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主人公、同行者とこれからについての話をする 5


 ――このままだと時間が無為に過ぎるだけだな。


 顔色を悪くした状態で黙りこんでいる女を見て、彼はそんな言葉を思いながら溜め息を吐いた。



                  ●



 こちらの回答に彼女が示した反応は、答えを得られた喜びなどではなく、驚愕と混乱のそれだった。


「…………」


 それでも、彼女は彼女なりに話を進めるべく、何度か口を開こうとする様子は見せていたのだが――結局はうまく言葉が見つけられなかったのか、その度に表情を暗くしながら黙りこむだけに終わってしまい、話が前に進むことはなかった。


 ……さて、どうしたもんかね。


 話し相手である彼女は、現在において正常な思考ができる状態にないことは明白だった。


 しかしそれは、話を進めることが出来ない理由にはならなかった。なるわけがなかった。


 ――なぜならば、今この場で行っている会話が交渉に近いものだからだ。


 交渉とはお互いにとっての"損得が釣り合う場所"を探るために行うものだが、ここで言うところの"損得が釣り合う場所"というのは、必ずしも"損得の配分が等分である"ということを意味しない。


 仮に一方が損だけを被り、もう一方が利益を独占することになろうとも、両者がその条件を飲まざるを得ないのであれば、その交渉における両者の"損得が釣り合う場所"はそこなのだ。


 ……まぁそこまで極端な偏りになることはそうないだろうけどな。


 要は、交渉という単語に対して勝利するという表現を用いることにほぼ違和感を感じないのは、交渉が自分の利益を最大化する舌戦の場だからだ、というだけの話である。


 そしてそうであれば、交渉相手である彼女が茫然としている今の状態は、付け入る隙があるという意味で好ましいとさえ言えた。


「…………」


 そこまで考えたところで、思っていることが表情に出ないように意識して努めながら、内心で溜め息を吐いた。


 ……つっても、今回においてそれを徹底しなきゃならないかと言われれば、微妙なところなんだよなぁ。


 特に今回の場合は交渉そのものの主導権がこちらにあるので、別な意味で扱いが難しかった。


 有利な立場にあり、その気になれば総取りもできる状況というのはなかなか有るものではないが――いざそうなったからと言って目先の利益に飛びつくこともできなかったりするのだ、これが。


 確かに、世の中全部ゼロサムゲームなんだから勝者が総取りするのは当たり前、という意見は正しいと思うけれど。


 "論理的に正しいこと"と"感情がその正しさを受け入れるかどうか"は別の話なのだ。


 その上、受け入れがたい現実に対して生じる拒否感とでも言うべき感情は、その結果に向かう流れの中に自分の意思を挟む余地が少なければ少ないほど強くなる傾向にある。


 もちろん、万人がそうだと断言する気はないけども――少なくとも自分はそうだったのだ。


 ……だったら他にもそんな人間がいるものと考えた方がいい。


 そして、だからこそこの場における会話の主導権は相手に譲り、諦めるための理由をわかりやすくしておこうと目論んでいたわけなのだが。


 ……なかなか思った通りには進まないもんだ。


 そう思ってから、溜め息に見えない程度に気を使いながら長い吐息を吐いた後で、思索の方向を切り替えた。


 ――相手が話を進めることが出来ないのであれば、自分で話を進めるしかない。


 時間は有限だからなぁ。


 やらなければならないと判断している作業は多いのだ。


 この会話が重要ではない、なんて言うつもりもないけれど。


 それは時間の浪費を許容する言い訳にはならなかった。


「…………」


 最後にもう一度、対面の席に座る彼女の様子を伺ってみたが――彼女の状態に変化はなかった。


 ……これが演技だったら大した役者だと褒めるしかねえな。


 そんな言葉を思いながら、今度は明確に溜め息とわかる形で吐息を吐いてから言う。


「俺は聞かれた内容には答えたつもりだが、何か追加で聞いておきたいことあるか?」


 問いかけには無言が返ってきた。


 まぁ答える余裕がないだけかもしれないが、必要なのは形だけ――相手が後で文句を言ってきたときに言い負かすことのできる状況を実際に作っておくことだけだ。


 だから続けて言う。


「――なさそうだな。それじゃあ次の話に移ろうか」


 ここでようやっと彼女の様子に変化が訪れた。


 うつむかせていた顔を上げて、逸らしていた視線がこちらに向けられた。


「……っ」


 浮かんだ表情や視線の色から、彼女が待ったをかけたいと思っているだろうことが感じられたけれど。


 彼女が実際に何かしらの行動に移るよりも早く、口を開いて言葉を続けた。


「あと残っているのは、俺の動向を把握するために同行したいという件だったな」


 そうだな? と念を押すつもりで視線を返してやれば。


 何かを堪えているような、何とも表現しがたい表情を浮かべた後で、


「~~っ、ええ、そう。その通りよっ」


 吐き捨てるようにそう応じてきた。


 ……八つ当たりにせよ、張り合いが出るのはいいことだ。


 彼女の反応を見てそんなことを考えながら、話を進めるために言葉を続ける。


「お互いの認識に間違いが無くてなによりだ。

 ――それじゃあ、細かい条件についてつめるとしようか」


 そうして返ってきた大きな溜め息を了承の意図と受け取ってやることにして。


 多少はまともに頭が回るようになったらしい彼女に対して、遠慮無く勝ちを取るつもりで交渉を再開することにした。



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