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1問目:友情 / 恋愛 《後編》

 その後、俺は急ぎの用事があるからと柊とともに部室に戻ってきた。

 逃げるような自分の姿に情けなさを覚えつつも、やむを得ないと逃げ帰ってきた始末だ。

 だがそれでも、ひとまずは安心を得られたことに安堵のため息を吐きつつ、俺はそのまま机に突っ伏す。

 目の前の女子生徒から冷たい視線を感じるが、いまは許してくれと反省の念を見せることはない。

 

「――あぁ、やっちまったなぁ」


 給湯室を離れる時に見てしまった明石の表情が鮮明に思い出される。

 泣きそうで、悲しそうな視線が俺を捉えていた。

 ――結局また、俺が彼女に悲しい想いをさせてしまったのだ。


「自業自得ですね、先輩」

「……お前はもう少し優しい言葉を掛けるってことを覚えたらどうなんだよ」

 

 いっそ清々しいほどまでに毒を吐く女子生徒、柊詩乃。

 その端麗な顔立ちに加え、綺麗に透き通る長髪に彼女の特徴とも言えるハーフアップ。

 また時折見せるその物憂げな表情がこれまた柊詩乃という存在をとても際立たせている。

 聞いた話によれば一部(主に男子)から大変な人気を誇り、一時期は学年問わず告白が絶えなかったとのことらしい。


「……ふっ」


 が、それはあくまで見てくれに騙された残念な男子どもの夢物語なのだと俺は知っている。

 たしかに、初めて出会ったころの俺もうっすらと、本当にうっすらと騙されそうになったことがあった――かもしれないが、しかし実際に時間を共有し共に過ごしていくことによって嫌でも気が付かされるのだ。

 柊詩乃は非常に厄介な女であるということを。


「それで、チキンオブチキン先輩はどうするんですか」

「ずいぶんと美味そうな名前じゃねぇか」

「はぁ、そんなツッコミではお笑い界で生きていけませんよ先輩。失格です」

「そんな将来予定にないんでな。いいからほっとけ」


 一応補足しておくと、俺は三年生でこいつは一年生だ。

 別に上下関係に厳しい関係性など気付いたつもりはないが、だからと言って年上の男相手にここまで容赦なく物言いが出来る女子高生ってのもどうなんだ。

 まぁ、そうでなくては柊詩乃足りえないのかもしれないが――。


「……………………」


 静かになった空間で、俺は改めて彼女のことを想う。

 いや、性格には想い返してしまうと言っていい。

 

