傷ついた天使に恋の蕾を。
ジュダレアとグレイシア
「待て待て待て、なんだって?ちょっと耳の調子がおかしくてな、もう一回頼む」
「だから、手紙は二年半前に途絶えてそれきりだ」
今度こそ現実を受け入れたグレイシアはよろよろと頭を抱えてしゃがみこんだ。手紙が届いていなかったことに、相当なショックを受けたらしい。
「確かに薄々変だと思ってはいたんだ。あれだけ手紙を出せば、いくらヴェルトナ様がお嫌いでも苦情のひとつやふたつ…いやもっと来ておかしくない筈なんだよ」
客室から場所を移したナイツストーン家の面々と、至急呼び出された両陛下はゼルモア公爵が目覚めるまで時間を持て余していた。ので、グレイシアを捕まえたジュダレアはテラスで時間を潰すことにしたのだ。
「…そんなに出してたのか?」
「それは、もう!帰国が迫った末期には、一日に辞典作れるほどの束を書いてらっしゃったんだぞ…」
しかし、そのうちの一枚だって届いてはいない。ジュダレアは思わず首を傾げた。
「そんだけ書いて、なんでノアンには届いてないんだよ」
「知るかそんなこと!むしろ読まなくてラッキーじゃないか、あの呪いの手紙を…」
「でも、ノアンの手紙だって届いてないんだろ?」
「ああ、一通でも届いていれば状況はかなりましだっただろうな。そもそも、手紙が届いてたなら留学は三年で終われたんだよ!」
ジュダレアは乾いた笑いと共にグレイシアを慰めてやる。こればかりは、グレイシアは被害者だ。
留学が一年延びたのはヴェルトナがごねたからなのだ。なんでも心変わりしたノアンと会ったら死ぬとか、殺すとか。
全くもってふざけた野郎だ。やつは後で締める。
「俺は、三年で帰れるはずが…」
「確かにな。あと一年帰還が早けりゃノアンもあんな色気大魔人にならずにすんだのに」
「死ねブラコン。俺を慰めろ」
グレイシアはどうにも勤務外だと一人称から言葉遣いまで変わるらしい。少し荒い口調だがジュダレアにしてみればこちらの方が好感を持てた。
「グレイシア、お前さ。今後俺と話すときはそれ固定で」
「はあ?それって、どれだよ」
「だから、一人称は“俺”で、より堅苦しくない言葉遣い」
指摘されたグレイシアは途端にはっと口許を押さえた。なんだ、無意識だったのかとおかしくなる。
「昔からかなり気を付けてたんだが」
「だから気を付けない方向で頼むな」
「…俺だけってのが面白くない」
「おー、俺にもなんか注文つけるか?」
グレイシアはニヤリと笑う。何がそんなに面白いのやら甚だ疑問だが、自分が言い出したことだ。大人しく聞いてやることにする。
「名前長いだろ、俺。だから、お前がなんか愛称つけろ」
「いや、別にいいけど…」
「よし、いますぐに考えろ」
心なしか嬉しそうなグレイシアに、笑いがこみ上げる。なんだか知らないが、他人の愛称を真剣に考えるのも一興だろう。
それに、グレイシアを愛称で呼べるのは悪くない。
「うーん…」
グレイシア、グレイシア…
グレースとか?
いや、それではあまりにも女性っぽい。
グレイ、だとたぶんシアあった方が好きだ。
あー、思ったより難しい。
「…レイ、とか?」
「それでいい」
「即答か。俺が真面目に考えてんだからお前も考えろよな」
「いや、お前が考えればなんでもいいんだよ」
「なんだそれ」
ジュダレアがふっ、と笑うとグレイシアも瞳を細めた。ジュダレアはこの友人と過ごす穏やかな時間が嫌いではない。大抵は口喧嘩ばかりだが、グレイシアは絶対に最後の一線を越えることはしない。貴族の癖に頬に刻まれた奴隷の刻印を見ても眉ひとつ動かさず、普通に接してくれる貴重な友人だ。しばらく会って居なかったからか、少し感傷的な気分になった。
「で、俺は?」
「お前はジュダだろ」
「なんだよ、お前も考えろ」
「まあ、いいけど」
グレイシアは伏し目がちになって、かなり真剣に考え出した。何となく眺めていたジュダレアだが、次第に妙な感覚に襲われる。
月明かりに晒された黄金の髪が綺麗。睫毛が長くて驚いた。騎士の癖に白い肌が陶器みたいだ。…アメジストの瞳がこちらを向いていないのが残念だ。
――なに考えてるんだ?
「…じゃあ、レアでどうだ?」
アメジストの瞳が、ジュダレアを写した。なんでか、嬉しくなった。
「いいんじゃないか。お前とお揃いみたいで」
「あ、バレたか。じつは謀った」
「なんか兄弟みたいだしな」
「…じゃあやめる」
「なんでだよ!」
そんなに兄弟が嫌か、と肩をぶつけると素っ気なく嫌だ、と帰ってくる。なんだか、悲しい。
「兄弟だとお前にとって四人いるうちの一人、ってことだろ。そうじゃなくてさぁ…なんかこう、唯一無二、みたいなやつがいいよな」
グレイシアは悪戯っぽく笑っていた。いつもブラコンだなんだと揶揄う顔ではなく、子供みたいに純粋な笑顔。
こいつ、こんな顔もするのか。
「ん、どうした?心なしか顔赤い気がするが、暑いか?」
「いや、は?暑くはない、ってかむしろ寒…っくし」
季節は春の頭。まだ夜はかなり冷える。コートはノアンに貸した。ここはテラスで、絶賛寒空の下。
そりゃ風邪引くわ。
「あーちょっと熱あるな、ほらこれ着てろ。悪い、騎士やってると寒暖差とかには慣れちまうから気付かなかった」
「ん、さんきゅ。気がつくと、途端に怠いな」
「先に屋敷まで送ってやるから、掴まれ」
グレイシアに背負われて、ぼんやりと考える。熱があったから、思考回路がおかしかったのか。けれど、それが妙に腑に落ちない。
「あ。そういや言ってなかったけど…俺、近々騎士辞めるからな」
「そうか…」
さらりと告げられた言葉をもう一度頭で繰り返す。グレイシアが、騎士を、辞める?
