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11問目:勝利 / 敗北 Ⅲ ②

「宮原、二番卓の片付け頼めるか。ピークになる前に少しでも席の準備を進めておきたいのだが」

「すみません、飲み物の注文をいくつか受けてて。十分あればなんとか」


 夜を迎えれば店はその有様を変えていく。

 仕事で溜まった疲れを酒の力で燃料へと変換し、まだ配慮することを覚える前の子供のような様子で大人たちは賑やかさを増していく。

 恥も外聞もなく大声で談笑する男たち。

 矢継ぎ早にとめどなく話を繰り広げる女たち。

 人目も憚らず騒ぎ立てる大人たちの宴会はいつも俺を振り回す。


「ねぇねぇお兄さん年いくつ? 大学生くらいかしら」

「あー、自分まだ高校生なんすけど」

「えー! そうなの! 全然そうは見えないわねー」


 忙しそうに見せる俺の姿などお構いなしに、馴れ馴れしく話しかけてくるお客(酔っ払い)は珍しくもない。

 世の中にごまんとある居酒屋でも、おそらくは同じような光景が繰り広げられているのだろう。

 日々こんな面倒事に巻き込まれながらも笑顔で仕事をこなしていく店員がいるとすれば、お客(酔っ払い)は全員感謝の言葉を伝えるべきだ。

 ――例えばあの人のように。


「おーいお兄さん! 注文良いかなー」

「はいただいま伺います。お客様こちら注文されたお飲み物です」

「ありがとー! あ、注文良いですかー?」

「先に注文を頂くお客様をお待たせしておりますので少々お待ちください。すぐにお伺いに参ります」


 すげぇと、ただただ感嘆してしまう。

 効率よく注文を捌いてるとか客のあしらい方が上手いとか、驚かされる部分は多々あるものの、何というかそれ以上にただただ格好良い。

 品がある姿だとそんな表現が正しいのかは分からないが、とにかく見ていて気持ちが良く安心感があるとさえ言える。

 会話が上手い人間と話をする時、人の幸福値は上昇すると聞いたことがあるがそれに近いのかもしれない。

 飾り気はないが顔立ちは整っており、先輩は間違いなくイケメンの部類に入る男性だ。

 

「……やっぱ先輩はすげぇな」


 最初から先輩の動きについていけるなんて思ってはいなかったが、せめて足を引っ張る真似はだけは避けたい。

 俺は気持ちを入れ替えるためゆっくりと深呼吸をする。

 乱れている呼吸を整え、いつもの感覚を取り戻す。

 一度頭をすっきりさせてからメモを取り出し、本日書き始めた最初のページに目を通す。

 まずは情報の整理から。

 客の注文を捌くにあたり仕事の速さは必要だがそこで焦ってはいけない。

 ミスをせず余計な仕事を増やさない。

 先輩のように一つ一つ目の前の仕事をこなしていき、少しずつでいいから効率の良い動き方を見つけていく。

 大丈夫だ。やってることは俺も先輩も変わらねぇ。

 ただ先輩の方がそういったことに慣れてるってだけの話だ。


「……よし、やるかっ」


 未だ収まらぬ酔っ払い達の宴の中、決意を以って俺は再び一歩を踏み出す。

 理不尽かつ規律などほぼ見えない社会の授業(・・・・・)は、その後も遅くまで続くこととなった。





「宮原、そろそろ落ち着いてきたからいつものを頼む」

「分かりました。それじゃあ上に行ってきますんでフロアお願いします」 


 慌ただしい時間は過ぎ去り時刻はもうすぐ午後九時を迎える。

 閉店まで残り一時間、フロアに先輩を残した状態で俺は階段を上り三階の宴会場へと足を運ぶ。

 ただ、宴会場といっても何か片づけをするような仕事をするわけではない。

 あれだけ忙しかった今日をしてもお客を通すことはなかった宴会場にて、翌日の準備を進めている人の手伝いをするってのが俺のいつもの仕事である。

 そんな宴会場だが、大人数での予約が入った場合か、二階の席が全て埋まってしまった場合に準備すると聞いてはいるものの、俺は未だに利用している場面を目撃したことはない。

 先輩曰く、翌日が休日の夜なんかは特に店内が込み合うため事前に準備をすることがあるらしいが、俺としては大きなテーブルの上で何か作業をするための部屋であるという印象が強い。

 というか、これ以上忙しくなるという現実がなかなか直視できないといった方が正しいのかもしれないが。


「お疲れ様です店長。下落ち着いてきたんで上がってきました」

「こらこら店長じゃなくてマサさんでしょ? お疲れ様、光輝くん。今日も一日お疲れ様だね」


 三階に上ってきた俺を待っていたのは店主のマサさん。

 どこぞのおっさんに向けたような呼び名だが、その実どこから見ても美人な姉ちゃんであり、あの黒崎先輩の親族であるとの話だ。

 ちなみに女性、ではなく姉ちゃんと表現したのは、彼女の人柄をしてその呼称が正しいと判断したまでである。


「んーと、今日で光輝くんが勤務してから五日目くらいかな? どう、店には慣れた? 結構上手くやってるように見えるけど」

「おかげさまでだいぶ慣れてきました。まぁ忙しい時間なんかはまだ先輩みたく仕事出来ませんが」

「あー、いいのいいの。あの子なんかはあたしがよく扱いてやったからね。ある意味特別なのよ。それに祐一も光輝くんはよくやってるって褒めてたわよ。周りによく気を配って動いてくれるから仕事がしやすいってさ」

