02
アリーゼが抱えているのはドラゴンの子供だった。
ドラゴン。そう、ドラゴンである。剣と魔法を使うおとぎ話であれば、必ずどこかで一度は出てくる強大な存在。それは、この世界においても同じだ。もし、その気になれば軍一個大隊を投入しても討伐できるか怪しいとまで言われている、とんでもない存在である。
世界中探して20もいればいい方と言われるくらいには超希少な存在であり、アリーゼよりも裏側と関わりが長いシズマですら、こうして実物を見るのは初めてなくらいだ。
いや、というかぶっちゃけそれどころではない。
「ちょっ、おまっ。よりにもよって、なんてのを…!!」
「雨に濡れて震えてた。まずはそっちの対処が先」
「お、おい!!」
戦慄すら覚えるシズマを尻目に、アリーゼはスタスタと部屋には入り、バスルームからバスタオルを持ってきて、それで子ドラゴンをくるもうとする。
とことんマイペースなアリーゼではあるが、こんな状況でもペースを崩さない彼女に、シズマは少なからず唖然とするしかなく、ただただその場で立ち尽くすしかなかった。というか、これからどうしよう、の9文字で頭がいっぱいであった。
「と、とりあえずこれどうしたらいいんだ…。えーっとえーっと、やはりこの手の奴は警察…いや保健所の類か? あぁ、でもそこらの幻想種とはわけが違うからな。んんんっ、マジでどこ頼ったら良いんだ…?」
言うなれば絶滅危惧種を拾ってしまったようなもの。下手をすると、大きな勘違いをされてとんでもない事態にすらなりうる。あまりにも想定外の展開に1人苦悩するシズマ。その傍らでアリーゼはなおも子ドラゴンをバスタオルで包もうとしている。
「って、さっきから何やってるんだアリーゼ?」
「上手く包めない」
「はぁ? どれ、貸してみろ」
ため息をつきながら、アリーゼの傍らに行き、ぱぱっと慣れた手際でバスタオルで子ドラゴンを包むシズマ。
「射撃とか上手いのに、こういうことは不器用だよなお前…。というか、せめてもう少し家事能力は身につけよう」
「……洗濯機と乾燥機は使えるようになった」
「そうだな。洗濯は覚えたな。おかげで大助かりだ。料理は?」
「………」
「料理は?」
「………」
「料理はどうなんですか、アリーゼさん?」
「…………」
料理に関して黙秘を貫こうとしたのでシズマがちょっと食い下がってみると、おもむろにアリーゼは片手を振り上げて、バシバシとシズマの頭をチョップで叩き始める。
「ちょ、いてっ!?あいて?!おまっ?!黙ってチョップ連打やめろ…!! イラってきたのはわかるし、ちょっと調子のった俺も悪いけど!!」
「わかってるなら、なお悪い」
「すまん、すまんて!!」
そして数十秒後。
「いや、その、なんだ。ホントすまん…」
「わかればいい」
ひとしきり叩いて気が済んだアリーゼと、頭を下げて謝るシズマの姿があった。
ちなみにチョップ連打はそんなには痛くはないのだが、それはそれ。いわゆる抗議的な意味合いが強いのである。なお、これらは照れ隠しにも使用されることがある。閑話休題。
「まぁ、それはそれとして。ほんとにコレどうするよ」
バスタオルに包まって静かに寝息を立てている子ドラゴンを見つめ、シズマが困ったように呟く。実際問題として、何も解決はしてないのだ。
「たぶん、どこかに親がいるはず。それを探す」
「直接返すのか?」
「ん。下手にどこかを介するよりも、私たちが直接届けた方が問題は少ないはず」
「ふむ。…まぁ、一理あるといえば一理あるな」
幻想種の中でも超特別級な存在である。下手をすれば、子ドラゴンの存在が知られただけで大騒動になる可能性も低くはないだろう。それならば、可能な限り存在を隠した方が、却って面倒事は少なくて済むかもしれない。
「でもどうやって探す? 竜の保護区は裏側においても最重要機密の一つだって話だぞ?」
「そこは、クラウを頼る」
「クラウか…。確かにアイツならわかるだろうな…」
アリーゼの人選にシズマは納得するように頷いていた。
クラウディア・レイフィールズ。元フリーランスで今はRIA、正式名称をReverie.Inspection.Agancy、幻想監察局と呼ばれる組織に身をおくクラスSのエージェントでもある。
幻想監察局と言うのは、いわゆる”裏側の存在や物”を守るために、秘かに監視したり、場合によっては取り締まったりする、裏側の番人のような特別組織だ。当然、竜の保護区についての情報も知っているし、こういった案件には最適の人材とも言える。
