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主人公、一人旅に出る 2


 必要な物を買い揃え、次の仕事のアテを探す。


 たったそれだけと言えばそれだけだったけれど、この街でできることを終えた頃には、もう日が傾き始めていた。


 ……この状況で徒歩移動かぁ。


 厳しそうだなぁと、思わずため息が口から漏れた。


 うまくコトが運べていれば、今頃は何かしらのアシを確保して街を離れている予定だったのだけれども。出だしから躓いていたのでどうにもならなかったというわけである。

 うーむ厳しい。


 こうなってしまったら、もう一夜をどこかで過ごそうかと思ったりもしたのだが、追手が手配される可能性もゼロでない以上は、この街にもう一日滞在することは避けたかった。


 ……あまり余裕はないな、いろんな意味で。


 だから、物が揃ったならば早々に街を出るべきなのだけど――一人だけ、街を離れる前に挨拶をしておきたい相手が居た。


 その相手とは、ある宿屋に長逗留している一人の女性だった。


 この世界に来てから様々な人に世話になったが、彼女はその中でも一番世話になったと言っても過言ではなかった。


 そう思う理由は色々とあるけれど、一番大きいものを上げるのなら、それは、彼女が自分に魔術を教えてくれたからだった。


 習得することはできないだろうと思われたものを、きちんと使える状態にしてくれたのだから、その恩は計り知れない。


 しかし、素直に感謝できる相手かと言うと、そうでもなかったりするのが難しいところだった。


 ……思惑が読めないんだよなぁ。


 そもそも、だ。


 この世界の魔術は基本的に一種一属的な能力に近いという話だった。


 それを他者に教えることが出来る人材というのが、どれほど希少な存在であるかは考えるまでもなく理解できることだ。


 そして、他者に教えることが出来るということは、自ら学び習得することが出来るということであり、また、新しいものを作り出せる可能性も持っているということでもある。


 彼女と知り合ったきっかけは、彼女が自分の働いていた酒場でチンピラに絡まれて助けを求めてきたからなのだが――そんな稀有な素質を持った人物が、たかだか街の酒場で粋がっている程度のチンピラに絡まれて助けを求める必要があるのだろうか?


 考えるまでもない。答えは否だ。


 治安の悪いこの世界において一人旅をするのならば、よほどのバカでもない限り、自衛の手段は用意することだろう。


 ……そして、魔術は自衛の手段として有効なもののひとつだ。


 文字通りに何でもできる魔術ならば、人の命を奪うことなど簡単なことだろう。


 実際に自分が彼女から使い方を学んだ魔術には暗示や催眠といったものもあった。


 少なくともそれを使えば、自分と彼女が知り合うきっかけとなったあの場面において、他者に助けを求める必要などなかったはずだった。


 自力であの状況を解決できたはずだった。


 ……だと言うのに、彼女はわざわざ自分に助けを求めたわけだ。


 こちらと接点を持とうとしたのではないかと考えてしまうのは自然なことだろうと、そう思う。


 もっとも、そんな可能性を考えてしまうのは、自分がこことは違う場所からやって来たという認識があった――すなわち自意識過剰によるものだという可能性も否定はできないのだけど。


 流石に、彼女があの宿屋に滞在し始めた時期と自分があの城に連れ込まれた時期がほぼ同じとなると、関連性を疑うことは止められなかった。


 しかし、そうまでして接点を持とうとしていたように見える彼女だが、助けてもらったお礼に何かしたいと言い出された時に魔術を教えてくれと返した際にも特別何かを要求されるようなこともなかったし、それ以後も何かを聞き出してくるような素振りもなかったのだった。


 ――これが不気味でなければ何だというのか。


 人は自分にとっての利益のために動くものだ。


 その利益には大小や有形無形を含めて色々あるわけだし、他人が利益と判断したものが理解できないことも多いわけだけれど。


 ……相手が何を得に思っているかが想像できないのは、怖いものだ。


 そう感じてしまうのは、現状における自分にとっての利益が勝りすぎていて、天秤の釣り合いが取れていないように見えることが原因だった。


 彼女にとっての利益は何だったのか、それは今もまったくわからないままだった。


 だから、彼女にとっての利益が自分にとっての害にならないことを祈ることしかできないわけで。


 いつ恐ろしいしっぺ返しが来るのか、なんて戦々恐々としなければならない状況は、精神衛生上あまりよろしいとは言えないのである。


 あるいは全部が全部自分の考えすぎで、彼女が単に人の良い性格をしているだけだという可能性もあるかもしれないが――そう考えてしまうのは些か楽観的に過ぎるだろうと、強く思う。