『――わたし、は……。わたしは……っ――』


 あの時、一体彼女は何て言おうとしていたのだろうか。

 あの時、一体俺はどうすべきだったのだろうか。

 ――そして俺は、いつから間違えてしまったのだろうか。


「――なぁ、柊。お前はどう思う?」


 その言葉を、つい口から零してしまった。

 思い浮かべた言葉を、心からつるりと口先へ零れ落ちるようにそれは言葉となって彼女の耳に届く。


「どう、とは? 実に先輩らしく要領を得ない質問ですね」


 俺からの質問を想定していたのか、返事はすぐに帰ってきた。

 だがそれ以上は少し待てとばかりに、彼女は会話を切り出すことなく足を動かし始める。

 部室に入ってすぐに準備していた電子ポッドが音を鳴らすと同時に柊は立ち上がり、待っていたとばかりに自前の湯呑に熱々のお茶を注ぐ。

 湯気立つのが冷めぬままに、両手でいつもの所定位置へと運び、再び椅子に腰かける。

 そのままこくんと音を鳴らしのどを潤す柊は、ようやく俺の方へと顔を向けた。


「それは、ほら……さっきのことだよ」


 人より寒がりな柊は、電気ストーブだけでは熱が足りないのか厚手のコートまで羽織っていた。

 今日は天気予報でいつもより寒いと言われていたくらいだ。

 いまのこの空間は決して柊にとって快適な空間とは言えないだろう。


「足りません」


 ぴしゃりと一言、柊の口から言葉が放たれる。

 何がとは言わない。

 何をとは言わない。

 分かっているのだろうと、彼女は言外に俺を責める。


「……明石とのことだ。お前に――柊に話を聞きたい」


 そこまで言って、俺は一度視線を下に落とす。

 分かっている。柊に話をするには生半可な気持ちでは聞いてもらえない。

 良くも悪くも、こいつはそういうやつで――だからこそ話を聞いてもらいたくなる。


「『明石』、ですか」


 ようやく会話(・・)する柊に、俺は改めて視線を向ける。


「……違和感、あるか?」

「それはもう。ここ最近ずっとそうやって呼んでますよね」

「そうだな。やっぱり慣れないか?」

「慣れませんね。だって先輩はいつも『友奈』と呼んでいたではありませんか」


 そう、あの時まではずっと『明石』ではなく、俺は彼女を『友奈』と呼んでいたのだ。

 いままで、ずっと。


「なぁ、柊。俺、どうしたらいいんだろうな」


 再びの同じ問いかけに彼女は何を思っているだろうか。

 要領を得ず、情けない俺の姿に呆れているのかもしれない。

 だがm事が事だけに頼れる人は少なく、先ほどの明石の様子を見るに誤魔化し続ける時間は最早ない。

 二年前、初めて会ったあの頃から続いてきた関係は、今まさに変化を余儀なくされていた。


「――そうですか」


 そんな俺の決意を知ってか知らずか、俺の顔をじっと見つめつつ再び湯呑に口を付ける柊は、やがて鞄から本を取り出し読書を始める。

 ――本を取り出し、読書を始めた?


「……えっ? いやいやいやいや、柊さん」


 予想は出来なかった訳ではないが、さすがの柊の無関心ぶりにツッコミせざるを得なかった。

 今までも予想外の行動に振り回されることは多々あったが、今日この瞬間においてそれを見逃せるほど俺に余裕はない。


「わりぃ、悪かった。聞き方が悪かったのかもしれねぇよな。なんだ、その……あれだ――」

「すみませんが静かにしてもらえませんか?」


 だが、柊にとってはそんな俺の気持ちなど知ったことではなかったらしい。


「今日はこの本を最後まで読むと決めて部室に来てるんです。もしも帰れなくなったらどうしてくれるんですか?」

「いやそれはごめんだけど。……えっ、俺の話は?」

「……………………」

「いや、噓だろおい」


 さすがの柊節に思わず絶句してしまう。

 いつも通りのマイペースぶりに、いっそ安堵感すら覚えてしまうほどだが、先にも述べたように俺には余裕がない。

 どうにかしなければ……俺と明石はこのままでは――。

 その後抗議を続けるも徐々に強くなる無言の圧に耐え切れず、俺はやがては口を閉ざしてしまう。

 相談相手を間違えたかもしれない。

 だけど、いや、今から他に頼れるやつなんて――。


「まったく。退屈ですね、先輩の話は」


 そんな風に激しく焦る俺の姿を視界に映しながら、柊はその小さな口を開き始める。

 気が付けばいつの間にか読んでいたはずの本は閉じられていた。


「……退屈って、どういう意味だよ」

「言葉通りです」

「……っ、だからそれはどういう――」

「はぁ、いいですか先輩。まずは先輩にお伺いしたいのですが。先輩は私にどのような相談をしたいのでしょうか」


 これ見よがしに溜息を吐く柊。

 それに対し俺はと言えば、彼女が何を言いたいのかが分からずにいた。


「……は? いやだから、俺は明石に対してどうしたらいいのかって話を」

「違います、そうではありません。そこから間違えています」

「間違えてって――」

「いいですか先輩。話を聞いて欲しいのであれば誤魔化さずに伝えるべきです」


 そこまで一息入れ、柊は言葉を続ける。


 「もう一度聞きますが、先輩は私に何を聞きたいのですか。友奈先輩と元通りの関係を築く方法ですか。それとも――あなたは友奈先輩に振られるのが怖いだけなのではないですか?」


 それは、実に確信を突く一言だった。

 いつもの無表情と変わらず、しかし感じる有無を言わせぬ圧力に俺は柊から目を離せずにいた。


「い、いや、その俺は」

「そうですか。それならば話はここで終わりです。私にはきっと先輩の期待に応えるだけの回答は出来ません」

 