過去にシズマとアリーゼは、フリーランス時代のクラウディアと共に何度か仕事をしたことがあり、その後彼女がRIAに移籍した縁でRIAとも共同で仕事をしたこともあったりする。
「というわけで、聞いてみる」
「今!?」
「急がば進めって言うし」
「いや、それは違う。そんなことわざはないぞ。って言うか、いいのか?」
仮にも大きな組織の一員である彼女である。比較的行動に自由が利く自分達と違って、何かと忙しい身なのは確実なのだが…。そんなシズマの心配を他所に、アリーゼはスマホを取り出して遠慮なく電話番号を入力していた。ちなみにシズマにも話が聞こえるように、ハンズフリーモードである。
呼び出し音が数回響き、画面の表示が通話中へと変わる。どうやら出たようだ。
『もしもし? アリーゼさんですね。どうかしました?』
電話口から聞こえて来るのは、とても落ち着いた感じのする声だった。穏やかで優しそうな声だ。
「ん、クラウ。おひさ。実はちょっと聞きたいことがあって」
『聞きたいことですか? なんでしょう?』
「実はドラゴンの子供を拾ったんだけど、なんか知らない?」
「単刀直入すぎない?!」
「ちょっと静かにして」
「あ、はい…」
前振りもなく本題に入るアリーゼにシズマが思わず突っ込むが、ばっさりと切り捨てられた。
『ドラゴンの子供を拾った、ですか? それは、またすごいことになりましたね』
「予想はしてたけど、これでもクラウは動じないんだな…」
『だって、アリーゼさんですから』
顔は見えないが、とても良い笑顔でニッコリと笑うクラウディアの顔が、シズマには見えたような気がした。そして説得力のある言葉に、ぐぅの音も出ないシズマでもあった。
「で、どうなの?」
『そうですね。ちょうど先日、一つ気になる情報が入ってきてますね。あ、でもこれは機密事項なので、他の人には内緒ですよ?』
そう言って、クラウディアは静かに話し始めた。
少し前の事。とあるドラゴンの巣があるエリアから、一匹の子ドラゴンがさらわれるという事件が起きており、RIAはちょうどその足取りを追っているらしい。
「じゃあ、RIAに引き渡せば万事解決ってことになるのか?」
『まぁ、そういうことになりますね。現在地を教えていただければ、エージェントの1人と合流できるように手を打ちますが』
「わかった。じゃあ、それで」
自分達で届けようと思っていたが、RIAがそのあたりの作業を代行してくれるのであれば、任せない手はない。ひとまず、回収のためのエージェントと合流する事にして、そのあたりの打ち合わせを簡単に済ませ、通話を終えるのであった。
「キュウ?」
ちょうどそのタイミングで、小さな鳴き声が響いた。振り返れば、バスタオルに包まっていた子ドラゴンが小さく顔を上げて周囲を見回し、首を傾げているところだった。
「お、目を覚ましたっぽいぞ」
「ん。元気になったっぽい」
そう言いながら、アリーゼが子ドラゴンへと近づいていく。子ドラゴンは、じーっとアリーゼを見つめていたが、やがてもそもそとバスタオルの中から這い出て、くりくりとしたつぶらな瞳を改めて向ける。
「………」
アリーゼが手を出すと、ゆっくりと用心しつつ近づき、差し出した手の匂いをかぐ。それから、おもむろにアリーゼの手に擦り寄り始める。
「キュウン♪」
「ん、くすぐったい」
そのうちぺろぺろと差し出した手を舐め始めるする子ドラゴン。その一部始終を見てシズマが首を傾げる。
「なんか懐いてないか?」
「そんな気がする」
「助けたのがお前だった事をわかってるのかもな」
ここまで連れて来て助けたのはアリーゼだ。恐らくそれを本能的に悟っているのだろう。ものすごくフレンドリーな様子の子ドラゴンを見て、ふとシズマの脳裏に一つの考えが浮かぶ。
「俺もちょっと触っていいかな…」
「キシャー!!」
そう言って手を伸ばそうとすると、おもむろに子ドラゴンが威嚇をし始めた。ちょろっとだが火も見えた気がする。これはやべぇ、とシズマは即座に手を引っ込める。
「…俺は駄目らしい」
「そうっぽい」
そう言いながらアリーゼが再び手を出すと、やはり甘え始める子ドラゴン。
だが、二人は知る由もなかった。これが原因で、状況がややこしくなることを。




