9問目:勝利 / 敗北 Ⅱ ③
☆☆☆☆☆☆☆☆
「宮原くん、料理、出来るんだね」
「いやこんなのはちょっと調べりゃ誰でも作れるだろ」
先輩がオムライスを完成させる頃、俺も自分の調理を終えていた。
手短に難しくなく作り慣れている一品。
甘いオムライスへの添え物として俺がチョイスしたのは少し味を濃くしたポテトサラダだった。
「そうかも、しれないけど、手際が、良かった。作り慣れてる、感じがした」
調理台に並ぶ二つのオムライス。
焼き焦げのない見事な包み卵に、先輩は包丁で軽く押し当てるように切り込みを入れる。
中心線をなぞるように上から下へと直線を引き、そして包みが開帳されると同時にあふれ出る黄金色の海がさらに広がっていく。
「さすがにそういうのは出来ねえよ。見事なもんだな」
「……慣れてくるとね、出来るように、なるの」
そう言いながら先輩は二つ目の皿の仕上げへと移る。
その鮮やかな手つきを、いつかテレビの料理番組で見たような光景に思わず見入ってしまう。
いや、正直に言えばその見事な手際もそうだが、それ以上に俺は先輩の姿にこそ目が惹きつけられていた。
理由は分からねぇ。
年の割に少しばかり小柄な少女が料理をしているだけの話だ。
そんな姿の一体どこに目を奪われるというのか――俺には全然分からねぇ。
「うん。出来たよ」
「あぁ、お疲れ様」
だけど一つ分かっていることもある。
俺はこの先輩との距離感が、それほど嫌いでもないらしいってことだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆
テーブルを挟む向かい合って座る俺たちは、互いに調理した料理を並べ食事を始める。
先輩のオムライスと俺のポテトサラダ。
二つ並べると傍から見ても完成度の違いがよく分かるもんだが、俺からすれば単純に先輩の料理スキルが高すぎるだけなのだと自分で勝手に納得することにする。
別に料理で勝負しているわけでもねぇ。
むしろ美味そうな料理を口にできるのだから儲けものってなもんだ。
「それじゃあ、いただきます」
「……いただきます」
いただきます、か。
その言葉を口にしたのはいつ以来だろうか。
誰かと食事をしないなんてことはねぇが、面と向かっての食事の挨拶なんてものはここ最近全くと言っていいほど記憶にはない。
「……誰かと食事をする、か」
「……何か、言った?」
「……いや、なんでもねぇ」
あるいは、俺にとっては他人との食事というものが久々の出来事なのかもしれない。
仲の良いやつとただ隣に座り合って飯を食べるような時間ではなく、「いただきます」の挨拶から始まるこの食事の時間というものは、何か大切な時間なのかもしれないとさえ思えてくる。
「このポテトサラダ、美味しい」
先輩の表情が変わることはないが、その言葉に嘘を感じることはない。
「それは良かった。割と自信作なんだぜ。それ」
「そうなんだ。うん、美味しいよ」
俺も先輩の料理を口にするためにスプーンでオムライスを口に運ぶ。
「……やっぱり美味いな。このオムライス」
「本当? それは、嬉しい」
大げさかもしれねぇが、今まで食べたことのあるどのオムライスよりも美味く感じる。
味もさることながら卵の半熟具合や口当たりなど、料理には疎い俺でも並じゃねぇことだけは分かる。
無責任な言葉で表せば「お店を開ける」レベルであるとさえ思える。
「いや、本当に美味い。ただの学生がこんな美味い料理作れるのかってくらい美味い」
「……それは、褒めすぎ、だよ」
食事の手を止め、珍しくいつもより少し困ったような表情を見せる先輩。
ほぼ無表情なのは変わらないが、段々と微妙な変化が分かるようになってきた気がする。
「……なんか、こういうの、恥ずかしいかも」
「そうだな」
それからは特に会話を交わすこともなく、俺たちは黙々と食事に集中していた。
先ほどとは打って変わって流れる静かな時間だが、別に気まずさなど言葉ほどもない。
今までが少し喋りすぎていたくらいだ。
俺にとっても先輩にとっても普段と変わることのない、ちょうど欲しかった時間だってだけの話だろう。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「もうすぐ、夏休みだね」
「あぁ、そうだな」
食事を終えた俺たちは食器を流し台へと下げ、再びテーブルで一息ついていた。
片づけを申し出たが、後で自分が食器を洗うと主張する先輩に押し負かされ今に至るというわけだ。
「宮原くんは、夏休みの、予定は、なにかあるの?」
「……まぁ、ある」
「そうなんだ。何を、するの?」
俺は少し考え、別に隠すことでもないと口を開く。
「アルバイトを始める予定だ」
「……アルバイト? 何を、するの?」
「さてな。まだ決めてねぇ」
これは言葉の通り、ちょうどいま仕事を探している最中だった。
とりあえず俺の場合はこの派手な茶髪が目立っているためアルバイト先はだいぶ限られてくる。
高校生でも登録できる派遣のような仕事や、居酒屋、そのほかいくつか候補は出しているものの未だ面接へと足を運んではいない。
せっかくの初仕事なのだ。少しくらい考えてから行動してもいいだろう。
「……そういうの、いいね」
「そうか? なら先輩もアルバイトすりゃあいいじゃねぇか」
「私は、そういうの、出来ないから」
僅かばかり先輩の声のトーンが下がったような気がする。
触れない方がいい話題だったのかと少し悩んだ末、俺は話を続けることにした。
「出来ねぇ理由でもあるのかよ」
他人の事情に踏み込むなんてのは性に合わない俺だが、この先輩に関しては例外だ。
深入りするつもりはねぇが、少しくらいなら話を聞いてみたっていいだろう。
「……家の、事情でね。あまり、人の前に、出ないように、してるの」
「……人の前?」
人の前って、なんだ?
「目立つようなこと、って言えば、いいのかな。学校は、許してもらってるけど、アルバイトみたいな、知らない人と、関わるようなことは、禁止されてるの」
「……随分と大切に育てられてるんだな」
「……そうだね。うん。大切にして、もらってるよ」
大切に、か。
その言葉通りであれば、ならばなぜ今先輩は一人で暮らしているのだろうか。
どう見ても誰かと一緒に暮らしている形跡はないし、当然親が仕事で不在だという様子にも見えない。
先輩が一人暮らしを望んだのかと言えば、おそらくそういうわけではないだろう。
気にはなる、がここから先は軽い気持ちで聞き入ってはいけない世界だ。
「そうか。それは良かったな」
だから俺は、そんな言葉で話を区切ることにした。
もしもこの先それを知ることがあるとしても、それは今ではないはずだ。
――だけど、逆を返せばいま出来ることもあるわけで。
「なぁ、先輩は夏休みの予定とかねぇのかよ」