幕間:ある監視役の好奇心
最近、ある仕事が一部の兵士たちの間で取り合いになっていた。
その仕事とは、休日に城の外を出歩く勇者の監視役だった。
本来なら、こんな仕事に人気が出ることなどありえないはずだった。
なぜならば、その日が仕事になってしまっているのであれば諦めて受け入れるだろうが、休日であれば誰だって休みたいからである。
それは兵士だろうとそうだった。
だって人の子だもの。
それじゃあなんで休日に出勤する羽目になるようなこの仕事に人気が出るかというと、もったいぶるようなこともない単純な話で、楽に稼げる内容になっていると噂になっていたからだった。
……本当なら、誰かの行動を監視するというのは難しいことなのにな。
対象者を常に目の届く範囲に収め続けるというのは、なかなか神経を使って疲れる作業だ。
だから、やりたがるヤツはいない。
しかし、取引ができる相手ならば話が変わってくる。
――人混みではぐれてしまってはお互い口裏をうまく合わせる必要が出てくるよな、と。
そう言われてしまえば、話は違ってくるわけだ。
口裏を合わせてお互いうまくやろうぜと、そんな取引ができるのなら――そりゃあ人気も出るというものだろう。
なにせ、一日の始めと終わりに城に出向く必要はあるものの、それ以外は自由に過ごしてもいいということになるのだから当然のことだった。
……遊んでても稼げるってんだからなぁ。
もちろん、目を離している隙に監視対象である彼が逃げてしまう可能性も否定はできないし。もしも本当にそうなってしまえば、自分の首が文字通りの意味で飛ぶこともありえた。
……ただまぁ、人間ってのはバカなもんだよな。
どれだけ最悪の場合が頭を過ぎっても、そうはならないはずだと、根拠のない自信でもって――あるいはそこから必死に目を背けて、自分の都合の良い結果ばかりを見てしまうものなのだ。
そこに加えて、実際にそうなる可能性は低いだろうと、そう判断できる材料があるからなおタチが悪かった。
この街の治安は他に比べれば良い方だから、そもそも問題は起こりにくいし。
……暴力沙汰については、彼よりも腕の立つ人間はほぼいないだろうからなぁ。
なにせ、この街の治安を維持する仕事をしている自分たちよりも遥かにきっつい訓練を容易くこなせる上に、既に並の連中よりも動けるのだ。
ぶっちゃけ、その気になれば自分たち監視役など簡単に処理して自由に――それこそ逃げ出すことすら果たせるくらいに、である。
……それがたとえ、より監視の厳しい城の中からであっても、だ。
そこまで考えが至って、だからなんだろうなぁと納得した。
正直な話をすれば、この監視役の意義は彼の行動内容を報告する以外にないということを、仕事が振られる人間の殆どはよく理解していたのだ。
……それでも真面目に職務に励もうと言う奴らも居るだろう。
ただ、生きるためには稼がなければならないが、楽に稼げるならそれに越したことは無いと、そう考える人間の方が多いというだけのことである。
そして、自分もそんな人間の一人だった。
それだけの話だった。
●
とは言え、街に――地元民からすれば見て回るものなどないと思うような場所に毎度毎度足を運ぶ彼の行動に対して疑問が、もっと言えば好奇心が湧いてしまうのもまた自然なことだった。
……彼はいったい何をしているんだ?
