1問目:友情 / 恋愛 《前編》
明石友奈。十七歳。
平均よりやや小さい身長によく整った顔立ち。
どちらかと言えば童顔寄りで本人は気にしているらしいが、うちの男子たち曰く「そういうところも可愛らしい」ともっぱら噂の女子生徒。
上から下まですべての学年でその存在を認識されていることもその人気の一つだろう。
特に今の服装たるそのテニスウェアは、彼女を最も象徴するアイテムだと言える。
また普段は肩まで流している綺麗な黒髪も彼女を魅力的にして見せている。
だが今はその長い髪をポニーテールにしているところを見るに、おそらく部活動で試合か何かをしている最中なのだろう。
何かに集中する時の、最近の彼女の特徴であることを俺は知っている。
――と、さて。そんな状況分析を終えたところで、まずはこの状況を何とかせねばなるまい。
「よ、よぅ」
思わず声が上擦ってしまう。
普段の俺らしからぬ行動に内心動揺を隠せないものの、しかしどうしたってこの状況では致し方ないと自分自身を強引に納得させる。
彼女との出会ってしまった事実に、俺――白柳比呂は自分の不注意さを呪わずにはいられなかった。
「えっ――あ、先輩……」
一方で彼女もまた驚いていたように見える。
まぁ当然と言えば当然か。
「こんなところで、珍しいな」
「そ、そうです、かね?」
俺が訪れたのは学校の給湯室。
普段は利用する人がほぼおらず、さらには放課後の時間ということも重なり誰かと鉢合わせすることなどほとんどありはしない。
例外とすれば事務員のおじさんくらいだろう。
しかも今日は雪が降るらしくほとんどの部活動が禁止ときたもんだ。
早々の下校を校内放送でアナウンスされていたので尚のこと人には会うことがない――はずであったわけなのだが。
「……そうですね。珍しい、かもしれません」
「そうか。……今日は部活、休みじゃないのか?」
「……え? あ、あぁ、その……部活動は休みなんですけど。実は先生に無理を言って少し体育館を使わせてもらってまして」
「……まぁ、試合なんてしてるわけはないよな」
「え?」
「いや、ただの独り言だ」
俺は自分の推測が外れたことを悟りつつ、改めて彼女の姿を視界に映した。
羽織る程度に肩にかけたジャージに短いスカート。
たしか今季指折りの真冬日だとアナウンサーが話していたのを思い出す。
寒くはないのだろうか。
無意識ながらもつい口を開きそうになり、そこで初めて彼女の手元にあるものに気が付いた。
「――そうか。コーンスープか」
その両手で、包み込むように抱くコーンスープの缶。
彼女は寒い日にホットドリンクの飲むのが好きだったことを思い出す。
その温かい熱を肌で感じ、コクコクと少しずつのどを潤していくのが彼女の癖である。
ホッカイロと同じような扱いをしている彼女にツッコミを入れた記憶が鮮明に蘇る。
特にコーンスープは明石友奈のお気に入りだった。
拘りがあるのかよく分からないが、自販機のコーンスープが売り切れであるといつも少し不機嫌になるほどで、 ついでに言えば見つかるまで探し回るという、なんともはた迷惑な話もあるわけで。
それは彼女と出会ってからも、ずっと変わることはなかった。
思い返してみれば、今日は体育館の自販機の飲み物がほとんど品切れだったような気がする。
最近寒い日が続いていたからだろうか。
定期的に業者が来ているようだが、補充が間に合っていないのかもしれない。
「――先輩? なにを考えてます?」
「いや、俺もコーンスープ飲もうかなー、と」
「ははっ、……先輩は相変わらずですね」
若干の気まずさは感じるものの会話の雰囲気などについてはいつも通りの様子に見えなくもない。
俺が気にしすぎなだけだろうか。
そうなのかもしれないし、違うかもしれない。
ひとまず俺は、会話を続けることにする。
「髪、縛ってんだな」
「え、あぁ、これですか」
ポニーテールを指差す明石に俺は頷き返す。
「試合でもしてるのかと思ってたよ。いつもそういう時に縛るだろ」
そう考えを伝えると、明石は何故か下にうつむき黙ってしまう。
何か変なことを言っただろうか。
選択肢を違えたかと不安を感じる俺だったが、訪れる沈黙の先に話を切り出したのは彼女だった。
「先輩はよく給湯室を利用されるんですか?」
「え? あ、あぁ。最近は寒いからな。ほら、明石みたいに身体を動かす部活ではないから――こいつが必要なんだよ」
そう言いつつ、俺は給湯室に用意されていた備品を持ち上げる。
「あぁ、電子ポッドですね。――え、それって使っていいんですか?」
持ち上げて見て分かったが、中身がほとんど空のようで重さをほとんど感じない。
元々こいつが目的で給湯室まで足を運んだわけだが、これはお湯を沸かさないと駄目だと理解する。
つくづく神様は俺のことが嫌いなようだ。
「うちのお姫様がうるさくてさ。今日なんて顧問から帰れって言われてるのにまだ部室にいるんだぜ。しかも寒がりときたもんだから、いつも借りてるこいつを取りに来たってわけだ」
