとってどのような価値観の話なのだろうか。
子供が母親にお菓子を強請る程度の話なのか、それとも一般的なサラリーマンがマイホームの購入を決心するような一大イベントに等しいのか。
こう言ってはなんだが、全く気持ちが分からなかった。
「とても素敵な場所なんです。親しい友人である二人にも気に入ってもらえると嬉しいです」
口元にいつものような柔らかい笑みを浮かべつつ、その後も紅葉は別荘の特徴について色々な話を聞かせてくれた。
桜ちゃんは何を言うでもなく紅葉の話を聞いていた。
わたしはわたしでどんな楽しみがあるのかとワクワクしながら紅葉の話に相槌を打つ。
こうして女子三人の姦しい旅行は始まりを迎え、そして時間は冒頭まで遡る。




