08
20mはあろうかという巨大なドラゴンが咆哮を上げる。その咆哮の音圧だけでも、とんでもない。身体に伝わるその振動だけで思わず動きが止まってしまうほどだ。
だが、なによりも目の前にはとてつもない強敵がいる。幻想種でも最上位クラスのドラゴンが、今目の前にいるのだ。しかも、殺気を全開に向けてくる。
「これはさすがにやばいな…」
「ん。しかも、この子のお母さん」
アリーゼの頭の上でとても不安そうに親ドラゴンを見つめる子ドラゴン。そう、このドラゴンは、この子の母親でもあるのだ。つまり殺すわけにもいかない。
「超絶難易度だな。ドラゴンを倒さずに無力化とか、どんな無茶話って話だ」
「ん。結構難しい。でも――」
さすがの相手に少しばかり表情が引き攣るシズマに、アリーゼが静かにドラゴンを見上げる。
「私ならなんとかできる」
「そうか。だったら、それに期待してがんばるしかないな」
たった一言。だが、その一言はシズマを力づけるのに充分すぎるものだった。アリーゼは結構無茶苦茶を言うこともあるが、本当に出来ない事は言わない。そう言うからには、何か勝算があるのだろう。
「作戦は?」
「……シズマにちょっと頑張ってもらうことになるけど」
そう言いながら、すっとシズマに歩み寄って、耳元で作戦を伝える。それを耳にしたシズマは、最初に目を丸くして、それからなんだか目から鱗が落ちたような表情になった。
「そうか。その手があったか」
「ん。やばい時こそ冷静に。これ基本」
「……いや、普通こういう状況でも冷静さ保てるのって、そうそういないぞ?」
「えっへん」
「……。まぁ、今回は褒め言葉にしておくか」
どこか誇らしげに胸を張るアリーゼに、シズマが苦笑混じりに告げる。そうこうしている間にドラゴンが大きく一歩を踏み出してきた。開戦だ。
「じゃあ、プランどおりに。時間は稼ぐから、頼むぞアリーゼ」
「ん」
シズマがそう告げると、アリーゼは小さく頷く。それから子ドラゴンを抱えたまま、いきなりその場から背を向けてどこかへと走り去っていった。
その一連の様子を見ていたソリュートが不思議そうな表情をする。
「おや、2人で相手をしないので?」
「あぁ、こんな奴。俺1人でも十分だからな」
そう言いながら刀を抜く。何はともあれドラゴンをひきつける必要がある。そして、こちらの企みをソリュートに勘付かれてはいけない。
「ほぅ。大した自信だ、なら見せてもらおうか?」
「あぁ、存分に見てってくれ」
そう告げるや否や、シズマがその場から跳躍する。風の力を借りた、通常を遥かに上回る高い跳躍。そのすぐ下を丸太よりも太い尻尾が地面を薙ぎ払っていく。
一撃でも貰えば、ほぼ確実に終わる。ミスは許されない。
「纏風」
小さく呟きつつも一旦、着地。そして周囲から風を集めて、その身に風を纏う。そして次のドラゴンの動きに備える。ちなみにソリュートは、少し離れた安全そうな場所から高みの見物だ。
ドラゴンが動く。大きく片手を振り上げ、シズマの居た場所めがけて振り下ろしてくる。それを大きく後ろに下がって避ける。巨大な爪による一撃により大地が砕け、その破片が周囲に飛び散るが、纏った風がそれらを逸らし守ってくれる。
「緊張感がやばいな…!!」
次の攻撃に相手が移るより先に、その場から移動を開始。多少の危険を承知で、ドラゴンへと肉薄する。
巨大ゆえに攻撃は大振り。それゆえに、見切るのはたやすい。でかい分攻撃範囲も広いが、自分の速さなら、なんとか避けられる。これが自分の知り合いの剣士だと、これを受け流す…なんてトンデモ芸当をしそうなのがいるが、あれは例外だ。自分はそこまでの達人ではない。