「そう、なんですね。……ははっ、本当に先輩たちは変わらないですね」
「……あぁ、まぁな。ほらそこの戸棚にいっぱい茶葉が用意されてるだろ。事務員のおじさんと仲良くなっちまったもんだから好きに持って行っていいとか言われるくらいだ」
電子ポッドに蛇口からお湯を流し入れつつ、俺は事務員専用の戸棚を指差す。
鍵はかかっておらず、するりと開くことの出来るその戸棚にはいろいろな種類のお茶葉や、こんなに誰が食べるのかと思わせるような数々のお菓子が置かれている。
普段は生徒が開けることはないであろうその魔法の戸棚の中身に、彼女は少し驚いている様子を見せていた。
「なんか、すごい。でもこれって先生たちの私物とかじゃないんですか?」
「事務員さんと、一応うちの顧問のお墨付きだから大丈夫だろ。多分」
「えぇ、いいなぁ。うちの部活でも使わせてもらえないかな」
「まぁ、顧問は同じだから聞いてみればいいんじゃね」
「あぁ、そういえばそう、でしたね」
少しずつ、いつものような自然な会話に近づきつつある。
言葉の不自然さを感じることはあるけれど、でもまぁそれだけの話だ。
「部活はどうなんだよ。しばらく大会はないんだろ?」
「はい。一応練習試合も組んでいるんですけど、どちらかといえば部活動としてはお休み期間に近いのかな? 先輩とは違って未来あるわたしたちには年度末の試験勉強がありますからね」
電子ポッドの点灯ランプはまだ変わらない。
そろそろ部室に一人残っているはずのお姫様が痺れを切らす頃合いだろうか。
「なんか微妙に棘がある聞こえ方だったんだけど。俺はこれでもずっと受験勉強を頑張ってきたんだが。ご存知でない?」
「えぇ、もちろん知ってますよ」
「ったく、本当かよ」
「――えぇ、それはもう誰よりも」
というかなんで俺が二つも年下の女子にパシられているのだろうか。
いくらジャンケンで負けたらからとはいえおかしいのではなかろうか。
――あ、お茶葉忘れないようにしないと。
「……そういえば、この前話してた後輩の話はどうなんだよ。優秀な部員が入ったって言ってただろ?」
「うん、あの子はセンスありますね。きっと今に追い付いて来ちゃうよ。わたしも負けないように頑張らないと」
あいつをなだめるように少しくらいお菓子を持っていった方がいいだろうか。
前にバレたのは少し高級そうなのを持って行ってしまったからであって――ほら、あのクッキーなんて地味な見た目だけど美味しそうだ。
「まぁその前に明石が頑張らなきゃいけないのは試験勉強だけどな」
「ずいぶんと棘のある言い返しをしてくるじゃないですか」
「誰かさんによく言われるからな。仕方ないだろ」
「あれ、気にされてたんですか? それはすみませんでした」
――ああだ、こうだと言い合うこの会話が、今は少し懐かしく感じてしまう。
もう出来ないものだと思ってたやり取りが、俺には正直少し辛かった。
「……………………」
そして俺はそんな感傷に浸っていた自分に、そしていつしか口を閉ざしていた彼女の様子に気が付いた。
油断した、なんてことを言うつもりはない。
当然だ。今の俺には彼女のことなど見えてはいないのだから。
「……あ、そういえば」
「――ねぇ、先輩?」
電子ポッドのランプが色変わる。
だが、一歩遅かったらしい。
少なくとも、目の前に立ち顔を上げる彼女には十分すぎる時間を与えてしまったようだった。
「――わたしの話、聞いてもらえますか?」
あぁ、まずい。
その先を、今ここで言わせてはいけない。
その言葉を聞いてしまえば、本当に後には戻れなくなる。
「……あぁ、わりぃんだけどお湯が沸いたからさ。部室であいつも待ってるし俺は――」
「――先輩っ!!」
声を張り上げる明石の姿に、俺は驚きを隠せずにはいられなかった。
今まで一度たりとも彼女のこんな姿を見たことなどはない。
そんな彼女らしからぬ光景に、俺は最早逃げ場などないのだと悟る。
それでもなんとか切り抜けられないものかとつい明石の方へと顔を向ければ、しかしそこで初めて彼女の感情を知ることとなる。
「……っ、先輩ぃ」
それは俺が決して見たくないと願っていた姿だった。
悩み困った様子の、僅かな衝撃ですぐにでも涙を流しそうな明石の表情。
『――わたし、は』
二度目だった。
あの日、もう二度と後悔した俺は決めていたのに。
いつも元気な笑顔がトレードマークの女の子。
そんな彼女に、明石友奈に、俺はまたこんな表情を――。
「――わたし、は……。わたしは……っ――」
「ちょっと、いつまで待たせるんですか先輩?」
その時、給湯室に一人の女子生徒が静かに顔を覗かせる。
ガラリと入口のドアを開け、堂々立つ彼女は俺と明石の様子に何かを察したようなそぶりを見せたが、しかし動揺することもなくいつも通りに無表情を浮かべながら要件を口にする。
「とりあえず、そのポッドをもらってもいいですか先輩」
その少女、柊詩乃はいつだってマイペースなやつだった。
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