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9問目:勝利 / 敗北 Ⅱ ④

「なぁ、先輩は夏休みの予定とかねぇのかよ」

「……予定は、あんまりない。友奈ちゃんと、遊びに行こうって、話はしてるけど、ほとんど家にいると、思う」


 ある程度想定していた通りの答えに、俺は内心で苦笑いしてしまう。

 やはりこの先輩は、よく似ているのだと。 


「そうか。でもそれだけじゃ足りなくねぇか?」

「……足りない?」

「あぁ、足りねぇな。だって夏休みだぜ? もっと楽しまなきゃもったいねぇだろ」


 夏といえば最初に思いつくのは海だろ。別にプールだっていい。

 わざわざ暑い中を出歩いて冷たい水の中に入り、無駄に夏を満喫してるんだって感じが、俺は好きだ。

 お祭りや花火大会ってのもあるだろ。

 ぼったくりみてぇな金額の大して美味くもねぇ焼きそばやたこ焼きなんかを食い歩いて、よく知りもしねえ風情ってやつを感じる時間が、俺は好きだ。

 別にだらだらと街を出歩くのも悪くはねぇ。

 いつもは学校にいるはずの平日に、何の用事もねぇけど出歩いて、何もすることなく家に帰って風呂入って寝る。そんな無駄かもしれねぇ時間を過ごす自分が、俺は好きだ。


「確かに俺はアルバイトはするけどよ、別に夏休み全部使って仕事をするわけじゃねぇよ。ダチと遊びに行くし、予定を入れねぇ、って予定日だって作ってる」

「……それが、普通なの?」

「さぁな。知らねぇよ。だけどそんなのどうだっていいだろ?」


 そう、普通かどうかなんて気にしたこともねぇし、他人の尺度なんかどうでもいい。


「俺はやりたいことはやらなきゃ気が済まねぇ性格だからよ。やるって決めたら出来るまで動く。時間が足りねぇなら作りゃあいいだろ。出来ねぇ理由があるならなんとかすりゃあいいじゃねぇか。そんだけ夏休みってのは何でもできるのに、たいしてやることも決めねぇってのはもったいねぇぜ」


 元々不良だとか悪評が付きまとう俺からすれば、誰かの視線を気にするなんてのは時間の無駄だ。

 幸い何をするにも止める人間もいねぇ。

 それならば俺は俺の好きなようにやらせてもらうだけだ。


「……そっか。宮原くん、らしいね。でも、私は、そんなの」

「だからよ。俺とも遊ぼうぜ。あいつら――柊と水戸も呼んでもいい。先輩は明石先輩とかに声をかければいいじゃねぇか」

「……え?」

「遊ぼうぜ先輩。俺たちはまだ子供だぜ? わがまま言って遊びに出かけることくらい普通だろ」

「……なんか、不良みたい、だね」

「俺は不良らしいからな。仕方ねぇさ」


 かつて、俺を救ってくれた恩人の言葉を思い出す。


『君は、いまちゃんと楽しめているのかい?』


 もしあいつがここにいて、同じ話を先輩から聞いていたらなんていうだろうか。

 自分の意見も言えずやりたいこともままならない。

 何とかしたいけどそれが出来なくて、もどかしくてどうしようもない気持ちを、俺はあいつに救われた。

 別に先輩の助けになりたいなんて考えちゃいねぇ。

 ただ、その姿はあまり見ていたくなるものではなかったってだけの話だ。





☆☆☆☆☆☆☆☆





「すっかり長居しちまったな」

「大丈夫。私は、楽しかった」

「そうかい。そりゃあ良かった」


 なんやかんやと話が込んだ結果、気が付けば日が変わりそうな時間まで邪魔してしまった。

 普段はあまりこんな風に長々と話し込むようなことはないが、今日はどうにも調子を狂わされちまったようだった。

 

「あの、宮原くん」

「ん? どうした先輩」


 部屋を出てマンションの入り口まで歩いてきた俺は、後ろから聞こえた先輩の声に足を止める。

 断ったものの、入口までと見送りについてきた先輩は、目に見えた微笑み(・・・・・・・・)を口元に浮かべる。


「また、遊びに来てね」

「……あぁ、そうだな。暇があればまた」


 じゃあな、と手を振りマンションを出る。

 ふと振り向けば、いつもの無表情で小さく手を振る先輩の姿が目に映る。

 俺は特に手を振り返すこともなく、自然な体制で帰路につく。


「……んだよ。あんな顔もできるんじゃねぇか」


 本当に、今日は調子を狂わされる一日だった。

 俺が他人の事情に踏み込んでしまったことも、らしくない感傷に浸ってしまったことも、先輩の表情に一瞬でも目を奪われてしまったことも、何もかもが俺らしくねぇ。


『またいつか、会えるといいね』


 あいつのことを思い出したのもいつ以来だっただろうか。

 忘れることなんて出来ねぇ恩人だが、そういつも思い返すような間柄かと聞かれれば首をかしげるような関係だった。

 

「てめぇ、生きてんのかよ? いつになったら会いに来るんだよ」


 無意識に零れたその言葉は、誰に届くこともなく空へと消えていく。





☆☆☆☆☆☆☆☆





 彼はきっと、私のことは覚えていないだろう。


「でも、そのほうが、いいのよね」


 彼が帰路へ着くのを見届けた私は、一人部屋へと戻る。

 先ほどまで明るかった部屋は少し寂しく、心地よかった温かさを今はあまり感じることは出来ない。

 だけど、今日はとても楽しい一日になった。

 彼と過ごす時間はいつも温かく、いつも嬉しさを抱く自分に気が付く。

 なにより、彼は私に興味を抱いてくれた。

 どこか冷めた雰囲気を感じさせる彼だけど、でもその根底の部分はあの頃のままだ。

 本当は、とても優しい人。

 だからこそ、私はそんな彼のことが――。


「……夏休み、か」


 テーブルに置かれたスマートフォンを手に取り、ほんの少し目を閉じる。

 父と母にわがままを言うのはとても難しい。

 もしかしたら、と良くない考えが脳裏を駆け巡る。

 だけど、これは彼との思い出を作る最後のチャンスになるかもしれない。

 

「……………………」


 ゆっくりと目を開けて、慣れない手つきで電話番号を入力する。

 音のない静かな部屋で呼び出し音だけが鳴り響く。

 もしかしたら出ないかもしれない。そう思わせるほどに長く感じた時間は、しかし受話器を取る音とともに終わりを告げる。


『もしもし、氷室です』


 少しの間を置き、私は言葉を紡ぎだす。


「……お久しぶりです。お父様」


 彼からもらった勇気が消えないうちに、私は言葉を伝えることが出来るだろうか。

 気持ちが負けないように、彼と一つでも多くの思い出を作ることが出来るように。

 私が彼と過ごすことの出来る残りの時間を、少しでも自分の手でつかみ取れるように――。


《了》

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