 話は終わりだと告げ、手に持ったままの本に再び目を向ける柊。

 俺はそんな彼女に何かを伝えようとして、しかし上手い切り返しを思いつかずにいた。


「――これはあくまで私の独り言です。聞くに堪えなければ耳をふさいでください」


 ふと、彼女はぽつりと言葉を漏らす。

 視線を再び俺に向け、やはり表情を変えないままに話を続ける。


「私には、先輩の気持ちがよく分かりません。今までだって十分良好な関係を築いてきたのに、それを自ら壊すような行動に至った先輩の考えは、全くもって理解できません」

「……柊、俺は」

「だけど、これだけはよく分かります。先輩はきっと勘違い野郎なんです」

「――え、ちょっとま、勘違い野郎って」


 まさかの柊の暴言に思わず耳を疑ってしまう。

 勘違い野郎って、俺が?


「えぇ、勘違い野郎です。だってそうでしょ? 最初に告白したのは先輩なのに。――結局先輩は友奈先輩の気持ちなど何も考えていないのですよ」


 その言葉を俺は否定することが出来なかった。

 言ってしまえば、たしかに俺はあの時に勘違いをしていた。

 俺と彼女は両想いだと思っていたのだ。

 名前で呼び合い、部活こそ違えど時折二人で出かけたりする間柄で、周りから冷やかされることもあったけど、出会った頃と同じように兄妹みたいな関係だと理解していた――つもりになっていた。

 だけど、いつの頃からか時折見せる明石の視線に熱を感じるようになって、俺は彼女のそれ(・・)が恋心であると思ってしまったのだ。

 そうなると、もう止められなかったのだ。明石の――友奈のことを考えてしまうのだ。

 いつも妹のように思っていたやつが、なんだか急に別の存在に感じ始めて――。


「……勘違い野郎かな、俺は」

「えぇ、そう言っているではありませんか。他にもありますよ。聞きたいですか?」

「いや、遠慮しとくわ。」

「そうですか。それは残念です」


 涙こそ流れないが内心は傷だらけだ。

 柊相手に話をする以上覚悟は決めていたが、しかしなんとも情けない。


「先輩のことはよく知ってます。だけど、私はあなたとった行動を理解することは出来ません」

「……そうか」

「その気持ちを気遣って優しい言葉を掛けるなんてことも出来ません」

「……そうだな」

「だけど、先輩のことを認めてあげることは出来ます」


 下をうつむいていた俺は、予期せぬ柊の言葉に思わず顔を上げる。 

 目に映るのは変わらずの無表情だった。

 だけどその言葉からは、たしかに彼女の気持ちが伝わってくるような気がした。


「先輩は無鉄砲ですが、それはあなたの長所でもあります。少なくとも私には今まで築き上げてきた関係を壊してまで、誰かに想いを伝えるなんて真似は出来ません。それが兄妹のように培ってきた、誰もが羨むような関係性であればなおさらのこと」

「……柊」


 そう言いながら、柊は窓の外へと視線を移す。

 俺には彼女が何を見ているのか、それを推し量ることなど出来はしない。


「――だからもう一度、今度は友奈先輩のためにその勇気を奮う姿を私に見せてはくれませんか。先輩が本当に友奈先輩を想うのなら、こんな中途半端な形で終わることなんて許さないでください」


 それこそが柊の伝えたかったなのだろうと俺は感じ取る。

 いまだどこかを眺め見る彼女の視線を追いかけることは出来ないが、それでも言葉はまっすぐ俺へと届けられる。

 彼女が吐く毒は、いつだって俺の心に痛みを与える。


「待ち合わせの場所、覚えてますか」

「……あぁ、覚えてる」

「待ち合わせ時間は? 先輩は時間にルーズですから気を付けなくてはいけません」

「そうだな」

「大丈夫。先輩との関係が壊れたって、人気者の友奈先輩にとってはただの思い出しかなりません。笑い話にされてお終いです」

「……それは、少し寂しいな」

「――待っていますよ。友奈先輩は」

「――あぁ、分かってるよ」


 俺は立ち上がり、荷物をまとめる。

 鞄を持ち上げる手が震えていることに気が付くが、今更足を止めるつもりもない


「……なぁ、柊」

「はい。なんでしょうか」

「……なんか、やっぱり少し怖いな」

「……そうですか。よく覚えておきます」

「あぁ、覚えとけ」


 湯呑に残るお茶を飲み干し、気合を入れて扉に手をかける。


「後悔のないように。行ってらっしゃい先輩」


 ふと背を振り返りたくなった。

 もしかしたら見たことのない光景が見られるような気がして――だけど、俺は前へと足を進める。

 

