39話 ヒロインに相応しく…
新ヒロインとの遣り取りが、漸く終わります。
「わたくしは元々長女でしたので、『姉」と呼べる者はおりません。姉のように慕うお方を『お姉さま』とお呼びしたいと、長年思っておりましたのよ。こうして養女になりましたのは、わたくしにとっては不本意なことですけれども、お姉さまと運命的に出逢いましたこと、わたくしも幸せなことと思いましてよ。」
「…………」
うっとりと見つめ返すテレンシスに、フェリシアンヌは戸惑いながらも、思わず顔が引き攣りそうになるのを必死に堪える。乙女ゲーのヒロインに、お姉さま呼びをされることになるとは、少々複雑な心境である。決して、嫌ではなくて……
前世の彼女は、この世界と激似の乙女ゲーでは、悪役令嬢フェリシアンヌが一番好きではあったが、乙女ゲーヒロインも嫌ってはいない。寧ろ、好感を持っていたと言える。ゲーム内では、ヒロイン目線でストーリーが進む。ヒロインのゲーム外の裏の事情に、ヒロインになり切って遊んだ彼女には、他人のような気がしないと思っていたところ、お姉さま呼びを明言されたのである。
…いやいや、テレンシスさん。悪役令嬢にお姉さま呼びを試みようとは、流石は乙女ゲーのヒロインと言うべきかしらね…。抑々ゲーム設定に、悪役令嬢とヒロインが仲良くなるルートなど、存在しておりません…。もう一度シアに、確認しなくてはなりませんわね?
悪役令嬢とヒロインが仲良くすれば、今後の展開がどう変わるか、フェリシアンヌにも分からない。乙女ゲー第二弾を知らない以上、設定通りのヒロインらしい性格かも見当がつかなかった。現実のテレンシスは設定通りではなく、前作ヒロイン・アレンシアよりも、ヒロインらしい性格と言えそうだ。彼女とは旧知の親友の如く気が合った所為で、少々浮かれていたかもしれない、と……
「もしかして…お嫌でしたか?…それならば、諦めます。フェリシアンヌ様が望まれないことは、わたくしも致したくございません……」
「…い、いいえっ!……そういうことでは、ございませんわ。ヒロインからそのように呼ばれるとは、想定外でしたので………」
「………ヒロ…イン?」
「……あっ!…いえ、テレンシス様のようなお人のことですわ。清楚で純真で可憐な人物を、ヒロインと表現させていただきましたの。……オホホホホホ。」
憧れの乙女ゲーに登場するその1人、ヒロインからお姉さま呼びをされ、暫し固まっていたフェリシアンヌを、逆に嫌がられたのだとテレンシスは誤解した。慌てて否定したものの……。笑って誤魔化すとは、こういう状態のことだろうか?
明らかにシュンと肩を落とした彼女に、フェリシアンヌも罪悪感を感じる。そう呼ばれるのは嫌ではなくて、自分はヒロインと対峙する悪役令嬢だと、説明できないことにジレンマを感じる。ついつい…油断して、ヒロインという単語を口にしてしまったが、やはりヒロインには前世の記憶はなさそうで。
テレンシスが首を傾げて不思議そうに呟き、フェリシアンヌは漸く自らの犯した過ちに気付く。乙女ゲーヒロインと認識していた所為で、お姉さま呼びという思いがけない事態から、つい前世の言葉を漏らし…。
この世界にヒロインという言葉は、元々存在しない。この世界の住人には、当然ながら意味が通じないのである。もしも意味が理解できるのならば、前世の記憶を持った異世界転生者と、断言できるかもしれない。テレンシスをそういう局面から見ても、アレンシアが見通した通り、転生者ではないと言えるだろう。
フェリシアンヌはハッと我に返ると、自らが作り出した造語だと誤魔化す。元々が彼女のことを表した言葉でもあるし、後は適当にそれらしい言葉の意味を与えて、今思いついたように説明することにした。当の本人テレンシスは目をパチパチ瞬きつつ、キョトンとしている。ちょっと不自然だったかな?…と、フェリシアンヌは冷や冷やしていると。
「…まあ!…それを申し上げますならば、お姉さまの方が『ヒロイン』と呼ぶに相応しいお人ですわ。お姉さまのように何もかも完璧なお人には、初めてお会い致しましたもの。お姉さまはヒロインと呼ぶべき、最も相応しいお方です!」
「……………」
…さ…流石は、ヒロインですわね…。悪役令嬢を持ち上げられるのが、本当にお上手ですこと…。正真正銘の乙女ゲーヒロインから、まさかのヒロイン認定という太鼓判を押されるとは、夢にも思いませんでしたわ……
何やら興奮冷めやらぬ様子のテレンシスが、マシンガントーク口調で悪役令嬢を褒め捲る。フェリシアンヌが作り出したという造語に対して、フェリシアンヌの方が如何にヒロインに値するかと、熱く語ってくれている。褒めるに値する人物だと認められるほど、フェリシアンヌが居た堪れない気分となることに、テレンシスは全く気付かずに…。
…ううっ。乙女ゲー認定ヒロインが、悪役令嬢をヒロイン推しする図式は、心が痛みますわね…。彼女のわたくしへの好感度は、一体どれほどのものかしら?…今日初めて、お会いしたばかりの相手に…。何故に…こうなりましたの?
