6問目:幼馴染 / 幼馴染 Ⅱ ①
「またこんなところで、あなたは何をしてますの?」
強く照り付ける日差しが肌を焼く昼下がりの屋上で、僕――青山凜は突然に名前を呼ばれた。
まぁ、いつものことである。
特に何するわけでもなくぼーっと空を眺め時間を過ごす僕を、いつも彼女は探しに来てくれるのだ。
「あれ、どうしたの麗華さん。今日は何も用事はなかったはずだけど」
ふと、とある物語の一ページが頭の中に思い浮かぶ。
僕は物語を読むのも書くのも好きなのだが、特に興味惹かれるのはボーイ・ミーツ・ガール、いわゆる少年と少女の青春物語だ。
普段誰も立ち入らない屋上で出会う少年と少女。在り来たりだけど話の間口を広げるアイデアはいくつか思いつく。新たな出会いか、それとも久し振りの再会か。いやでも屋上で出会う必然性と言われれば――。
と、そんな風にいつもながらに自分の世界に入り浸っていたところ、どうにも彼女の機嫌を損ねてしまったらしく、僕は素直に謝罪の言葉を述べようとする。
「……………………」
謝罪の言葉を述べようとするのだが、なんというかその、角度的な感じがとても際どくて――。
「麗華さんってさ。なんというか隙のなさが絶妙だよね」
「……は? リンさん。何を仰っておりまして?」
「いや、普通その立ち位置だとパンツが見えそうに……」
言ってからしまったと思った。つい軽口を――。
「今の発言、録音しましたので後日お母様にご報告させていただきますわ」
「うそうそうそ! 冗談だって。お茶目なジョークっ!」
あっぶねーっ! 母さんに連絡なんてされたらたまったものではない。どんなひどい目にあわされるかなど想像も出来はしない。
僕の母は目の前の女性――有栖川麗華さんをとても気に入っていた。
血筋なのか綺麗なプラチナブロンドの髪を腰近くまで伸ばし、身体つきはモデルと見間違われるほどにほっそりとしたスレンダーな体系で、高校に入学したての頃はお近づきになろうとする男子が大勢いたと耳にした。――まぁ噂ではなく本人からなのだが。
次いで性格もまぁ悪くはない。
正真正銘のお金持ちにして財閥のお嬢様であらせられる麗華さんだが、なぜだか根は庶民的な感性の持ち主だったりする。
本人の性格か、はたまた両親の教育の賜物か、少なからず歪んで育つことはなかったらしい。
とはいえ、いま僕を見る目は人としておらずむしろゴミに向ける視線と申しますか。
…………あ、こんなシチュエーションもネタとしては悪くないかも。
「ありがとう。おかげさまでいいシチュエーションが浮かんだよ」
「最低ですわね」
何故か罵倒される僕。理不尽ではなかろうか。
「まぁいいですわ。それよりも明日のこと、まさかお忘れではないですわよね」
小綺麗なハンカチを地面に敷き、麗華さんは僕の隣に腰かける。
こういうところを見るとお嬢様っぽいんだよなー、などと思いつつ明日の予定を思い出そうと手帳を取り出す。
えぇっと、あぁこれか。あったあった。覚えてる。
「大丈夫。覚えてるよ。朝十時に麗華さんの屋敷の前で待ち合わせだろ。しっかりと手帳にも書いてあるよ」
こういう時はちゃんと覚えていましたよアピールをしておかないと後が怖い。
正直なところ記憶力にそれほど自信のない僕は、時折麗華さんとの約束を忘れてしまうことがあるらしい。
実際覚えていないのだからそれが本当なのか噓なのかは分からないのだけれど、真実などどちらでもよくただ一つ確実なのは麗華さんを怒らせると大層めんどくさくなるという事実である。
麗華さん、マジでビンタとかしてくるからなぁ。
「リンさんは本当にその手帳をとても大事にしていらっしゃいますわね。毎年同じ形状の手帳を使われているのでしょう?」
「そうだね。実はこの手帳そんな使い勝手が良くないんだけどさ」
ほら見てよと、僕は麗華さんに手帳を差し出す。
最初は遠慮していた麗華さんだったが僕としては本当に問題などないことを伝えると、恐る恐るといった感じで手帳を開き見ていく。
そういえば以前女性の手帳は決して覗き見てはいけないと聞いたことがある。
僕ら男子が気にも留めないようなことを、しかし彼女たちはマナーの一つとして考え、物事をデリケートに扱おうとする心構えを僕らよりも早く学習していくのかもしれない。
