6問目:幼馴染 / 幼馴染 Ⅱ ③
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もしも、あなたの人生を大きく変えた人は誰ですか? と聞かれれば、僕は二人の名前が頭に思い浮かべるだろう。
お爺様と、麗華さん……あとは『シイ』さんもか。亡くなったお爺様も含めて、今なお僕に影響力を及ぼす大切な人たちだ。
勿論父や母、学友たちのことも忘れてなどいない。
ただ、その中でも特に大きな存在と言われれば、どうしたって真っ先にその彼らの名前が出てきてしまう。
それほどまでに、僕は彼らに人生を救われてきたのだ。
「手紙は、来てないかな」
自宅のポストを覗き郵便物が来ていないことを確認し、僕は家の中へと帰る。
「ただいまー」
「あらお帰りなさい。もう少しで晩御飯が出来るけど、先にお風呂に入るでしょ?」
「うん、先に入っちゃうよ」
ちょうど玄関で母さんと鉢合わせをする。
靴を脱ぎ、鞄を自室へ置きに行こうと部屋に向かう足が、ふと鼻につく香辛料の臭いでパタリと止まる。
「ちなみに今日のご飯は?」
ほぼ分かりきっている答えを母に問う。
「カレーよ」
「また? 母さんカレー好きだよね」
「いいのよ。冷蔵庫の中に野菜がいっぱい入ってたからまとめて処分……じゃなくて美味しく料理しようと思って」
「……ほかの料理を作るという選択肢は?」
「メニューを考えてくれるのなら」
一応補足しておくと、母は決して料理が下手なわけではない。
むしろあの料理の腕が立つザ・庶民派お嬢様が一口料理を食べてから弟子入りを志願するほどだ。
身内贔屓を差し引いたとしても上手い部類だと思う。
が、それはあくまで作った料理への感想であり、いかんせんこの母、料理のレパートリーが極端に少なかったりする。なんならちょど曜日でローテーション出来るかもしれないレベルである。
「母さんは料理が上手いんだからレシピとか見ればいいのでは」
「あら意地悪ね。この前も試してみたのを知ってるでしょ」
「まぁ試食したからね。一応あれはあれで美味しかったと思うけど」
「いいえ、あれはよく出来ていませんでした。あれならいつものご飯の方が何倍も美味しく作れていたわ」
職人肌、とは違う気もするけど、要は自身のない食事は食卓に並べたくないという考えなのだろう。
元々箱入りのお嬢様であった母が数年前に料理を学び、ここまで見事な食事を作れるようになったこと自体がすごいと思うのだが、お嬢様特有(偏見)の面倒くささが見事に表れた結果がこの有り様だ。
まぁ、本当に美味しいのであまり文句を言う気にもならないのだが。
「あぁ、そうそう。シイちゃんからリンちゃん宛に手紙が届いてたわよ」
「あ、来てたんだ。宛名は?」
「えっとね、青山凜さまへ、だって」
「分かった。ありがと」
いつも恒例の青い横ラインが特徴の便箋を受け取り、僕は今度こそ自室に足を向ける。
「手紙もいいけどもうすぐご飯だからねー」
「大丈夫。分かってるって」
母の言葉を耳に、歩きながら便箋を右手に持ちそれとなく厚さを確認してみる。
感触としてだいたい三枚分くらいかな。
彼女から最後に手紙を受け取ったのは二カ月ほど前だっただろうか。確か新しいクラスで仲の良い友達が出来たと書いていた記憶がある。
「さて、中身が気になるところではあるけれど」
急いで手紙を読みたい気持ちはあるものの、それは少しもったいなく感じてしまう。
せっかくのシイさんからのお便りなのだ。時間に縛られることなくゆったりと読み進めることとしよう。
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母さん絶賛のカレーライスを平らげた後、少し急ぎ足で僕は自室に戻る。
テーブルの上に置いてある手紙を手に取りベッドに腰かけた僕は、あらかじめ準備しておいたペーパーナイフに目を向ける。
お爺様の遺品の一つとして譲り受けた英国製のペーパナイフ。
そんな子供の頃に一目惚れしていたお爺様愛用の一品を扱い、僕はいつものように便箋を取り出そうと動き出す。
はやる気持ちを抑えながら丁寧に、ゆっくりと封筒を切り取り、ようやく待望の便箋を手に出来た頃、既に時刻は二十時を回っていた。
やや遅い時間でありながら明日提出の宿題のことなども頭を過ったが、気持ちは完全に手紙へ向いている僕は、一度すべてを記憶の彼方へと葬り去りシイからの手紙を読むことに決める。
