4問目:白 / 黒 《後編》
騒がしくも盛り上がりを見せた憩いの時間を経て、俺――黒崎祐一は友人を連れて自室に戻った。
妹の真希は未練がましく俺たちを見ていたが、元より交友の場を設けるための時間ではなかったのだから仕方がない。
「悪かったな比呂。うちの妹が迷惑をかけた」
「なーに言ってんだよ。楽しかったじゃねーか」
結果として予定していた時刻を約一時間程度過ぎてしまった事実について、俺は比呂に一言伝える。
彼がそんなことを気に留めるような正確でないことは知っているが、一つの礼儀として謝罪することは重要だ。
「しっかしあれがお前の妹か。祐一とは似ても似つかねぇ性格にびっくりしたな」
「まぁな。親にも言われたことがあるくらいだ」
軽口を叩きながら地面に座ろうとする比呂に、俺は赤色のビーズクッションを差し出す。
つい先日、部屋が質素過ぎるという理由をもとに何故か真希が用意したインテリアグッズの一つである。
なお使用頻度は断然真希の方が多いわけだが購入者が使ってる分には文句もない。
「おーサンキュ。……なんか真希ちゃんの趣味っぽいな。これ俺が使っていいのか?」
「気にするな。俺だって使ってるぞ」
そういう問題なのか、などと呟きつつもクッションに座る辺りが実に彼らしい。
「さて、と。それじゃあお願いしますっ!」
そんな比呂は、鞄からクリアファイルを取り出しその中からいくつかの資料をテーブルに広げる。
表紙に記載されている文字には大学、専門学校と様々。つまるところそれらは、彼の今後の進路を定めるための参考資料に他ならない。
「まさか俺もこの時期に進路相談を受けるなんて思わなかったぞ」
俺と比呂は高校三年。
今は六月の初旬で、一般的には進学就職問わず、既に大半の学生が進路を決め進んでいる時期になる。
もし誰かが今この光景を目撃していたとしたら口を揃えて手遅れだと言うに違いない。
「まぁな。頼んでおいてあれだが俺自身もそう思うよ」
頼まれたのはつい先日、学校の休み時間。
いつになく真剣な眼差しで彼は俺にこう告げた。
『なぁ祐一。進路について少し相談に乗って欲しいんだ』
比呂は比較的距離感の近い友人だ。
学校ではよく話し、休日に遊びに出かけることもある、よくある普通の友人と呼べる存在。それが彼との関係性である。
俺の中の彼は至って不真面目な生徒でもあった。
別に授業をサボっているとか素行不良な一面を見せるなどといったことはない。
ただ彼には熱を込めるような芯がないためか、時折どこか達観したような表情を見せる時がある。
表向きは何かに熱中する表情を見せつつも内心では冷めた様子の人間。
それがこの二年間で俺が結論付けた白柳比呂の本質。
『お前だから聞いて欲しいだ。俺は――』
――あの時、彼の話を聞くまではそう思っていた。
「例えば、この大学を受験目標にした場合は?」
「一般的に名門と呼ばれる大学の一つだな。学力を考えれば少し難しいが無理ではないと思うぞ。ただ――」
あれから俺は、彼からの質問に一つ一つ答え続けていた。
比呂は決して頭の悪いやつではなく、むしろ成績優秀者側の生徒である。
理解力もあり、俺のアドバイスをよく聞き、気になる部分はしっかりと質問を口にする。
それだけ真剣なのだとよく伝わってくる。
正直、最初は大学合格を決めたわけでもない俺がアドバイスする身分ではないと断ろうとも考えていた。
だが、あまりにも真剣な彼の様子に答えるべきではないかという自分の心に従い、今日いまこの時間に至る。
そしてその決断をしたからには彼の進路に責任を持つ義務が生じたことに他ならない。
まず俺に出来るのは、正しい答えに導くこと以上に彼自身の可能性の輪を広げることである。
人は問題に直面したとき解決するための選択肢を狭めてしまう傾向にある。
知識や環境、時間やあるいは脅迫概念など、いくつもの要素が積み重なった結果最も正しいと思いこんだ結論を出してしまう。
そしてそれは時間なく迫った彼自身の進路選択にも言えることだ。
たしかに彼が最も適切であると考える進路に進むことは良い選択なのかもしれない。
だけど、俺との会話を通じて一つでも多くの検討材料を得て、さらに挑戦したいという気持ちが生まれることがあれば、それがどのようなものであれ白柳比呂の未来に繋がるはずだ。
それが俺なりの、友人に対する誠意の形であると考える。
「――じゃあそれとこっち、祐一ならどっちを選ぶ?」
「条件にもよる。まずはこっちの学部だが」
それに、意外とこういう時間も悪くはない。
共に過ごした時間は長いが、こんな真剣に何かを話したことなどなかったかもしれない。
「ふぅー、もうこんな時間か。ほんとわりぃな祐一」
「あぁ、もう二十時になるのか。さすがの比呂と言えど疲れたのではないか」
気が付けば二時間以上が経過していた。
彼の持参した資料に一通り目を通しつつ交えた相談会は、僅かでも彼の糧と出来ていたのだろうか。
「まぁこんな頭を使ったのは久々だな。だけど、おかげさまで少し考えがまとまったよ」
「そうか。それはなによりだ」
首を横に動かしながら肩を鳴らし、比呂は仰向けに地面へと倒れ込む。
よほど疲れたに違いない。今日の相談会はここまでだな。
「……しっかし、祐一の部屋って男子というか、女子の部屋みてぇな飾り付けがしてあるよな」
息をつき辺りを見渡しながら、比呂は俺の部屋に対する感想を述べる。
