壱章 十
「あの服、ボクの土地に住んでた人達のあれだよ。多分ボクのとこのだ」
成程、土地があのように放置されていた理由とは之だった。教会とやらが集めようとしたのは人であったわけだ。そう考えて振り返ってみれば、あの場には兎程度しか、居ないように考えられた。
「うゝん、僕には未だ見えないけどさ。人が居るんだとしたら、可笑しいよぇ」
日光を遮るよう目の上に手を当て、八咫烏は遠くを見る。勿論見えていないので陽を塞いだとして何の意味も無いが、気休め程度に。
「私は、あまり進むことは勧めないが……というか帰りたい。どうする?ヤタさん」
「やァ、君、それ洒落かい? はゝゝ、あまりいけてないよ。でもそうだなあ、話くらいは、聞いてみても善いんじゃないかな。ねえ?」
と云って、自分の視界に入る距離まで近付こうと彼は手底を進める。
「待った、待った。辞めた方が善い」
私が止めるのには、それなりの理由はあった。私が人でなく神であるならば、彼等が正気であるならば、彼等が丸腰であるならば。私は止めはしなかったであろう。彼等のその手には、農民が持っていいようなものでは決してない猟銃が携えられていて。丁度八咫烏の視界に其れが映るであろう距離まで来た時──それ等は構えられた。
「ん、拙いね」
もう此処まで来れば彼にも其れが理解出来たようで。然しそこから引き返すそれが出来る余裕を与えてくれる様子ではない。間も無く聞こえたのは一発の銃声。一番正面に居る農夫の猟銃から発せられた。
然しいくら強力な猟銃といえど只の農夫が扱えるような代物でなく。真面に当るはずもなく唯八咫烏の頬を掠め後背の山へ消えた。切れた頬から伝う血液を彼は軽く指で拭って眺める。見つめる視線がやけに冷たく見えたのは、私の気の所為か。軽く指に付いた血の臭いを確認すると、彼は愉しそうに此方を見て指を向けてきた。
「ご覧おいぬさん! 血だよ! 僕の!」
「見せないでくれたまえよ、気味が悪い」
嫌っているわけでもないが特に好んで見るわけでもない八咫烏の手を私の視界から追い払う。ちぇ、と一言零すと彼はもう興味を失くしてしまったのか、指に付いた血液を舐め取った。
「美味しくなァい」
「ねえ、そんなに緩慢としてる余裕無さそうなんだけど」
隠しきれぬ焦燥を浮かべて話すは白兎神。成程私達の様子を見てなのだろう。確かに、見たところ私達よりもかなり多い人数となっている。目視しているだけを数えても大凡十数人。八咫烏や白兎神だけが相手をするのならば何も憂慮する必要などないのだが、問題は私の存在なのだろう。元は彼等と同じ台に立って居たとはいえ、私は今、人として暮らしている。彼等には何も無かったとしよう。
実際、あのような鉛玉を其の身に受けたとてかすり傷なのだ。土地神というものは、見た目とやらが重要らしく。多少の怪我ならば時間を置けば治ると聞いている。
否、今は彼の云う通り、何か別の事を考えている暇が無さそうだ。私がそんな事を頭で廻らせている内にも、目の前に浮かぶ彼の猟銃は再び構えられる。銃口を向けた先は──嗚呼、私だ。白兎神の云う通り、気を張るべきであっただろうか。避けろと脳が信号を送る前に、無情にも其の木製の兵器から鉛玉は撃ち出された。今から身を捻っても気の緩みを見せてしまった私には避けることは出来ない。あの向きは屹度、私の心臓に当るだろう。
次に来る痛みを想定すると共に、私は両眼を閉じた。