壱章 六
音の響いた方角や周囲の様子を頼りに私達は足を進める。いやそれを頼らずとも、いずれはそこに辿り着いたのだろう。八咫烏の家と海とを繋いだ、丁度真ん中辺り。一番目立つ大きな山のてっぺんなのだから。
「ひゃァ、これはまた派手にやられたね」
見ると、隕石でも落ちたかのような大きな凹みがそこには出来ていた。驚いたように肩を竦めると八咫烏は軽く頭を掻いてケラ/\と笑い出す。
「君、他人事みたいに云うけれど、仮にも君の土地だろう」
「嗚呼、そうだった」
こちらへ目を向け素っ頓狂な声で返事をすると、今度は打って変わって不機嫌そうに頬を膨らませる。あまりの呑気さに私は深くため息をついた。
──いや、実際はあの反応であっているのだろう。此処は元々、私の土地であった。あの事を皮切りに、彼の、八咫烏の土地となったのだ。かといって、特に私はそれについて恨んではいない。今更言っても仕方のないことなのだから。そう。仕方のない。
「さて、全体誰がこんなことをしたかだけれど。見当はつくね。そうだろう?」
山頂に出来た大穴を少し眺めると、八咫烏はこちらを向いてそう声をかける。その口ぶりからして、彼も判っているのだろう。
「そうだね。まだ此処等に居るかもしれないから、気を付けようじゃないか」
「はゝゝ、その通りだ」
その時、突如山に空いた大穴から何かが飛び出した。いや私には、それを視認することは出来なかった。
言葉を言い切ると同時に私の視界から八咫烏は消えていた。飛び出してきたその何かに弾き飛ばされたのだ。其の儘後ろへと転がれば丁度生えていた木に背を打ち付ける。
「ヤタさん?」
あまりの素早さに私も八咫烏も咄嗟に反応することは不可能だった。八咫烏のもとへと駆け寄ると彼は咳込みながら立ち上がった。
「あっはゝ、痛いねぇ、本当に。物騒なことだよ。ねえ? おいぬさん」
「そんなに呑気に話す場合じゃないだろう全く。──随分と手荒い出て来方じゃないか? 白兎神」
彼を飛ばした犯人は他でもない、あの居なくなった白兎神であった。見上げれば何をするでもなくたゞその空に留まっている。しかしあの目は何だろうか、何も見ていないような、虚ろな目をしている。
「おゝい。何か返したらどうなんだい」
服や髪に付着した砂を軽く手で払いながら八咫烏がそう声をかけると、虚ろな彼の目に変化が訪れる。何か、そう、適いもしない相手に見つかった小動物のように目を見開き、これでもかと私達を凝視する。何が楽しくてあんなに見ているのか。
暫く睨み合いが続く。白兎神は変わらずこちらを見詰めているので、八咫烏は痺れを切らして、一歩。と、次に動いたのは白兎神。素早く踵を返すと其の儘私達の向いた方へと走り出した。
「お、逃げるのかい」
彼は思っているより短気な性格で、仕返しは昔から必ずとしていた。さて何をするのやら──そう考えていた私の足は地から離れている。これは
「そら行け、おいぬさん!」
私の服を掴んでいた彼の手の一つが、勢いよく私を投げ飛ばした。
「うっ、わ、」
勿論私はその力の流れには逆らえず、白兎神が飛んだ方へと飛ばされる。と次の瞬間には別の掌へ、そしてまた別の手から射出。成程、彼の意図を理解はした。全体あれの構造はどうなっているのか……だがあまりに無茶だ。
風圧で身体が押し潰されそうになりながらも、私はその身を伸ばしてひたすらに前を見る。その瞬間を待つために。
何度も同じことを繰り返し、私の視界に逃げる彼の姿を捉えると、すぐさま両腕を前に出し待機。次に射出された時には、白兎神は私の腕の中に捕えられていた。
「えゝい、ほら、動くんじゃない」
抜け出さないようにしっかりと腕を締め制止する。だが、その時、私の頭には一つの疑問が浮かんでいた。
これを、どうやって止めるのだろう。
やり方なんて一切聞いていなかった、いや聞く暇など無かった。ひょっとすると彼はこのまゝ落ちるのを待つのではないか、彼はそういう奴だ。そんな考えが回る中ただ風の流れに身を任せていると、注ぐ日光に陰が差した。この陰は、八咫烏、彼の所有する掌の一つである。しかしこれで受け止めたところで何があると云うのか。そんな私の心配を他所に、いや何かが出来るわけでもなく。私は衝撃に備え全身に強く力を入れた。
が、特に必要は無かったようだ。前方に広がっていた景色は、彼の手に収まると同時に冬空へと変わった。どうやら私達は向きが変わり、上に向かって打ち出されたようだ。ふむ、成程。確かにこれなら。
暫く大人しくしていると、穏やかに、確実に速度は下がっていったようで、風圧は既にほとんど無くなっていた。さてこれから落ちるぞとなった時、私はもう安全なのだとその頭で理解する。
「漸く追い付いた。どう? すごいだろう」
八咫烏の姿が視界に入ったのだ。私達の真下には先程打ち上げに使われた手底が待機していたようで、其の儘何の衝撃もなく二人を受け止める。私の腕に居る彼は未だ抜け出そうともがいているようで、止む無く絞め落とすことになった。