横薙ぎに地面を削るようにして次の腕の一撃が迫る。それを再度跳躍して回避し、ドラゴンの手の上へと乗る。もう片方の手で自分を押し潰そうとするが、それに捕まるほどシズマは遅くはない。
「疾風!!」
風の力を借りた高速移動で、一気に腕をかけ上がる。目指すのは、相手の頭だ。が、そこでおもむろにドラゴンがシズマが駆け上っている方の腕を大きく払った。
「…っ!?」
足場そのものに振り払われ、空中へと投げ出される。そこにすかさず大口をあけたドラゴンの頭が迫ってくる。身動きの取れない空中。人によっては、ここで詰みだ。だが、シズマは違う。ある意味、空中は風使いの本領の場でもある。
空を”蹴る”。瞬時に、その身体が真横へと動き、ドラゴンの噛み付きをかわす。すれ違う頭の動きだけで突風が起こるが、やはり風使いであるシズマに影響はない。
「この位置なら…。烈風・多重!!」
至近距離にて、風の衝撃波を叩き込む。しかも本来使うものの数倍の威力を持つレベルだ。シズマの技は基本的に風を纏う。ゆえに風を集め、圧縮することで事でその威力を跳ね上げる事が出来るのだ。もちろん、相応に時間が掛かるし、溜めている間は一切攻撃が出来なくなると言う欠点もあるのだが。
ともかく数倍の威力の衝撃波を横面に叩き込まれ、ドラゴンの頭が大きく横へと動く。効果は一応あった。だが、気絶する程度ではない。相手にとっては、普通に横面を叩かれた程度だ。
「これだけ溜めて、この程度か…!!」
ドラゴンの肩辺りへと降り立ち、伸びてくる手を再びかわす。やはり予想通り。この手の相手は下手に距離を保つよりも密着して戦った方が、有利だ。
「ったく、こんな基本を忘れるとは…!!俺もまだまだだな」
襲うとするドラゴンを前に冷静さを書いたのは事実だ。だから、そこから引き戻してくれたアリーゼには本当に感謝しかない。あのマイペースっぷりには、振り回される事も多いが、こういう曲面では本当に助けになる。
「とりあえずは、これで時間を―――ぐっ?!」
不意に銃声が響いた。大技のために纏った風をも使っていたのもあって、風による逸らし防御も機能しないタイミング。防ぐことも避けることできず、銃弾がシズマの肩を撃ち抜いていた。
一体誰が?と、視線を凝らせば、そこにはこちらにライフルを向けるRIAのエージェントの姿があった。
「くっ……」
ここで横槍を入れてくるとは。ふとソリュートの方を見れば、悪い笑みを浮かべている。戦闘直前に「後ろにいる奴では2人は止められない」と戦力外通知を出しておきながら、この重用である。恐らく、ずっとタイミングを計らせていたのだろう。
「悪知恵の働く奴……だ!!」
ひとまず、一度ドラゴンの背中側へと回る。RIAのエージェントからの射線を切って、何とか凌ぐ。が、今度はドラゴンが身体を大きく揺すり、振り落とそうとしてくる。咄嗟に、鱗の隙間に手を突っ込んでしがみつき、振り払いに対応する。
が、ここでシズマの視界の片隅に気になるものが映った。
「まさかっ…?!」
ハッとした表情で、振り返れば、少し離れた岩陰にスナイパーの姿があった。巧妙にカモフラージュして隠れていたのだ。
状況はまずい。ドラゴン相手だけで精一杯なのに、そこにRIAのエージェントだけでなく、他にもスナイパーの援護が入るのである。身体に取り付いてドラゴンの攻撃に対処できても、狙撃は別だ。両方に同時に対応するには、あまりにもドラゴンの存在は強大すぎる。
しかも、現状掴まっているので精一杯だ。だが、ここで手を離せばふっ飛ばされて、距離が開いてしまう。そうなれば、ドラゴンの距離だ。それはもっと危ない。狙撃の支援がなければ、どうとでもなるのだが。