 まぁ、不利益が出たならそれはその時になって考えればいい、というのも十分楽観的な思考だろうと今更ながらに感じるのだけれども。それはさておき。


 要するに、そんな背景というか考えがあって彼女が非常に胡散臭い相手だという認識は拭えないのだけれども、自分の都合で教わることを止めるわけだから、無碍にするには大きすぎる恩があるし挨拶だけはしておこうと、そう考えた故の行動だというわけだった。


「…………」


 彼女の居る宿はどちらかと言えば城に近い、町の中心部にあった。


 ……今日一日でこの街をどれだけ歩き回っているのやら。


 なんて、我が事ながら計画性のなさに呆れつつ、宿屋に向かった。


 そうして軽く一言挨拶をして立ち去る。それだけのつもりだったのだが――


「……居ない?」

「ああ、今朝出て行ったよ」


 宿屋に入ってすぐに、すっかり顔馴染みになってしまった宿屋の従業員からそんな言葉を聞いて、かなり驚く羽目になった。


 そりゃそうだろう。

 いくらなんでもタイミングが良すぎる。


 しかも、だ。


「きっとあんたが来るだろうからって、手紙を預かってる」


 ご丁寧に置き土産まで用意しているのだからやってられない。


 ――彼女はこちらの動向を正確に掴んでいる上に、行動を予測できる程度に思考まで把握しているようだ。


 お手上げだと笑いたくなってしまう気分になると同時に、肝がこれ以上なく冷えるような感覚を味わうことになった。


 彼女にその気があれば自分は既に終わっていたのだろうということが、嫌というほどに理解できたからだった。


 ……おそらく、こちらが不信感を抱いていたことも分かっていたに違いない。


 この置手紙はその不信感が正しかったということを示す彼女からの回答であり、危害を加えるつもりはないという意思表示なのだろう。


 そこまで考えたところで、反応がないことに渋面を浮かべた従業員の視線に気が付いた。


「……悪い、チップを渡せるような余裕はないんだが」


 その視線に応じるために、なんとかそんな言葉を搾り出すように口にする。


「この程度のことでそんなもん要らねえよ」


 彼は鼻で笑ってそんな風に応じた後で、預かっていたという手紙をこちらに差し出してきた。


 彼の物言いに小さく笑ってから手紙を受け取り、礼を言って宿屋を出た。


 街の外へと足を動かしながら、受け取った手紙の封を切った。


 ――中には何も書かれていない便箋が入っているだけだった。


 状況から考えると、手紙を残したことそれ自体がメッセージであるということなのだろう。


 つまりは、自分が先ほど考えたことは正しかったと、そういうことだった。


「……おっかない場所だよなぁ、本当に」


 とは言え、対策のしようなど無いのが現状だった。


 ……だったら、自分にどうしようもないことは考えないに限る。


 忘れるわけにもいかないが、極力気にしないようにしようと、そう思う。


 大きく息を吸って、長く、時間をかけて息を吐く。


 ……では、気持ちを切り替えて現状を確認しよう。


 思考を沈める。思索を開始する。



                ●



 ――ひとまずは無事に旅の支度も済んで、街を離れる準備は整った。


 それ自体は喜ばしいことである。


 既に日は傾き始めてもう少しで夕方というところだが、移動はしなければならない。


 幸いにして今日の夜は晴れそうだし、月もある。多少は距離を稼げることだろう。



 ――この街と同規模の都市まではいくつか小さな村や街を経由しなければならず、道程は長い。


 この場合、心配しなくてはならないのは路銀と食料だが、こればっかりは心配したところでなるようにしかならないだろう。


 前者はまったく予想がつかないが、後者に関しては多少はどうにかできる余地がある。


 現地調達というやつだ。


 もっとも、場所や日によって手に入らない場合も十分あり得るのだから、とりあえず手持ちを節約することは常に意識する必要があるだろう。


 他にも気になることはあるが――



                 ●



「あとは野となれ山となれ、だ」


 ……気になることの大半は、自分でどうにもできないことばかりだからなぁ。


 不安が的中したら天災に巻き込まれたとでも思うしかない。


 それが、今の自分だった。


「前途多難だよなぁ」


 現状を思って、思わず口からそんな感想が漏れた。


「……それでも、今は進むしかないからな」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、思わず止まっていた足を動かして、歩き出す。


 そうやって歩き続けて街を出た後で、


 ……いつか明るい希望が見えてくることはあるのだろうか。


 と、そんなことを考えながら、次の街に向かう道を進んでいった。




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