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結果として、悪役令嬢とヒロインの2人は偶然知り合い、友達という関係になってしまう。テレンシスに帰り道を案内してもらう形で、フェリシアンヌと2人で戻ることになる。人気のない場所で分かれ別々に校舎に戻り、何とか誰にも見つからずに済んだ。帰宅後に冷静になるにつれ、フェリシアンヌはヒロインと友達になったと実感し、死ぬほど後悔していたのである。
…ああああ〜〜〜!!……取り返しの付かないことを、致しましたわ…。ヒロインと仲良くなる前提で、お約束を取り付けるなどとは、悪役令嬢の破滅ルートへの道ではございませんこと?!
頭の中では大混乱中の彼女も、侯爵令嬢としての礼儀をしっかり叩き込まれ、誰がどう見ても不審な様子は全く見られない。この国の高貴な身分の家柄で、王族の血も引き継いだ所為で、無意識な状態でも簡単にはボロを出さず、済んでいる。彼女はそれすらも、自覚していなかったが。
今直ぐにでも、クリスティアに相談したいところだが、肝心の彼女は病欠中で登校していない。ならは、他の女子友に相談できればいいが、1学年上のアリアーネや1学年下のミスティーヌには、学園内で会うことさえ難しい。アレンシアは学園には通学不可能な身分となり、二度と通学許可も降りないことだろう。次代の国母となる王太子妃ユーリエルンは、今更この国の学園に通学する理由もなく、ジェシカはまだ貴族に属したとも言えず、学園には通学不可能だ。それに、彼女が貴族に属する頃には、学徒を終え結婚した後と言えようか。
こうして誰かに相談も叶わず、フェリシアンヌは悶々とした気分のまま、この日を過ごしていた。責めて学園退出後にでも、女子友の誰かに打ち明けられれば、彼女の気分も晴れたことだろうが、今日は他の女子友達との都合も会わず、この一件は明日以降に持ち越すことになってしまう。
…どうしましょう?…クリスは、明日も学園をお休みなさるのかしら?…わたくしがまたあの場所に逃げ込むことになりましたら、そうなれば自動的にヒロインとの再会へと、繋がってしまいますわね…。
フェリシアンヌは雑念を振り払い、貴重な授業に集中して過ごすものの、自宅に帰宅して自室で1人になった途端に、後悔ばかりが頭を過ぎっていく。テレンシスの自らへの好意を、無に返す勇気など彼女には元々なくて…。それこそが彼女本来の優しさでもあり、同性からも好かれる要素であると、言えるだろうか…。
結局彼女は数分後、すっかり開き直っていた。前世から彼女は案外と、諦めるのも早かったりする。要するに、何時までもグダグダと悩み続けるのは、彼女の 性 には合わないと言うべきであろう。
ある日いきなり貴族社会に放り出され、誰を信用すべきか分からずに、1人ひっそり孤独と戦っているヒロインを、放ってなど置けなかった。貴族の養女になる裕福な暮らしを受け入れず、自分を育てた両親の元へと帰りたいと、必死に養父の命令から抗いつつ、たった1人で直向きに邁進する姿勢に、フェリシアンヌも自然と惹かれた自らの心境など、彼女自身も自覚できずにいたけれども……
…大丈夫ですわよ、これまでも乙女ゲー通りとはならず、無事でしたもの。第二弾でも、きっと大丈夫ですわよ。無事に全てが、収まりますわ。絶対に…そうしてみせますわよっ!
結局フェリシアンヌは、誰にも相談が出来なかったと、不安に苛まれていた。自らに暗示をかけるかの如く、ベットに潜り込んでからも1人ブツブツと呟き、何事もなく無事で済むように祈りながら、漸く眠りに就いたのである。
婚約者であるカイルベルトに、今日起きた出来事をすぐにでも知らせれば、彼も渋い顔付きをしつつも許したことだろう。女子友達も苦笑しながら、ヒロインのことも受け入れたことだろう。彼女は女子友に相談したいと思っていても、彼に相談することは忘れていた。最近忙しい様子の彼と、暫く顔を合わせる機会もなく、近況報告は手紙のやり取りで済ませていたからだ。
ヒロインとは偶然出逢ったことで、友達になる約束をしたかも…と、その程度の認識しか持ち合わせておらず、これぐらいで迷惑を掛けたくないとも、思っていた。婚約者としても知人としても、彼にはまだ遠慮をしていた彼女は、何でも相談すればいい問題ではないと、思っていて……
当然の如く、後で事情を知った彼の怒りは、大きいと言えるだろうか…。普段は紳士的で滅多に怒らない人物ほど、本気で怒れば誰よりも怖いという事情を、彼女は身を以て知ることとなるだろう。
前世の旦那さまと同様、本気の怒りを含む笑顔を向けられ、寒気がするような恐怖を感じることになろうとは、フェリシアンヌは未だ知らず……
但し…これは、もう少し先の話である。
フェリシアンヌとテレンシスとの出逢い編、今回で終了です。次回からは新たな展開へと……?
婚約者カイルベルトの影が、ここにきて薄くなっているような…。それでなくとも前作でも、後半終盤にしか登場しないのに……




