第三話 イカロスの子ら D
「ありがとうございます」
一呼吸置いて、意を決した紗菜は自身の過去を語り始めた。
「わ、私はここに来るまで実は地元で馬術を、“トゥルネイ”っていう馬上槍試合の選手をやってました……」
「なるほど。トゥルネイやってたのか」
「道理であれだけ上品で姿勢正しかったのね」
隼人と純はその競技のことを知っていた。
紗菜が転校前までやっていたのは欧州の騎士が行っていたという馬上槍試合を競技化したトゥルネイというスポーツだった。そしてその発祥が発祥なので、競技のハードさと共に、礼儀作法についても特に厳しいことでも有名だった。
この競技、元々は欧州の騎士が行う金属製の全身鎧を身につけ木製の槍を持って行っていた経緯もあって、体格に優れた男にしかできないスポーツだった。
だが時が経って技術が進んだ現代では、軽量で頑丈な強化カーボン製の鎧を装着し、軽量な特殊ゴム製の槍を持って競技を行うようになっていた。
そのため用具の発達で身体への負担が大きく減ったことで女子選手が一挙に急増。現在は男女比率が逆転しているほどという。
一対一の個人戦も盛んだが、団体戦も人気が高い。こちらは十二対十二で行われ、屋外の山野を試合会場にして行われ、真正面から激突するだけでなく小部隊に分けるなどして知略を巡らせる高度な戦いが行われていた。
紗菜はその競技の有力選手であり、日本の馬上槍試合の世界で知らぬ者はないという名門“遮那王流”の宗家の生まれでもあった。
遮那王流は、かつては日本鎧をまとっての馬上槍の技術を研鑽していた一門だったが、明治維新以降に当主が欧州に渡ってトゥルネイを納めると、伝統を保持しながら欧化した競技の普及に努めた。
そして用具の軽量化が始まった時期に就任した先々代から女性が宗家に就任し、そして紗菜は次女として姉と同じく馬上槍試合の選手として活躍していたのだ。
「その次代の後継候補がどうしてこの雁の巣に?」
「はい。ここは馬術を全くやってなかったからなんです」
その言葉に逆に一同は黙ってしまう。
「冬の全国大会の準決勝の試合の最中のことでした」
紗菜は小隊長として奇襲作戦の要を任されていた。そして相手を背後から突くべく、容易に馬が通れない川沿いの狭い道を巧みに愛馬を駆って向っていたという。
フィールド内は当然一般人は立ち入り禁止となっていたのだが、馬上槍のファンだという小学生の女の子が無断で侵入し、川の傍の樹上から迫力ある場面を撮影しようとしていたという。
だが、前日の豪雨で川は増水していた上に、木の幹も濡れて滑りやすくなっていた。そして少女は誤って増水した川に転落してしまったというのだ。
「私はすぐに連絡したんですが、救助隊が向かうのに時間が掛かると聞いて」
「それで試合を放棄して、助けに行ったのか?」
「はい……」
紗菜は見殺しにはできないと、試合中断を宣言して馬を川に入れて救助に向かった。無事に少女の救助に成功したのだが……。
「通信機器の不調で大会本部連絡が届いていなかったので中断が認められず、私が抜けたことで作戦が失敗して敗退してしまったんです」
紗菜の他のメンバーは作戦通りに行動しようとしたのだが、目まぐるしく変化する状況に指揮官不在では対応しきれず、背後を突く作戦は失敗して敗退してしまったのだ。
「居合わせたチームメイトのみんなは仕方ないからって許してくれたんですが、私のお母さんが……、許してくれなかったんです」
「……」
増水した川で馬を泳がせる事ができたのは彼女だけだったので止むを得ない行動だったのだが、小隊であれ指揮官が指揮を放棄したことを、遮那王流の宗家である亜紗美が許さなかったのだ。
そして母親はこの学校に対しても強い影響力を行使できる立場であった。助けられた少女とその親は自分たちの過ちが原因だと謝罪し、周囲も懸命に宥めた。だが、宗家の継承候補の失態を決して彼女は許さず、あえて娘を関係者の眼前で、周囲が居た堪れなくなるほど厳しい叱責を紗菜に対して行ったのだ。
「だから私、馬上槍試合に向いていないんだって心底思い知ったから辞める事にしたんです……」
こうして母親に心折られてしまった紗菜は、馬術系とは無縁の雁の巣に逃げてきたというのだ。
「……。助け舟出してくれる人は?」
「お母さんに意見できるのは、十年前に亡くなったお父さん以外はお姉ちゃんだけでした。でもお姉ちゃんは今は留学中で不在なんです。あとでお姉ちゃんは私の行動は間違っていないって電話で言ってくれたんですが……」
紗菜の姉、聖良は中学時代に母親に反抗し一時出奔していたが、紗菜に説得されて家に戻り、以降は時折反発を見せながらも流派を継承すべく競技に復帰。現在は高みを目指すために(そして母親から離れる為)海外に留学しているという。
彼女は妹の紗菜を大変可愛がっており、今までは何かあれば母親と敵対してでも必ず助けに来てくれたというが、その姉が不在だった事もあって、紗菜の心が折れてしまうほど厳しい叱責を受けてしまったのだ。




