9問目:勝利 / 敗北 Ⅱ ②
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「どうぞ、上がって」
「……あぁ、お邪魔するぜ」
一体なんでこんなことになってんだ?
あれから変わらずお互いに無言のまま、しかし有無を言わさぬ先輩の雰囲気に断ることも出来ず今に至る。
「……しかしあれだな。予想しちゃいたが、結構いい所に住んでんだな」
ホテルを思わせる小綺麗な外観に、入口はオートロックの自動ドア。
玄関を抜けた先のエントランスにはエレベーターが二つ並び設置されており、階層は……十二階?
見たときから思って通り随分でけぇマンションだが、その内装もただのマンションとは思えないほどに綺麗に整備されている。
こんな「高級感」を感じる雰囲気には縁のない俺だが、そういった雰囲気に憧れるやつの気持ちが分からないでもねぇと初めて思った気がするぜ。
「……ここは、私の家では、ないの。部屋を、借りてる、だけ」
「一人暮らしの部屋ってことか?」
「……だいたい、そんな、感じ」
そうか、一人暮らし、な。
先輩の声色に僅かばかりの寂しさを感じるあたり何か事情があるような気もするが、そこは俺が踏み入れるような話じゃねぇ。
もしも逆の立場で興味本位に話を聞かれたとしたら、俺は不快感を隠すことすら出来なくなるだろう。
「……って、一人暮らしだぁ!?」
「……そう言った。聞いて、なかった?」
おいおい、俺は男だぞ。
こいつ危機管理能力とかねぇのかよ。
「お前さ。普通一人暮らしの家に男なんて連れ込まねぇだろ」
「……? ここ、セキュリティが、しっかりしてるよ?」
「そうじゃねぇよ!! 俺が今ここにいるじぇねぇか!!」
「そう、だね?」
本気で何を言ってるのか分からないのか、ぽかんとした雰囲気で俺を見返す先輩に呆れたため息を出すことしか出来ない。
襲われても何とかできるという自信があるのか、あるいは俺が女と二人でいても何も手を出さない人畜無害な男だと信じているのか。
そんな気がさらさらないとはいえ、正直内心複雑な気持ちだ。
「……こんな風に誰でも部屋にあげるといつか後悔するぞ」
思わず無意識に出てしまった説教臭い一言は、果たして先輩に届いたのか、しかし反応はなく誰に拾われることもなく空へと消えていった。
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「ここで、待ってて。支度を、してくる」
部屋に通された俺は、しばらくくつろぐようにと声を掛けられた。
一人で暮らしの広さじゃねぇ豪華なリビングで、俺はこれまた高そうなソファーに腰をかけ、何をするでもなく辺りを見渡す。
リビングの中央には大きなガラスのテーブルが位置し、透明なガラステーブルからは小物置きのような収納スペースのような下段テーブルがくっきりと見えている。
ノートに雑誌、この家にきて初めて生活感を感じられるものを目にしたような気がする。
横を見渡せばソファーが連なり、しかし誰かが使っているような生活感は見られない。
クッションやぬいぐるみが丁寧に置かれている辺りがその証拠だろう。
「一人暮らし、か」
俺は天井を仰ぎ見ながらひとり呟く。
自分自身の、自立のためのスタート位置と定めている一人での生活。
それは俺の3年後の目標で、しかし先輩はすでにそれを現実のものとしている。
もしかしたら今の生活は先輩の望んだ生き方ではないのかもしれない。
ただ、誰にも縛られず一人で生きていくという実感を得るための「儀式」の一環に――その一歩に足を踏み入れている彼女は一体何を感じ何を思って生活しているのだろうか。
「……いや、くだらねぇことを考えたな」
「何の、話?」
ふと耳元で聞こえた声に驚きつつ振り返れば、いまだ制服姿の先輩がきょとん顔で突っ立っていた。
「相変わらず気配がないな、先輩。てか制服姿なのな。着替えたかと思ったぜ」
「さすがに、それだと、時間がかかっちゃうと、思って」
俺の質問に淡々と答えつつ、視線を下におろした先輩は何かを思いついたのか――。
「もしかして、私服、見たかった?」
「……いや、別に」
「そっか、期待してのかと、思った。ごめんね?」
言葉ほど悪びれた様子のない先輩に何とも言えぬ気持ちを抱きつつ、俺は話を切り出す。
「で、何をご馳走してくれるんだよ先輩」
「そうだね、オムライスとか、どうかな?」
別になんてことはない。ただ本題を切り出しただけのこと。
気になることがいくつか重なっているせいで変に意識しちまってるが、目的だけ果たして帰宅する。
そう、それだけのことでしかねぇ。
「あぁ、それは楽しみだな」
「材料は、揃ってるから。少し、待ってて」
そう話しつつ、先輩はキッチンへと向かった。
とはいえリビングから直接見える位置なのでそう離れることはない。
それこそ、話をしながら料理出来るような距離感で。
「ねぇ、宮原くんは、学校、楽しい?」
手際よく具材や調味料を用意する先輩は、ふと俺に問い掛ける。
視線こそ材料に向けられているが、意識をほんの少しこちらに向けられているような気がする。
「あぁ、まぁ楽しい、かな。退屈はしてねぇよ。こんなナリだが勉強が嫌いってわけでもねぇし」
そう言いつつ、少しだけ昔を思い出す。
見た目が悪そうだとか気性が荒いだとか、そんなどうでもいい理由で不良のレッテルを張られ始めた頃のこと。
さすがに思うところはあったが、ある意味では感謝すらしている子供時代。
明確に他者と線引きすることを覚えた頃の話。
「先輩はどうだ、学校は楽しいかよ?」
「そうだね、楽しい、かな」
カタカタカタとまな板の上で食材を切り刻む音が聞こえる。
「友奈ちゃんと、四条さんと、それから、宮原くん。みんなと、遊ぶのは、すごく楽しい」
均等なリズムで手際よく調理を進める動きを感じる。
「そうか、そりゃあ良かったな」
繰り返すことで洗練されたであろうその光景は、俺の中に小さな影を落としていく。
「なぁ、なんか手伝うぜ」
「え? でも、分担するような、ことなんて、特にないよ?」
それは決して優しさなんてもんじゃねぇ。
ただ見てるだけだと余計なことを考えちまう俺がいるし、なによりその事実を理解できることこそが、自分自身を余計にイラつかせちまう。
「オムライスだけでもいいけどよ。なんか付け合わせ的なものを食いたくないか?」
「そう、かな?」
「こんだけ広い調理場なんだ。別に二人で料理したって構わねぇだろ」
「……うん、わかった」
まぁ、あれだ。
誰かと一緒に料理するなんてよくあることだろ。
ただ、それだけの話じゃねぇか。




