幕間:元同行者の判断
……しかしまぁ、これからどうしたもんかしらねぇ。
朝から晩まで酒場の同じ席に居座り続けても結局現れることのなかった誰かのことを考えながら、女は今後のことを思って長いため息を吐いた。
●
彼と別れて宿に戻った後で、いつも通りに彼と落ち合うのに使っていた酒場に向かい。
その道中において、彼から聞かされていた通りの場所で襲撃を受けてそれをなんとか凌ぎきり。
事前に手配しておいた処理屋に後を任せ、目的地である酒場へと足を踏み入れ、暇そうにしていた店員を捕まえて金を握らせて急いで料理やら飲み物やらを持ってこさせた。
そして席に届いたそれらを平らげ、口の中をさっぱりさせるために水をがぶがぶと飲み干して思った。
――死 ぬ か と 思 っ た っ つ ー の !
この思いを口にして叫ばず、空けた器をテーブルに叩きつけなかった精神力というか忍耐力を褒めてもらいたいものだった。
……いやまぁ、本当に誰かにそうしてもらいたいと考えたわけじゃあないけれど。
思わずそう考えてしまうほどの自制心がなければ喚き散らしていただろうくらいには、今日起こった出来事は私の許容を越えるものだったのだから仕方がなかった。
確かに襲撃があることは予想していたし、凌げるようにと準備はしていた。
――でも、何事にも限度というものがあるじゃないか。
なんだあの人数。なんだあの連中。こっちを殺す気か。女一人にあの戦力は過剰に過ぎるだろ予想外にも程があるっての。
いやまぁ確かに? いいところを見せるとは言ったけど?
人間にはやれることとやれないことってのがあるんですよ!
なんとかしてやったけどさぁ!
――と、そこまで内心で叫び散らしたところで大きく溜め息を吐いて思考を中断した。
理由は単純で、聞かせる相手がいないから不毛だという、それだけの話だった。
とは言え、命の懸かった荒事を無事にやり過ごしたのだから、ある程度は発散しないと切り替えることもできやしないのだ。
つまりは必要な行為であって恥じるところはないのだ、そのはず。
……誰に言い訳してるんだか。
内心でそう呟きながら溜め息を追加した後で、思考の方向性を切り替えることにした。
とりあえずは、運が良かっただけの話でしかなかったとしても、問題のひとつは解決したのだ。
……だったらそれでいいと、無理矢理にでも自分を納得させるのが懸命な判断というものでしょうよ。
なぜならば、考えなければならないことというものはいつだって、次に片付けるべき問題や課題についてであるからだった。
そして今、最優先で考えなければならないことはひとつだけだったが。
「……まぁ、少しくらいは怠けてもいいでしょう」
そう、自分に言い聞かせるように呟いてから。
「万が一があるしね」
おそらくは来ないだろう誰かを待ってみるために、近くに居た店員を捕まえて追加の酒と料理を注文することにした。
●
――結果だけを簡潔に言えば。
彼はその日を境に、酒場に姿を現すことはなくなった。
彼が私を置いてこの街から去っていったという事実を認めるまでに数日という時間を必要としたのにはいくつか理由があったわけだけれど。
単純に、彼が姿を見せなかったという事実だけでは判断が難しかったから、というわけでは勿論なかった。
……それも確かに理由のひとつだけれども。
一番の理由には成り得ないことは明白だ。
だってそんなことは、彼と最後に会ったそのときに彼の口から聞いていてわかっていたことだからだ。
だから。
私が数日という、それなりに長い時間を無為に過ごしていた最も大きな理由はただひとつ――身の振り方を考える時間が欲しかったからに他ならなかった。
もっと言えば、そのことについて考えたくなかったから言い訳のきく限界まで逃げ続けていた、ということでしかなかった。
――なぜそんなことをしたのか?