「――ありがとな、柊」


 簡単にだけど感謝の言葉を伝え、俺は今度こそは部室を後にする。

 冷え切った廊下に一度ぶるりと身体を震わせながら彼女の待っているであろう場所へと足を向ける。

 あの日の続きを、明石友奈という一人の女の子との関係に決着をつけるために、俺は前へと進む。


 友情か恋愛か、それを選んだ先の答えは、今扉の先に――。





 クリスマスの夜、私はその瞬間を目撃してしまった。

 驚いた。上手くいくであろうと思っていた告白を、まさか彼自身が保留にしたいと言い始めたのだから。

 だけど、その気持ちが分からないというわけではなかった。


『――っ』


 先輩だけではなく友奈先輩も悪かったのだ。

 あの瞬間のあの表情で、限界に近かった先輩が不安に駆られたのは無理もなかった。

 だけどおそらく友奈先輩にとって想定外の出来事だったのだろう。

 あるいは自覚するかしないかの境界線にいたのかもしれない。

 だからこそ、きっとあの夜の出来事は二人にとって重要な出来事で、前に進むためのファクターであったのだと私は考えている。

 ただ、私にとって予想外であったのは肝心の二人が一度その関係性に停滞をもたらしたことだった。

 もしくは衰退と置き換えても良かった。

 あろうことか先に進むことをやめてしまったのだ。

 正直なところどう転ぼうが関係ない事だと呆れかえっていた私だったが、なんとなく――過去の自分と重ねてしまった。

 思ってしまったのだ。

 このままでは駄目なのだと。

 

『またね。バイバイ』


 親しい誰かとの別れが辛いものであることを私は知っている。

 特にそれが、気持ちを伝えることが出来ない場合であればなおさらのこと。

 

「――もしもあの時、私にも勇気があれば」


 ふと部室から窓を眺めれば、校門に向かう二つの影が見えた。

 冬空は暗く、しかし澄み渡るような星空はよく見える。それらが地上を強く照らすことなどあり得ないが、今だけはそれで十分なのかもしれない。


「……にしても、眠くなってきましたね」

 

 先輩が気が付くはずもないが、私は少しだけ嘘をついた。

 いま手に持つ本は、優に二桁は読み耽ている愛書である。

 もちろん大切に、丁寧に改めて読み進めたいという気持ちはあるものの、そのタイミングがいまではないことを私――柊詩乃はよく理解していた。

 柊詩乃にとって、今日の読書とは時間を過ごすための手段でしかない。


「……あまり待たされると帰ってしまいますよ」


 そんな風にぼやいた言葉に反応してか、テーブルに出していたスマートフォンが震え始める。

 ちらりと画面へ視線を向ければ、そこには到着までもう少し時間がかかるとのメッセージが飛び込んでくる。

 時刻は夜近く、もうすぐ校門が閉められてしまう時間帯だ。

 出来れば部室で待っていたいのだが、校則を破ってまで果たすほどの約束なのかと言えば、それもまた少し頭を悩ませることになるのだが、しかしそれでもせっかくなので待っていたいのだ。

 そう考えたから、部室の電気はすでに消してある。


「もしかしたら、ここが私たちにとっての分岐点なのかもしれません。なんてね」


 そう独り言ちる私は、何杯目かもしれぬ湯呑に手を付け、身体を温めるように厚手のコートを身体に縛り付けるようにぎゅっと掴む。

 顧問には事前に根回しをしている。多少の校則違反には目をつむってくれるだろう。


「……もしも勇気があったとして、友情か恋人か、私に選ぶことが出来たのでしょうか」

 

 ふと、優柔不断で頼りない先輩の顔が浮かんだ。

 彼はどうしようもなく情けなかったが、その過程は怪しいものであったが、最後にはしっかりと『選択』をすることは出来ていた。

 そこだけは、本当に尊敬すべき一面であることを素直に認めようではないか。


 ――柊詩乃の物語は、まだもう少し先のお話になる。


 《了》

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