「特に麗華さんは、ね」
「あら、なにか仰いまして?」
「いや、なんでもない」
どうやら手帳を見ながら何か考え事をしていたらしく、僕の思わぬつぶやきは彼女の耳に届かなかったらしい。
それから麗華さんと手帳や今は亡きお爺様の話を話題にあげつつ、少し懐かしい時間を過ごしていく。
晴れた天気に温かな日差し。そんな中を自分一人で過ごす時間も好きだが、こうして麗華さんが隣にいる日常も決して悪いものではない。
少なくとも、僕はそう思っている。
「そうですか。あの方は平成に生きてましたのね」
ふとそんな言葉が聞こえ、僕は無意識に答えを返していた。
「そう、そして僕は平成三十五年に高校を卒業する予定なんだよ」
今は亡きお爺様。僕をとても可愛がってくれたあの方は、僕の成長を見届けずしてこの世を去ってしまった。
高校を卒業して大学に進み、社会に出た僕の背を押すまでは死ねないなどと声を大きくして笑っていたのに、お爺様は逝ってしまわれた。
どうせなら、平成三十五年に生きる僕の姿を見届けて欲しかったな……。
「まぁこの話はここまでで良いとして。麗華さん、お昼ご飯は食べないの?」
なんてことない話題で少ししんみりしてしまった僕は、少し強引に話を変えることにする。
そういえば麗華さんは昼ご飯を食べたのだろうか。昼休みには食事の時間も含まれているわけで、じつは先ほどからそこが気にはなっていたのだ。
「あら意地悪ですこと。こちらを見てものを申して頂けるかしら」
何が意地悪なんだろうと頭をひねりつつ、麗華さんは可愛らしいお弁当箱を僕の前に掲げ持つ。
先にも話したように根っこが庶民派のこのお嬢様は、実のところ割と料理の腕も立つのである。
「どうせあなたがここにいるだろうと思いまして、今日はお弁当を持参し歩きましたの。たまには外で食べるのも良いかと思いまして」
「なるほど。さすが、用意周到だね」
素直に賞賛の言葉を述べ、持ち上がるお弁当箱の蓋を目で追いつつ、僕はその美味しそうな料理の数々に目を奪われる。
絵に描いたような光景だった。卵焼きにミートボール、少々野菜など彩りを加えつつコンパクトにまとめた麗華さんのお弁当は、そのお腹にクる匂いも相まってとても美味しそうに映えていた。
「麗華さんってあれだよね。本当にお嬢様? って思っちゃうくらい庶民的な感性をしてるよね」
「馬鹿にしてますのあなたは」
しまった。ついまた余計なことを。
僕に背を向け無言でご飯を食べ始めてしまう麗華さん。
これ以上怒りの炎を強める前に謝らなければと声をかけようとし――つい思ってしまう。
「……この人、本当に絵になるよなぁ」
ただ怒っているだけのになんとも可愛らしく、なんだかそれがずるいように感じてしまう。
……っとくれば、ただ謝るだけではなんだか損をしているような気がしてきたぞ。
「あぁ、ごめん。悪気はないんだって」
「…………」
「あの、麗華さん?」
「…………食事中ですので静かにして頂けます? 私、雑談しながら食事するのが苦手ですの」
「いつもあんなに喋り散らかしてるのに?」
「……………………」
「あぁ、嘘だって! ごめんなさい」
よし、上手くからかうことが出来たぞ。
そんなどうでも良い自己評価を下しつつ、それもまたいつもの日常であると、僕は彼女と日常を過ごしていく。
「ほら、口を開けてくださいまし」
「え、いいよ。ほら手に乗せてくれれば」
時折大胆な行動に出る麗華さんだが、そんな愛らしい一面を見ることが出来るのは幼馴染である僕の特権なのだろう。
彼女の顔を見ても色一つ変えないところを見ていると、なんだか少し嬉しくなってしまった。
それはつまるところ、僕と彼女の距離感を表しているものだとさえ思えてきて。
「おーっ、相変わらず美味しいね」
「お褒め頂き光栄ですわね」
ふと、とある物語の一ページが頭の中に思い浮かぶ。
僕は物語を読むのも書くのも好きなのだが、特に興味惹かれるのはボーイ・ミーツ・ガール、いわゆる少年と少女の青春物語だ。
だけど、たまにはこんななんて事のない時間をゆったりと過ごす、少年と少女の物語も時には必要なのかもしれない。