「はあ!?な、なんで急に!」
実家のラティス公爵家に戻るのだろうか。グレイシアは次男だと言っていたが、兄に何かあったのかもしれない。でも、だとしたら、これからはほとんど会えないではないか。
「はっきりとは分からないが、ヴェルトナ様の養子入りと同時に辞める予定だ」
「なんだよ、やっと帰って来たと思ったらまた会えねーのかよ」
「ん?俺が居なくて寂しかった?」
グレイシアとジュダレアもまた、ノアンが生まれてから毎日ナイツストーン家で顔を合わせていた。二人の関係だってヴェルトナが居なくなれば簡単に消えるものだったと、ノアンたちよりさらに希薄な関係だったと気付いたのは、ヴェルトナの来訪がなくなってすぐだった。
「…当たり前だろ」
「…病原体、怖ぇな」
「どういう意味だコラ」
グレイシアが笑う気配がする。
「別に公爵家には帰らないぞ。兄貴はピンピンしてるし、その子供で元気なのが三人も控えてるから俺の出番は絶対来ない」
「じゃあ、なんで辞めるんだよ。近衛の副隊長ってかなり凄い地位なんだろ?しかも元になるけど第二王子つきだった訳だし、高給取りじゃねぇの?」
なんだか未練がましく引き留めてるみたいで恥ずかしい。それはグレイシアにも伝わったみたいだ。
「おまえ急に塩らしいな。普段からそれなら…いや、それは駄目か」
「で?なんで辞めんの?」
「…やっぱ、一年帰還が延びた時に思ってさ。“ぜってー、この仕事辞めてやる”って。だって、会いたいやつに会えないんだぜ?それも王子の我が儘で丸一年延びるし」
グレイシアには思い人でもいるらしい。それなら分からなくもないが、やはり近衛を辞めるのはもったいない。
「やっぱ辞めんなよ、折角おまえ頑張ってきたのに」
「いや、辞めるよ。
ってことでこれから世話になるな」
「…?」
熱のせいで頭が上手く回らない。何が世話になるのだろう。
「だから俺の再就職先、ナイツストーン侯爵家だから」
「…おまえ死ね、ほんと死ね」
「いや、だって今日はやけに素直だから思わずって――ちょ、待て!悪かった俺が悪かったから!
泣くなって、ジュダレア!」
「あーもう、必死になって馬鹿みてぇ」
目頭が熱くて鼻の奥がツンとするが、断じて泣いてなどいない。強いて言えば熱に浮かされているのだ。
「ごめん、悪かった、弱ってる時にやることじゃなかった!頼むから泣くなって!」
必死に宥めるグレイシアの声。背中から動揺やら焦りやらがダイレクトに伝わってくる。
「…嬉し泣きだ馬鹿」
息を呑む音がした。もちろんジュダレアじゃない。溜飲が下がってスッキリしたら、眠気が襲ってきた。なにもかも、熱に浮かされただけなのだ。目が覚めたら、きっとこんな気持ち忘れてる。
背中から規則正しい寝息が響く。
「…色気大魔人より質が悪いっての」
ぽつりと呟き、グレイシアはゆっくりと歩きだした。この分だと馬車にはしばらく着きそうにない。その柔らかな金糸からのぞく耳は、仄かに赤かった。
ああ、どうか神様。一度でいいからチャンスをくれないか。どんな相手からだって守り通すから。何よりも大切にするから。…この手で、きっと咲かせてみせるから。
グレイシアは月を見上げて、ひとつため息を溢す。
だからどうか、この傷ついた天使に淡い恋の蕾を。
ジュダレアが風邪引いてまで貸したコートは秒でむしりとられているし、ノアンはジュダレアが風邪を引いた原因を知らないので本当に報われない。
ノアン達が何だかんだ話している頃、寝込んだジュダレアはグレイシアにしっかり看病されてます。(余談)
グレイシア…ラティス公爵家の次男で異例の若さで近衛騎士団の副隊長を勤める。金の髪にアメジストの瞳を持つ美青年で腕もたつ。第二王子ヴェルトナの護衛で、ノアンが生まれてから毎日ナイツストーン侯爵邸を訪れていた。最初は顔の傷もあり気を使っていたが、いつのまにやらジュダレアにベタ惚れ。
ジュダレア…ナイツストーン侯爵家の長男で養子。次男のフェルシアは血が繋がった本当の兄弟。黒髪に紺青の瞳で美しい容姿ではあるが、頬に奴隷の刻印の火傷があるためそれなりに酷い目にあってきた。ナイツストーン加工に関しては弟のフェルシアと同じく天賦の才を持つ。基本的にブラコンシスコンを患っている。恩人であるイヴにそっくりのノアンを特に可愛がっており、しばしばヴェルトナと一戦を交える。