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幕間:ある刺客の判断


 ――悪い事というのは重なるときは重なるものだ、ということはよくわかっているつもりだったが。


 ここまでひどいのは生まれて初めてだ、と。


 目の前に立っている女の姿を認めて、男は内心でそんな言葉を吐き捨てた。



                 ●



 この世界では稀に、こことは違う世界の存在が現れていた。


 彼らをどう呼ぶかは場所や時代によって様々だろうと思うのだが、共通していることはあった。


 ひとつは、彼らの行いによって恩恵がもたらされたのであれば称えられ、損害が生じたのなら貶められるという点だった。


 これは、人間が生じる損益について非常に厳しい生き物であることを考えれば容易に想像がつく内容だった。


 今のところ、異世界の存在と思しき誰かの記録であからさまに悪評が残っているものがないことから、彼らの存在によってもたらされる影響は良い結果を残すことが多いようだが――恩恵があったからこそ異世界の人間なのだろうと評価された可能性も十分に考えられるからして、判断が難しい面もあった。


 ……なぜなら、異世界の存在であることを証明する手段が基本的に存在しないからだ。


 極端な例にはなるかもしれないが、初対面の相手から、自分は違う世界から来た人間なのだといきなり言われたらどういった印象を持つかを想像してもらえばわかることでもある。


 ……誰もまともに取り合うことはないだろうし、ほとんどの人間は頭のおかしい人間が現れたとしか判断しないだろうよ。


 だから、記録に残っている異世界の人間たちは、たまたま周囲の環境にとち狂った誰かの存在を許容できる余裕があって。

 その余裕によって存在する、周囲が突然現れた異物を許容できるわずかな時間の中で、目新しい成果を出せた幸運な者たちである可能性が非常に高いというわけだった。


 ――つまりは、良い結果が出たときに初めて異世界の人間だったんだと認識される、ということだ。


 そしてそれらの事実は、もしもそれが出来なければどうなるかという結果も暗示していた。


 ゆえに、異世界からの来訪者である彼らが現れた可能性がある場所に、我らのような人間が派遣されるのだった。


 目的は、当然のことながら、彼らの人権がきちんと守られているかを確認し、必要であれば保護するためにであった。


 ――では、なぜわざわざそんなことをする必要があるのか。


 その答えは単純だった。


 これは異世界からの来訪者である彼らに共通するもうひとつの傾向でもあるが――彼らの殆どは自ら望んでこの世界にやって来るわけではなく、天災に巻き込まれるように、突然この世界に引きずり込まれているからだった。


 ……事故に巻き込まれた被害者を見捨てるほど、我らは薄情ではないということだ。


「…………」


 一方で、すべての人間を受け入れられるほど我らの度量も大きくはなかった。


 ……我らにも自分たちの命や生活など、守りたいものがある。


 想定外の悪影響を及ぼしうる可能性は、事前に摘み取ることも選択肢に入る。


 ――ただ、これは我らの主の判断ではなく、この仕事を任された我らの判断だ。


 主は彼らの命を安易に奪う選択肢は認めなかった。


 しかし、たとえ主命に背く内容であろうとも。

 それを行った後で罰として自らの命を失うことになろうとも。

 やらなければならないと、その必要性を強く感じたのであれば実行しないわけにはいかなかった。


 ……こいつをこのまま放置しておくわけにはいかない。


 久方ぶりに現れた本物の来訪者は、一人の男だった。


 特徴らしい特徴はないと思っていた彼は、しかしその行動力と選択の基本となる考え方があまりにも剣呑に過ぎた。


 ……人間とは、他者からの認識によって自己を保つ生き物だ。


 他人から受ける評価、その蓄積によって己を作るのだから、それが揺らぐ行為を自ら望んで選択することは難しいはずだった。


 だというのに、彼は何の躊躇いもなく――把握している彼の背景が確かなら異常と判断してもいいくらいの短い時間で――他者への暗示や催眠だと思しき魔術を行使していた。


 ……いや、それだけならまだよかったんだ。


 自己を保つために他者の評価を一切必要しない精神性を持つ人間は、この世界にも決して存在しないわけじゃあなかった。


 我らの主のように他者とは隔絶した力を持つ者や、気が狂うか自暴自棄になるかした人間であれば持っていても不思議ではない在り方ではあった。


 ……だから、私が彼を危険だ判断した理由はそこにはない。


 彼が危険だと判断した理由は、暗示や催眠といったこちらの行動を妨害するような術に耐性を持つ私であってさえ現在進行形で彼を正常に認識できなくなりつつあるという、技量の急激な変化にこそあった。


 ――暗示や催眠を扱う魔術は非常に厄介かつ強力なものだ。


 極めれば、ひとりの人間によって容易く国すら滅ぼせることだろう。


 ……まぁヒトの国がひとつやふたつ滅ぼうと、私個人からすればどうでもいいが。


 今はまだ主に及ぼなくとも、その力がいずれ届く可能性が僅かにでもあるのなら、排除する理由としては十分だった。


 我らの主はこの世界のために必要な存在なのだから。


 ……完全に認識できなくなるより先に仕留める。


 まだ私は彼を認識できていた。


 ――いや、厳密に言うなら、もう彼に焦点を合わせることさえ難しくなっているがそれを認識できているので問題はない、とでも言えばいいのだろうか。


 彼が居た場所は覚えている。

 その場所は今もまだはっきりと理解できているし、認識もできている。

 そして先ほどまでの状況を考えれば、まだ彼はその場に残っているはずだった。


 ―ーそれさえ把握できていれば問題はない。


 多少巻き込む人数が増えるかもしれないが、必要な犠牲だった。


「――この世界のために、おまえはここで私が殺す」


 ここから先は時間との勝負だ。


 彼がこちらに気づく前に、彼が私の覚えている場所から移動する前に、行動を始める必要があるからだった。


 武器を構える。

 力を練る。

 最短最速で今いる場所と目的地を繋ぐ経路を想像する。


 身を深く沈めて意識を鋭く研ぎ澄ませる。


 あとは己を解き放つだけ――



「流石にそれは見過ごせないわ。私の娯楽のためにもね」



 ――だったのだが。


 まさにその段になって響いた声と、その声音から想像できる相手の正体に動揺して身動きを止めてしまった。


 直後に目の前に立ったひとつの人影、その姿を認めて思わず天を仰ぎたくなるような気持ちになったのは言うまでもない。


 ……悪いことは重なるというが、これはとびきりだな。


「なんであんたがここで出てくるんだ?

 ――なぁ、魔女さんよ」


 こちらから投げた呼称を肯定するように、目の前に立った女はにいっと笑いながら言った。


「様を付けなさいな。

 あいつの使い走りは言葉の選び方もわからない低能なのかしら」


 これは本物だな、と返ってきた物言いを聞いて確信し、思わず内心で舌打ちを漏らした。


 ……最恐の魔女様がご降臨とはな。


 そして、夢なら覚めてほしいもんだよ本当に、などどと若干現実逃避をしつつも。


 彼女の一挙手一投足を見逃さないように全力で身構えた。





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