そんな彼の一言に同様に辺りを見回しつつ、特に違和感を感じることなく返事を口にする。
「そうか? 最近では真希と買い物に行って、インテリアグッズを買わされたくらいだろうか。例えばそうだな――」
「あの窓に置いてあるサボテンとか」
「よく分かったな」
「やたらハートマークな掛け時計とか」
「それもそうだ」
「……じゃあ、あの棚に並ぶ少女漫画とかもか」
「それは俺だ」
「それはお前なのかよっ!」
あちらこちらに指差す比呂は唐突にツッコミを入れる。
なんだ。思いのほか元気ではないか。
「いや部屋に入ってから少し気になってたんだが正直驚いたわ。お前少女漫画とか読むのな」
「少女漫画を読むのか、と言われれば難しいのだが。そういう意味ではあのシリーズは買い読んでいるぞ。普段は漫画を読まない俺でも楽しさが分かる作品だ」
「……クラスの女子にこの部屋の写真を見せたらなんていうのか興味があるぜ」
「何か言ったか?」
「いや、なんでもねぇよ。それよりもあの漫画もどうせ真希ちゃんだろ。今度読ませてくれよ」
「あぁ。いいぞ」
比呂の言う通り最初は真希に勧められて購読した作品だが、俺としてはその内容をとても魅力的に感じている。
物語は至ってシンプルなストーリーとなっており、高校生活を過ごす学生たちの恋愛劇を書き記したものになるのだが、そこで登場する人物たちの兼ね合いがこれまた楽しい。
ありきたりな話、ご都合主義な展開。どれも漫画だからと一言で片付けられるような物語にさえ俺は心躍らされていた。
真希もそんな俺の感想が楽しみなようで、よくよくどこまで読んだかなど確認するほどである。
そしていま、そんな妹の気持ちが少しだけ分かったような気がする。
「どうする。何冊持って帰る?」
「いや、そこまでではねぇよ。次来た時読ませてもらうくらいでいいわ」
そうか。それは少し残念だ。
「そういえば、例の部活はどうだ。順調か?」
そろそろ引き上げるかと片付け始める比呂に、俺はふと思い出したことを彼に尋ねる。
最後の一年を迎える三年生が新しい部活を立ち上げたというニュースは、噂こそ広まらなかったものの、一部の間では話題に上がっていた。
特に設立者があの白柳比呂であり、立ち上げたのが『文芸部』であるという事実。
知る人が知れば驚きを隠せないのも無理な話ではない。
「まぁな。俺もよく五人も人が集まったもんだとは思ったが、一年の柊ってやつがメンバーを引っ張ってきてくれてな」
「ほぉ、ということはお前以外全員一年生なのか?」
「いや、お前も知ってる二年生が一人いる」
「二年生、誰だ? 明石さん、テニス部だから違うか」
「四条紅葉」
その名前を聞いた瞬間、俺は思わずテーブルで片づけを進めていた手を止めてしまう。
二年生と聞いた時、比呂と親しい女子生徒である明石友奈さんを想像したが、まさか彼女の名前が出てくるとは。
「そうか。四条くんが」
「あぁ、俺も驚いたぜ。柊から友奈を伝って文芸部設立の話を聞いたみたいだが、まさかあの四条が入部してくれるとはな」
「そうか。いや、そうだな」
四条紅葉。ふんわり柔らかな優しい印象をもたらす容姿に人の好い性格。
学校でも男女問わず非常に人気の高い二年生の女子生徒とは、去年多少なりとも縁があった。
俺も、おそらく彼女も互いに恋愛感情などは持ち合わせてはいない。
ただ、ある経緯を経ることで今でも時折メールで連絡を取り合う程度の中になっていた。
最近だと進路の相談について話があったが、部活に入った話は聞いていなかったと記憶している。
「まあ部活自体は基本不定期開催みたいなものだからな。部室に入れば人がいる時も、まったくいないときもある。四条も週に三日くれば多い方だぜ」
だが、それでも少し安心したところはある。
四条くんが自分から文芸部に入部したとすれば、彼女自身で何かを決めたということなのだろう。
そしてそれはきっと、彼女にとって大きな一歩になっているはずなのだ。
「すまない、つい話をしてしまうな」
「まだそんな遅い時間でもないし気にするなって。今日は楽しかったぜ」
話をするたびに手を止めてしまい、ついつい帰宅するタイミングを奪ってしまう。
「ためになった、ではなくてか?」
「そうとも言うな」
その時比呂の手に持つスマホが音もなく震え始める。
電話だろうか? 画面に表示された名前を見て比呂は表情を変える。
「わりぃな祐一、用事が入りそうだ。また明日学校でな」
「あぁまた明日。学校でな」
スマホの震えは止まったが、比呂は急ぎ足で部屋を後にする。
階段下から真希の声が聞こえるが、あの調子では挨拶もほどほどに家を出られるだろう。
妹も決して空気の読めないわけではない。
「さて、俺は勉強でもするかな」
テーブルに残ったグラスを二つ手に持ち、階段を下り台所まで足を運ぶ。
自分もまた受験が待ち受けている。友人の相談に乗っていた身ではあるが、俺も彼と状況は変わることはない。
手を抜かず、一歩一歩前に進むほかない受験生の一人なのだ。
「あ、お帰りー。ねぇなんの話をしてたの?」
だが、どうやら今日は勉強が出来そうにもないのだと心の中で苦笑いする。
好奇心に目を輝かせ、期待するような眼差しで部屋に待ち構える愛すべき妹をどうするか頭の中で考え、まずは一つ話でもすることに決める。
「どうだ真希。学校生活は楽しいか?」
新しいグラスを二つ手に持ち、俺は妹に何を飲むのか飲み物を尋ねた。
《了》