その疑問を解消する手段は簡単だ。
それはもちろん、監視役として真っ当に業務を行うこと――ではない。
知りたいのは、監視役から離れてまでやりたいことがいったい何なのかということなのだから、当然、彼と人混みではぐれた後で、彼を見つけ出して追いかけることになるわけだ。
ただまぁ、広くないとはいえ一つの街から一人の人間を見つけ出すのは容易なことではなかった。
見つからない場合も多かった。
そんなことが続くと、自然に、同じように好奇心に負けた者同士で休日に見かけた情報などを共有するようになっていた。
流石に人が集まり、情報の量が多くなれば、行動範囲などをある程度は絞り込めるようになってきた。
……そうやって、最初に彼の姿を捉えることが出来たときはなぜか妙な達成感が得られたものだ。
しかし、そんな達成感も、彼が何をしているのか知ったときの落胆で一気に色あせてしまったものだった。
彼がやっていたことが、言ってしまえば単なる労働だったからである。
確かに、彼は金銭を直接的に得ることは出来なかったし、物を自由に購入することも許されていなかった。
なるほど、自分がそんな立場になったなら、自分が自由にできる金銭を得るために労働をしようとするかもしれないと、納得もできた。
なんだそんなことかと、疑問も解消したし彼を追うのをやめようとさえ思ったのだが――彼のやっている仕事を見て、ふと新たな疑問が湧いたのだ。
なぜ、あえてそんな仕事をやっているのだろうと。
この街は治安が良いほうだが、それでも厄介者というのは存在する。
だから、彼のように腕っ節が強い人間にはそれなりに稼げる職業というものがあるのだ。
単純に金を稼ぐことだけが目的ならば、それこそ馬鹿な金持ちが出すような汚い連中を掃除しろ、なんていう殺し屋めいた仕事だってある。
……まぁ極端な例だし。そんなことを俺らも許しはしないが。
要は、そういう荒事関係の仕事のほうが稼ぎはいいということである。
だと言うのに、彼がやっていた仕事は肉屋の店員だったのだ。
しかも店先に出て客を相手にするわけではなく、人によっては嫌がるであろう中での仕事――動物の解体などを行っているのだから、驚かずにはいられなかった。
しかも話を聞くと、どうやら生きている動物の解体まで望んでやっているらしい。
時折、誰もが嫌がるような朝早くから外出することがあったのだが、おそらくはこれが理由だったのだろう。
仕込みは客が来る前にやるもので、時間帯にすれば朝が基本なのだから。
ついでにと、店主に話を聞いてみるれば、彼はかなり真面目に働いているようだった。
「あいつが急に来た時は驚いたもんだ。
いきなり頭を下げて、雇ってくれ! 給金は安くてもいい、いやいっそ無くてもいいから!
なんて言われてよ。
事情を聞けば金が欲しいけど働き方がわからないとか言い出すもんだから何者かと思ったぜ。
そりゃ当然、最初は断ったさ。
だけどなぁ、何度も来るもんだからこっちが根負けしちまって。結局雇う羽目になっちまった。
最初は使い物にならなかったが、あいつは覚えがよくてな。
今となっては他の連中よりも使えるくらいだよ。
居なくなってもらっちゃ困るくらいなんだが……」
残念そうにそう話す店主に話の続きを促すと、どうやらもう少ししたらこの仕事を辞めると言われているらしい。
「給金に不満があるんだったら上げるからと言ったんだけどな。どうやら違うらしい。
やったことのないことをやるために、色々なところに雇ってもらいたいんだとさ。
俺を体よく利用しやがったのかと文句を言ってやったら、素直に謝られちまったよ。
一緒にお礼も言われたがね。
安い金でこき使ってたのはこっちだし、黙って辞めていく奴もざらに居る中で、まったく律儀な野郎だよ。
……次に何をするか聞いてないか?
いや、知らねえな。
しかし、なんだあんた。なんでそんなこと――」
店主の視線がこちらをいぶかしむものに切り替わってきたので、何かを聞かれるより先にお礼を言ってその場を立ち去った。
後日この話を協力してくれた者達にしたところ、殆どの者はそこで興味を失ったようだった。
私はむしろ何をするのか気になったので調査を続けたクチだけれど、人手が少なくなったので彼の動向を追うのは難儀するようになっていった。
正直面倒くさくて止めたくなったことは何度もあったが、それでも情報を集めることはやめなかった。
自分でもどうしてここまで気になるのかはよくわからなかったが、一度興味を持つとすっきりするまでは突き詰めるタチだからなのかもしれなかった。
●
そんなこんなで時は過ぎ。集まった情報をまとめると、肉屋の次は本屋、酒場と続き、その後は働くこと自体を止めたらしかった。
