弐章 一
──君というやつは
どうも身の危険を感じると視界を塞ぐみたいだ──
不図、八咫烏が昔そう云った事が有るのを私は思い出した。
八咫烏は私の昔馴染みだった。
私が一人出先の砂場で団子作りに勤しんでいると、視界の端に一つの影が入る。狸か。否耳は見えない、では猪か。それにしては大人しい。碌に顔も上げず只管に手中の塊に全ての意識を向け何時しか影の居る事も脳から弾き出される時。
「それ、何」
意識の集中をそこらに散らされた私は端の影を思い起こし漸く顔を其方へと見せる。幼い私と同じ位の背丈の、男児であった。片の目を隠す髪は少し日の傾けば紫に影の差せば真黒に。其の中で光る一つの紅は唯真っ直ぐに此方を見詰め己の疑問を解消したいが為に揺れ動く。此処等の児と戯る時には一度も見掛けた事の無いような派手で奇怪な模様の一枚布に身を包んでいた。
「──お団子を作ってる」
「お団子」
其れ以上何を云うでも無く立ち尽くす彼から視線を外すことは私には出来なかった。彼の姿を目にするよりも先に集中の途切れた其の瞬間から私の鼻をついていた、凡百花を一つに纏めたような甘ったるい香。その中に混ざる花では無い、仄かな鉄の臭いを私は逃さなかった。どれだけ幼くとも理解の出来る其の臭いは、私の視線を其処に留めるには十分な理由だ。
「君は、何処から来たんだい」
名前の一つ知らない相手に聞くことの例。何処から、と小さな子供が聞いて何かの為に成るのかと云えばそうではない。只他の柱達がそうしていたのを真似たに過ぎなかった。
「あっちの、方から」
布の下より腕を出すと、男児は嗅覚を抉るような臭いを振り撒きながら己の背後を指差しそう一言。漂う臭いに眉を顰めていると、目の悪くないが為に映った一瞬の色を子供な私は本能的に脳裏に焼き付けた。未だ乾きの浅く強い赤と茶の入り交じった汚れ、あの布柄と同じものかと思案したが。いや。
生真面目に作っていた団子を片手に私は立ち上がって彼の振り向くのを待つ前に一歩、二歩、距離を詰める。
「君の服、迚個性的だね。少し見せてよ」
物事を深く考えず思い付きで行動をする年齢の頃は、危機感を失くすもので。不用意にも手を伸ばし其の目に煩わしい布を取っ払おうとした。と、
「駄目」
素早く身を向けると男児は蠅を叩き落とす様な焦燥の交ざる手の振りで私の伸ばす手を叩く。ぱち、と軽い音と共に払われた腕は反発し横に留まって数秒、息をつき地に向け下ろされた。
「そう、判ったよ、じゃあ見ない」
両手の平を彼に向け少し顔の横に上げれば直ぐに元の位置へ、「代わりに」ともう一度口を開くと男児は此方の瞳をじっと見詰めて警戒の様子を見せる。然し彼の心配等を他所に二の句を継ぐと、向けられた視線は幾らか柔らかいものに変わった。
「名前を聞かせてよ」
瞬きを数度、ゆったりと目を伏せた後に再び此方へと視線を向ければ、決心したのか男児は息を吸い口を開く。
「ワタシの、名前は──」