弐章 九
「まぁ変なことは辞めにして、仲良くしようじゃにゃーか!」
暫し二柱の睨み合いが続く──と、飄々とした笑みを浮かべて猫神が告げる。態とらしい口調だ。後を追う様に八咫烏も笑った。何故か私には、この二柱が胡散臭く見えて仕方がない。
「そうだねぇ。僕は君のこと何も知らないけれど、どうせ今起きてる事の、あれも知っているだなんて云い出すのだろう?」
「勿論だとも、我が友よ。とはいえキミの方が知ってると思うけどなあ」
「あっはゝゝ。辞めておくれよ友だなんて……なァんにも、知らないのに、さ」
卓を挟んで発生する之の瘴気を私はどうすれば善いのだろうか。八咫烏が此処まで敵意を剥き出しにすることも珍しい。其れほど気に障ったのか。彼等の事が気掛かりで話に全く身が入らない。私は席を立つと、向いで呑気に菓子を貪り喰う白兎神へ音を立てず近寄り、小さく声を掛けた。
「おい、何とか出来ないのか」
口いっぱいに頬張った儘振り向く姿は正に小動物のようだ。何が愉しくてそんなに詰め込むのか。そんな喰い方をするから彼に狙われるのではないか。之の一瞬に言いたいことは山ほど出てきたが、次の瞬間には如何でも良くなった。私が言う義理は無いのだ。
案の定返事は聞き取れない。口から菓子を溢しはしないだろうなと懸念しつゝ飲み込むよう促した。──刹那、彼等の様子を窺う。変らず険悪だ。
「ボクがどうにかしろって? 無理だよ、判るでしょ?」
自信が有るのか無いのかよく判らないが、無性に私は之の半端者を殴り付けてやろうかと思った。湧き上がる衝動を抑えつゝ、唯和やかに見つめている大蛇へ目を向ける。
「君、やけに落ち着いているが、放っておいて善いのかい」
「えぇ、あれはあれで頑張っているのですよ。一寸不器用なだけ。──少々お待ちを」
そう告げると、大蛇は一礼して応接間を出た。本当に止める心算は無いのか。
正直、私にはあまり理解が出来なかった。どう見れば歩み寄っていると取れるのか。私の心が狭いだけかとも疑った。……否。
それにしても、あの男は本に余裕が有る。少々皮肉は云うが、軽く言葉を交わすだけならば只の礼儀正しい男だ。然し、常に背中を這う様な寒気が付き纏い、其れを一生拭うことは無かった。
「さ、仲良くするのは構いませんけど、そんな暇は無いのでは?」
ずっしりとした重圧に白兎神が当惑し始めた頃、全員分の飲み物を盆に乗せ運んで来た大蛇が漸く口を挟んだ。鶴の、いや蛇の一声で黙った二柱は此方を向いて、又た一瞬目を合わせて、頬を緩める。
「慥かになぁ。でもそんなに急ぐ事じゃないだろ? ……ま、いゝか」
何が目的で連れてこられたのか、危うく見失うところだった。先ず彼は、何故そんなにも悠長にしていられるのだろうか。
「どうしてオイラが色々知ってるか、そっから話そうかいにゃ。キミは知らんだろうが、何も事態を把握してるのはカラスくんだけじゃない。寧ろ、今知らない奴なんてほとんど居ないぞ? そこらに居る妖怪共なら未だしも、消えてるのはオイラ達神だ。そりゃお偉いさんも怒るだろうよ」
置かれた器に取っ手が有るにも拘らず縁を持って慎重に一口飲むと「熱、」と小さく。又た彼は続ける。
「それで、失踪した奴らがな、把握してるだけでも五〇は超える。捜索はしてるし、殆ど帰ってきたが、何とも釈然としない。未だ行方が判らん奴も居るしなぁ」
私が知らなかったとはいえ、其の事実には少し、戦慄した。八百万居る中で五〇と聞くと少なく感じるが、仮にも神なのだ。そんなにも多く失踪させるにはかなり手間が掛かるとみた。ひょっとしなくとも、縄付は複数居るのだろうか。細かい話を聞く中にそんなことを思った。
「それにしても、君。随分と落ち着いているな」
「焦ってちゃ見えるもんも見えない。それこそ簡単な数式でさえ、少しの焦りが大きな失敗を呼ぶのさ」
「……はあ」
妙にそれらしいことを云うものだから、ふいと力の無い返事をしてしまった。唯の阿呆ではないのか……私もまた、色眼鏡で見ていたのかもしれない。
「すまない、少し君のことを誤解していたようだ」
「何だい、謝るならもっと詫びの品なんか欲しいよなぁ。そうだなオイラは魚が善いぞ。勿論骨は抜き取っておけ」
前言撤回しよう。矢張りこいつは阿呆の陸でなしだ。