私がこの情報を入手できた時点で彼は既に働いておらず、ある宿屋に頻繁に出入りしている状態だったようだ。
じゃあ働くのを止めて何をしているのかと思えば、どうやら酒場で知り合った誰かと宿屋で密会しているらしかった。
いい人でも見つけやがったのかうらやましいなどと思ったものの――宿屋の兄ちゃんに話を聞いてみると、どうやらその相手は魔法使いを名乗っており、彼は魔法を習うために通いつめているようだった。
宿泊客本人曰く、自分は魔王に魔法を教えたこともある賢人なのだとか。
見た目は妙齢の女性で、格好も別に物語に出てくるような魔法使い然としたものでもないので誰も信じてはいないようだったが、彼は信じたらしい。
そもそも、そんな賢人がこんな片田舎にやって来る理由がないだろうと疑うべきだろうに、何をやっているのやらと呆れてしまったものだけれど。それはさておき。
ただ、女一人で旅をしていて無事であることを考えれば、それなりに知識や経験は豊富にあるのだろうから、彼としてはそちらを期待しているのかもしれないなぁとは思った。
実際に何をやっているのかはわからないので憶測でしかできないけれど、彼の行動から考えて、少なくとも得るものがあるからそうしているだろうという確信があったからだった。
……彼は学ぶことに貪欲だ。
行動を追っていれば、それくらいのことは誰にだってわかる。
肉屋での経験は、彼から他者への攻撃に対する忌避感を払拭したようだった。
戦闘訓練での組手で、相手役が戸惑うほどに攻撃の容赦がなくなっていた。
本屋での経験は、彼にこの世界の常識を学ぶ機会を与えた。
この地域での慣習などは教えるまでもなく既に把握しているようで、他者との会話にも不自然なところは見えなくなっていた。
酒場での経験は、彼がこの城以外での人脈を築くことに成功させた。
真偽は怪しいが、彼が以前から求めていたらしい魔法に関する教育を受ける機会を自分で手に入れるまでになっているのだから、凄いと感心するしかないだろう。
そこに加えて、城での訓練にさえ彼は手を抜いていなかった。
貪欲に技術と経験を求めて、むしろ自ら訓練内容を提案するほど熱心に行っているほどだった。
私は彼以外に勇者として呼ばれた人間を知らなかったけれど。
……周囲の反応を見る限り、彼のような姿勢を見せた勇者は居ないらしい。
それはそうだろう。
勇者と呼ばれる人間は、特別な能力を持った存在だ。
こちらに来る際に、誰もが持っていないような特殊な力か、あるいは特別な縁を得ることが約束されている。
そんな状況にあれば、大抵の人間は努力を多少は怠るものだろう。
……しかし、彼にはそのどちらも無い。
体力に関しては目を見張るものがあるけれど、特別な力として伝え聞いているような類のものは使えない。
この城に居られるのだって、彼の扱いを決めあぐねているために城への居留が許されているだけで、実際は軟禁されているようなものだ。
彼に味方は殆ど居ない。
かろうじて、彼の陥った状況に対して同情し、良く接する者が居る程度だろう。
そんな状況で、彼は折れずに淡々と力を蓄え続けてきたのだ。
成果を積み上げ続けるその姿には、素直に賞賛するほかなかった。
……まぁ彼に倣うようなことは、怠け者の自分には少し難しかったがな。
それでも、自分でも知らない内に影響を受けていたようで。
ほんの少しだけ訓練に対する身の入れ方などは変わってしまったらしい。
教官からそのように褒められて、自分でも気付いていなかっただけに驚いてしまったが――悪い気はしなかった。
そして、今日もそうであればいいと、少し気合を入れて職場に向かったところで異変に気付いた。
「「――――」」
城の中がにわかに騒がしくなっていたのだ。
この空気には覚えがあった。
その確信を補強するように、周囲から勇者という単語が聞こえてきた。
同僚や上司に確認してみると、どうやら、新たに勇者が召喚されたらしいとのことだった。
期間こそ多少空いているとは言え、勇者が二人も同時に存在するのは異例の事態だった。城の中は彼が呼び出された時よりも騒がしくなっていた。
一方で、そんな周囲の状況を気にする様子もなく、彼がいつも通りに訓練を行っていて。
「…………」
その姿を見たら、思わず笑ってしまった。
新たな勇者が現れたことで、彼の境遇は一変することになるだろう。
城から追い出されることも十分に考えられる状況だ。
ただ、もしもそうなったとしても、彼はあまり気にしないのだろうと、そう思った。
なにせ、彼は既にこの世界で一人で生きていくことができるのだ。
むしろ、自由になれて喜ぶに違いない。
その時になって上役連中がどんな顔をするのか。
それが拝めないことを少しだけ残念に思いつつ、今日の自分の業務に戻ることにした。