『拝啓リンさん。吹く風も次第に夏めいてまいりましたがいかがお過ごしでしょうか』
そんな挨拶から始まるのは、シイさんが高校に入学してからどのように日々を過ごしてきたのかを書き綴った日記のような物語。
彼女は僕と同い年らしく共感できる内容が非常に多い。
新しい学校、初めて会うクラスメイト、活動し始めた部活動。
淡々と、しかしどの内容も楽しそうに語るシイさんの言葉には、便箋四枚では収まり切れないほどの感情が精いっぱい込められているように感じられて、そのことが僕にはなんだか嬉しく思えた。
「楽しそうだね、シイさん」
すべて読み終えた僕は、もう一度手紙を手に取り最初から読み返す。
たった四枚の便箋に込められた想いを言葉で受け取り、彼女が伝えたい気持ちをしっかりと受け止められるように。
シイさんがどんな願いを便箋に込めたのか、それは手紙を返す僕にとっても同じ、とても大切なことだから。
「さて、と」
ゆったりとした時間を過ごし、手紙をテーブルに置いた僕は机に向かい引き出しを開く。
中に閉まってある星と海、それぞれのテーマを持つ二種類の便箋。手紙のやり取りを始めてから使い続けているこの便箋の中から、僕は星の模様を手に取った。
書くことは特に決まっていないのだが、おそらくはシイさんと同じようになんでもない日々の報告になることだろう。
それを上手く三~五枚程度の便箋に纏める。これが簡単なようで意外と難しい。
もちろんそれ以上書いても問題はないが、あまり長すぎると何を書き伝えたいのかがブレてしまう恐れがある。
気持ちや想いを込めつつ、相手に言葉を伝えることはとても大変なことなのだ。
「…………まぁ、そうだよね」
ふと頭をよぎったのは麗華さんのことだった。
彼女に関して言えば、『シイ』さんとは逆に距離が近すぎて気持ちを上手く伝えられずにいる……気がする。
面と向かって想いを伝えることも出来ない僕が悪いとは思うのだけれど、そのなんとなくだが彼女自身もそれを望んでいないように思えてならない。
臆病風に吹かれた僕の思い上がりだと言われればそれまでだが、おそらくその感覚に間違いはない。
もしもその時が来るとすれば、それは僕と彼女の日常が終わりへと至る重要な岐路になるだろう。
良し悪しは分からないが、そこに何らかの変化をもたらすことだけは分かる。
だからこそ僕は、その前にやっておかなければならないことがある。
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「あらあら、青春ねー」
手紙が来たと知った時のあの子は、いつもとても明るい笑顔になる。
それは人より少し早く大人になってしまったあの子に、少しでも子供である時間を与えたいと思う私としては、とても喜ばしい瞬間でもあります。
「『シィ』ちゃんと、それに麗華ちゃんにもお礼を言わなくちゃいけないかしらね」
あの子が――リンちゃんが普通の子供でいられるのは彼女たちのおかげです。
特に麗華ちゃんは、生まれの家計ゆえに大変な重責を背負い大きくなったあの子は、自分によく似た境遇のリンちゃんに何かを見出しているようで、今でもリンちゃんをよくお世話してくれているよ様子で。
願わくば二人とも幸せになって欲しいものです。
「母さん、この手紙を渡してもらってもいい?」
噂をすればリンちゃんが手紙を持って現れました。
いつもようにお返事用の綺麗な手紙を用意して、それを無地の封筒でさらに包む。
そうしていつものように、リンちゃんは私に手紙を渡します。
リンちゃんと『シイ』ちゃんが手紙のやり取りをする時は、必ず間に誰かを挟むこと。それこそが今は亡きお父様が決められた数少ないルールの一つ。
ゆえに、リンちゃんと『シィ』ちゃんはいままで一度も顔を合わせたこともなければ、互いがどこに住んでいるのかも知りません。
そんな知り合いにも満たないような拙い関係ですが、それでもあの子たちは確かな絆をお互いに感じているようで。
「あら、いつもより返事を書くのが早いじゃない」
「そろそろ来るかなと思って話のタネは用意しておいたからね」
「さすが我が息子ながらに用意周到なことで」
ですが、残された時間はそれほど多くはありません。
リンちゃんと麗華ちゃん、それに『シィ』ちゃん。
どのような選択をしようと、いずれにしてもその関係性は変わらざるを得ません。
それならば一つ、母親として願いましょう。
あなたたちの選択する道の先に、どうか望んだ未来が訪れますように――。
《了》