「これは、少しまずいか…?」
まさかドラゴン単独ではなく、それに援護まで付けてくるとは。サービスエリアでのやり口といい、相手も相当に頭が切れるようだ。最初から、スナイパーを使わなかったのも油断を誘うためだったのだろう。
なおも振り払おうとするドラゴン。それに必死で掴まるシズマ。片手に刀を持っているため、もう片方の手で掴まるしかないのだが、その肩は撃ち抜かれているため、痛みにこらえるしかない。
それでも振り払われるわけにはいかない。相手とて、素人のスナイパーではない。タイミング次第で、空中でも動けるこちらを撃ち抜けるだろう。もっとも、こうしていてもタイムリミットは近づいているわけだが。
キラリ、とスナイパーの望遠スコープのレンズが光る。狙っている証拠だ。向けられる殺気が伝わってくる。避ける手段も防ぐ手段もない。そんなシズマへと、無慈悲な一撃が銃声と共に放たれ――
空中で相手の弾が弾けた。
「なっ?!」
確実に獲られた一撃のはずだった。だが、それは阻止される事になる。さらにもう一発の銃声が響き、スナイパーのライフルが。続けて二発目の銃声。今度はRIAのエージェントのライフルが粉々に吹っ飛ぶ。
突然のことに、スナイパーも、それを見ていたソリュートも状況が把握で来ていないようだった。
そんな中で、シズマは聞こえた銃声の方を向く。そこには、ここから少し離れた岩場の上に、大型の対物ライフルを構えたアリーゼの姿があった。距離があるので、声は届かない。だが、意思は伝わる。
きっと、この局面ならアリーゼが言うであろう言葉は、容易に想像がつくからだ。
――お待たせ。ここからペイバックタイム。
そんなアリーゼの言葉に、自然とシズマの口元に笑みが浮かぶ。
「まったく、ホント良いタイミングで来るな…!!」
すでに片手は限界だ。手を離す。だが、狙撃による脅威がなくなった以上、ドラゴンに集中できる。それならば、向けられる攻撃にも充分に対応は可能だ。予想通り振りかざされた手により一撃を、先ほどと同じように空を蹴って回避。一旦距離をあける。
「まだだ。まだ私にはドラゴンがいる。伏兵がいなくとも、大した問題はない」
形勢は傾きつつあるが、今だ相手が優位なのは間違いない。だからこそ、ソリュートはいまだに余裕の表情を浮かべていた。それでも伏兵を潰されたのは少なからず動揺したようではあったが。
「まぁ、そうだな。ドラゴン相手ともなれば、さすがに俺らでも苦戦は確実だろうな」
刀の峰の部分を向けて自分の肩に乗せ、ソリュートへと向ける。おもむろに戦闘態勢を解くシズマに、ソリュートが怪訝な表情を浮かべる。
「でも、残念ながらアリーゼが戻ってきた時点で、お前は詰んでる」
「………!!」
次の瞬間、ソリュートの足元で大口径の銃弾が弾けた。ただの威嚇射撃。だが、それだけでソリュートは自分が置かれた状況に気づいてしまった。
今、いる場所はドラゴンの後ろ。アリーゼからは死角になっている。にも関わらず弾が届いた。どうやったかはわからないが、それでもお前はすでに射程圏内だと言われているようなものだ。まして、相手は双銃の奇術師と呼ばれる射撃の名手。どうやってもその魔の手から逃れる術はないだろう。
最初に離脱したのは、すべてこれが狙い。洗脳対象に手が出せないのなら、根元を断とうと言う。そういうことだったのだ。
「さて、ここで交渉といこう。親ドラゴンの洗脳を解け。代償は、お前の命。どうする?」
「……ぐっ…」
自分の命か、絶大な力か。そのどちらかとを選べと言われれば、ソリュートが選ぶものは決まっていた。