「そうっすか。それはまぁ少し嬉しいっすね」


 働き始めて初めて分かったことだが、働きぶりを評価してもらえるのは素直に嬉しいことだった。

 人生であまり味わったことのない、何か達成感を満たされるような感覚とでもいうべきなのだろうか。

 未知の世界で積み重ねてきたことを先輩に褒めてもらえる。

 こうやって人は仕事にやりがいを見出していくのではないかと、最近そんな風に考えるようになり始めていた。


「だけどまぁ、自分からしたらマサさんも本当にすごいっすけどね。いつもながらよくお客さんの顔を覚えてるっていうか」

「そう? そんな風に言ってくれると嬉しいね。あんがとさん」


 実際この人はすごい。

 いつもは四階の事務所で仕事をしているようだが、時折店内に顔を覗かせることがある。

 その時に彼女が繰り広げる光景を、俺は一生忘れることはないだろう。

 

『おぉ、今日も来てくれたんですね! 最近調子はどうですかー?』


『あれ、お兄さん先週も来てくれてましたよね! 今日は魚が美味しいんですけど食べてくれてますかー?』


『そういえばこの前話してた旅行、行ってきたんですか? ――おぉ! 土産話楽しみにしてたんですよ!』


 人とはここまで楽しそうに話が出来るものなのかと、俺は一種の感動さえ覚えていた。

 当然のようにお客の反応も上々だった。

 いつものように会話する常連客も初めて話しをする新しいお客も、誰もが彼女とのコミュニケーションを楽しむ姿が見て取れる。

 だが、それ以上に驚かされたのは彼女の気配りに他ならない。

 勿論お客の中には人見知りの如く彼女との会話を良しとしない人もいるだろう。

 そういったお客の事情を見抜く眼力が備わっているのか、彼女は必要以上の接触は控える心得も持ち合わせているらしい。

 しかしそんな場合でも、彼女はお客を放っておくということはしない。


『ありがとうございました。また美味しい日本酒を用意するので来てくださいね!』


 店を出る際に一言、そう伝えただけで彼女はお客を笑顔にする。

 愛想笑いかもしれないし、もしかしたら苦笑いかもしれない。

 だけどきっと、そのお客はまた店に足を運ぶことになるのだろうと思う。

 それだけ彼女は魅力的で、この店はお客に愛されている。

 たった数日しか働いていない俺でもそう感じる程度には、目の前の女性から放たれる存在感には目を見張るものがあった。


「それで店長。今日は何をするんっすか」

「だからマサさんとお呼びよ。――って、実はたいした仕事は残ってないんだよねー」


 今日はマサさんの仕事が順調だったらしく、 先日話に上がっていた新しいメニュー表が机の上に用意されていた。

 今週中には完成させたいと話をしていたものが出来上がっていたらしい。


「仕込みも調理場のスタッフが進めてくれてるから大丈夫だし、今日は宴会場を使ってないから3階の掃除も必要ないからね。下はどんな感じ?」

「一番と三番、あとは六番卓が埋まってましたね」

「いつもの常連さんだね。多分もうそろそろラストオーダーで飲み物が入ると思うから下に降りて祐一の手伝いをして頂戴。あと最後の注文を受けたら祐一に任せて今日は上がっちゃっていいわよ」


 未成年の俺は二十二時まで働くことは出来ない。

 何故か申し訳なさを感じつつも別に俺が悪いことなど一つもないわけで、マサさんからはラストオーダーの手伝いまで終えてから退勤することを締め作業として任じられている。

 正直、俺としてはここまでくれば最後まで一緒に働きたいというのが本音ではある。

 あまり感じたことのない一体感というか、何かそういうものを俺はこの仕事の中で感じ始めていた。

 仕事熱心だとかそういうことではなく、なんというか上手く言葉に出来ないのだが――。


「分かりました。それじゃあ下に降りますんで」

「うん、よろしく頼むよ。それにさ――」


 頭を下げ二階に向かおうとする俺に、マサさんは少しニヤけた表情を浮かべながら言葉を続ける。


「今日も来てるんじゃない? あの子。光輝くん愛しの可愛いカ・ノ・ジ・ョ」


 口元を抑えながら目で笑うマサさんの姿に、俺は思わず引きつった苦笑いを浮かべてしまう。

 言い返そうと考えたが、この場は沈黙を以って後にする。

、どうせ毎度のように言いくるめられてしまうに違いない。

 後ろから好奇の視線を向けられているような気がするが無視を続ける。

 これがあの人にとっての俺に向けた正しいコミュニケーションだとするのであれば、それは実に腹立たしいことこの上ない。

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