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主人公、決断する



 ――人を殺した。


 自分の手で。


 それも一人や二人なんて数じゃない、そんな人数をだ。


 たとえそれが、我を失っていて自分がやったことそれ自体を覚えていなかったとしても、自分がそれを為したという事実は変わらなかった。


 仮に、仮にだ。

 周囲に転がる多くの残骸が自分以外の誰かの仕業だったとしても――それがありえない仮定だというのは自分でもよく理解しているが――最初の一人は、確実に、自分の意思で殺していた。殺してしまっていた。


 ――あの男を殺したときの感情は、今でも自分の中に残っている。


 死にたくなかったから。

 目の前に居る相手の笑っている顔がたまらなく気に入らなかったから。

 憎かったから、殺したのだ。


 ……人を殺したら、もっと葛藤があるもんだと思ってたよ。


 殺した事実を悟った直後、我を失う直前に頭の中を埋め尽くした感情は、殺人を犯してしまった恐怖でもなければ後悔でもなく、よくも殺させてくれたなという憤りだった。


 ――最後の一線を越えさせた。


 その事実に対して何よりも憤っていたのだと、今になればわかる。


 これを越えたらもう元の世界には戻れなくなると、そう考えていたのだから。


 何かを解決するときに、力を持っていれば人を殺すことさえ厭わない人間が、今更あの無闇に平和な社会に戻れるわけがなかった。


 ――ましてや、人を殺した事実に対して感情が動かない人間など、戻っていいはずがないだろう。


 本来なら殺人という行為を後悔しなければおかしいのに。


 それが例え正当防衛の類であっても、人が死んでしまった事実に対して動揺するなりなんなり、動くべき感情というのがあったはずなのに。


 我に返った後で周囲の惨状を見ても、これを自分が為したのだと理解しても、せいぜい汚いなという感想しか浮かばなかったのだ。


「……自分がこんな人間だったなんて、知りたくなかった」


 あるいは、あまりの事実に感情が止まっているだとかそういう状態になっているかもしれないし、この世界に呼び出された際に何がしかの手を加えられたのかもしれないが、


 ……何にせよ、これが今の自分だ。


 見て見ぬふりなど出来はしなかった。

 認めるしかなかった。


 自分はそういう人間なのだということを。


 そして、平穏に暮らしていけばいつかは元の世界に戻れるかもしれない、なんてことは、もう本当にありえないのだと。


「…………」


 一度強く目を閉じる。


 ――思うことは色々あった。


 しかし、強く歯を噛み締めて、胸にこみ上げてくる表現しがたい感情を堪えた後で目を開いた。


 ――思考を切り替えよう。


 いくら治安が悪い社会であっても、相手が悪党であろうとも、殺人は罪となる可能性が高いだろう。


 それは人間が集団で暮らす以上当然のことであり、否定をする余地は今のところない。


 ……そうであれば、誰かに顔を覚えられる前にこの場を立ち去る必要がある。


 そう考えたところで、まずは足を動かした。


 ……最初に向かうべき場所は、自分の泊まっていた部屋だろうか。


 あそこにある荷物はまだ無事なはずだった。


 ――回収できるものは回収してから立ち去る方が都合がいい。


 そう考えていたのだが、ふと目に入った自分の様子を見て考えを変えた。


 思ったよりは血で汚れていないように見えるものの、血は血なのだ。


 この世界でも、血で汚れた人間を受け入れてくれる稀有な場所はそうあるまい。


 ……無事な家があるかどうかはわからないが。


 無事な物はいくつかあるだろうと、そう考えて行き先を変更した。


 あの連中がどこまで、何をやっているかは知らないが、流石に普通の服を根こそぎ奪うようなことはしないだろう。


 ――どうやらその思惑は当たっていたようだった。


 近くの民家に入って物色してみれば、いくつかサイズの合う服を見つけることができた。


 デザインは微妙だが。

 まぁ、この世界では普通なのだろうし、あまり気にする必要はないだろう。


「…………」


 物を盗むことそれ自体に抵抗がないわけでもなかったけども、これを使う人間はもう居ないのだ。

 気にしても仕方が無い。


 必要なものをさらにいくつか拝借した後で、自分の泊まっていた部屋に向かった。


 ――部屋の中は賊と争った跡で荒れていたが、荷物の被害はないようだった。


 安堵の吐息を吐いた後で、荷物を持って部屋を出る。


 あまり夜目が利くわけではないけれど、朝を待って外に出るわけにもいかないだろうと、早々に村を後にすることにした。


 夜闇で詳細のわからなくなっている道を慎重に進んでいても、様々な思考が頭を過ぎっていた。


 最も多いのはこれから先についてのことだった。

 どう暮らしていくべきか、あの惨状が発覚した場合にどうなるのだろうかという不安が主だった。


 しかし、最も強く思い、頭から消えずにずっと回っているのは――どうしてこんな事態を招いてしまったのかという自問自答だった。


 どういう対処をするべきだったのかという、過去のもしもを想う思考があることは否定しないが、考えているのはそこじゃなかった。


 どういう力があればこの事態が回避できたのか、これから先で身につけるべきことそのものだった。


 今自分が持っている手札は、奇特な魔女から得た魔術の基本理論と幾つかの術と、異常なほどに頑健な体だけだ。


 これを元に、もう二度とこんな事態にさせないための手段を――この世界で生きていくための術を確保していかなければならない。


 ――誰かが助けてくれるかもしれないなんて甘えは捨てろ。

 ――元の世界にいつか戻れるかもしれないなんて幻想は捨てろ。


 俺は今から、ここで生きていくんだ。


「生きていかなきゃいけないんだ」


 そう強く自分に言い聞かせながら。


 これからやるべきこと、やれることを頭の中でリストアップしつつ、進む足を速めていった。





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