そんなのはよく考えなくてもわかることだろう。
彼を逃がしたということは、王から直々に任された依頼を失敗したということと同義なのだ。
たとえ彼の姿を捉えるのが自分にはどうあがいたって不可能なことだったとしても、それは王には関係なかった。
失敗は失敗でしかなかった。
――仕事とは畢竟、結果が全てである。
それはようくわかっているつもりだった。
だからこそ、失敗した事実を報告することと自分の生死が繋がりかねない状況において、思わず現実逃避をしてしまうのもまた、自然な反応だったのではなかろうかと強く思う。
――しかし、現実というのは厳しいものだ。
何事にも限度というものがある。
報告を遅らせることで誤魔化しているけれど、この報告は、怠れば支援が断たれる類のものだった。
そしてこの支援が断たれてしまえば、私の今の生活は成り立たなくなるのだ。
……蓄えがまったくないわけでもないからすぐに死ぬようなことはないけどさぁ。
報告を放棄した結果として、支援が断たれるだけでなく、裏切り者として処分ないし身柄を確保されるようなことがあっては目も当てられなかった。
ただ、だからと言って大人しく報告をしてもいいものかどうかと言われると、身の危険を感じてしまえば実行するのは難しかった。
……要は踏ん切りがつかないって、そういうことよね。
我が事ながら優柔不断というかなんというか、ここまで決断が出来ない人間だったのかと、うんざりしてしまう気持ちで一杯だった。
なにせ身近に、今の自分とは真反対にある、反例のような振る舞いをする人間がいたのだから、自分に対する失望に近い気持ちは強くなる一方だった。
「…………」
自責にも近い心境において脳裏にちらつくのは、一人の男――この状況を作り出した張本人であり、元勇者にして元同行者の姿だった。
――彼は一人だったはずなのに。
それでも、面倒事に巻き込まれた時にはこちらへ協力を仰ぐこともなく。誰も恃まず。即断即決に近い速さで自分の行動を選択し続けていた。
……きっと今もそうだろうし。
これから先もそうし続けようとしているに違いなかった。
……どんな頭してんのかしらね、あの人は。本当に。
彼の選択は常に、今自分が直面しているような、生死のかかったものだったはずだ。
それでも躊躇わずに進み続けられたのは何故なのか。
――その答えも、最後の夜に彼の口から聞いていた。
「世の中はどうにもならんことだらけだ。
だからこそ、少しでも信じられる何かがある選択肢を選ぶだけだ、か」
否応なしにこの世界に呼び出されたら死にかけて。
救われたかと思えば放り出されることになった彼の言葉には、それなりの重みというか説得力というものがあった。
……信じられるもの、ね。
今この状況において、私にとってのそれとは一体なんだろうか。
長く仕えた主であるところの王が施してくれるかもしれない慈悲だろうか?
……まぁ順当よね。
この場合において、私の立場で期待できるものはそれくらいのものだろう。
でも、それとは別に期待しているものがあった。
してしまっているものがあった。
……彼が手を回してくれたりすると楽でいいんだけどなぁ。
ただの同行者でしかなかった自分に、そこまでの配慮をする理由なんて彼には存在しないのだから期待する方がおかしいというのに、そう思う気持ちは止められなかった。
それだけ追い詰められているということでもあるのだが、それなりに付き合いを持ったからこそわかる彼の人柄というものが、もしかしたらという期待を抱かせていた。
「……甘くなったなぁ、私も」
でも、悪い気はしなかった。
――そう思えた理由を理解できたから、気持ちがあっさりと切り替った。
いずれにせよ、報告はしなければならないし。
報告をする以上は、私は王のいる城に戻らなければならないのだ。
何もかもを放り出して逃げ出すというのも、今いる場所であれば不可能ではなかったけれど。追われる生活の辛さは、彼を見ていてよくわかっていた。
……全てを一人で完結させる処理能力を、私は持っていないし、
持てる気も持つ気もないのだ。
……だったら、私が選べる選択肢なんてひとつしかないのよね。
ゆえに。
ここで必要なことは、選ばされたのではなく選んだという自覚だけだった。
「……じゃあ、もう準備は出来てるし。さっさと行動に移すとしましょうか」
生き残りたければ頭を回せ。
これはどんな立場であっても変わらない原則だ。
「私も少しは彼を見習って――暴れればそれなりに痛い目を見せられるんだと示してやりますとも」
そうならないのが一番だけどね、と思いながら長い吐息をひとつ挟んだ後で。
街を移動する準備を済ませるために、部屋を出ることにした。




