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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
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百合ヶ咲百合は恋をしている

作者: 悠久
掲載日:2018/07/12

 嫌な季節になった。夏。

 暑いし、蚊は多いし、梅雨には湿気も多くなるし、何よりやっぱり暑い。

 反面、いいこともある。

 露出は増えるし、何より水着が拝める。

 悪いことばかりではなく、いまいち憎みきれない季節、夏。




「センパイセンパイ」


 カーテンから漏れる光が紅みがかってきた頃、相変わらず二人ぼっち…いえ、二人きりの部屋で珍しく声がかかる。


 ぼっちとビッチは似ているけど全く別物よね。どうでもいいわね、余談。


「なぁに、後輩ちゃん」


 嫌な予感がするも、彼女からのラヴコ‐ルは無視できない。愛ゆえに。


「ちょっとおもしろい話を聞きまして‐‐って、なんか眠そうッスね」


「いやぁ、今日は水泳の授業があってね‐、おねいさん、はりきっちゃった、きゃるんっ」


「きゃるんってなんスか、キモいッス。

 それにはりきったって何をッスか。

 水着ッスか、ハイレグっスか、痴女ってやつッスか、警察呼べばいいッスか」


 軽いおふざけに対する怒涛の罵倒。略して怒倒(どとう)。嫌いじゃない。


「ハイレ‐‐ちがっ! 痴女じゃないわよ! 授業よ!?

 学園指定の水着に決まってるじゃない!

 あとはやくスマホから手を離してくれないかしら!?」


「小粋なジョークッスよ。

 相変わらずセンパイはノリがいいッスね、そういうとこ好きッスよ」


 よくもまぁ照れもなく好きとかすんなり言えるわね……。


「あ、ありがとう……?

 貴女の冗談はわかりづらいのよ……」


 今のやりとりで更に疲れたわ……。

 この娘の冗談は本当にわかりづらい。せめて表情ぐらい崩して言ってくれればいいのに。


 そんなのだから‐‐


「……はぁ。ところでおもしろい話って何かしら」


「そうそう。それがセンパイのあだ名なんスけど」


「……私にあだ名なんてあったの?」


「やっぱ知らないんスね」


「私が知らないあだ名ってそれろくでもない気しかしないのだけれど。

 下手すればあだ名じゃなくて陰口だったりしない?」


「さぁ? センパイがどう捉えるか次第じゃないッスかね」


「じゃあ私のあだ名は深窓の令嬢でいいわね」


「却下で。つうか自分で言ってて恥ずかしくないんスか」


「恥ずかしいと思う心は母の中に残してきたわ」


「センパイ、ご生誕おめでとうございます。

 センパイの産声を聞けて感激っス」


「あるぇ‐? 私、今ここで産まれたの‐?」


「間違えたっス。センパイはまだ産まれてきてなかったっス。まだ母体の中っスね」


「おぉっと、私のこと全否定―? 全てが恥ってことかしら‐?」


「そんなことはどうでもいいんスよ」


 おぉっと、露骨に面倒くさがったわね。

 悪ノリからの即撤回。相変わらず気分屋がすぎる。


「私、超ディスられたのだけれど?」


 貴女はいいかもしれないけれど、私は全然良くないのだけれど‐。


「センパイのあだ名なんスけど」


 ガン無視。


「怖いからやっぱり聞かないってアリ?」


「ナシで」


 わかってたけど、即答ね……。


「おもしろいっスよ。

 なんでも‐‐」


 後輩ちゃんは瞼を閉じ、呼吸を止めて、溜めにためて、まくしたてる様に、一息で


「‐‐立てば百合、座れば百合、歩く姿は百合の花、らしいっス」


「……え?」


 あまりの早さと、あとあまりの頭の悪さというか酷さに、本能が拒絶した。


「だから、立てば百合、座れば百合、歩く姿は百合の花、ってのがセンパイのあだ名らしいっス」


 ご丁寧にもう一度、今度はゆっくりと。

 余計なお世話。


「ごめんなさい、ちょっと理解が追い付かないのだけれど。

 それはあだ名と呼べるのかしら」


「別名、ガチレズ」


「ストレ‐トにひどいわね!?」


「そんなわけでセンパイのことをどちらかで呼ぼうと思うんスけど」


「わかる!私わかるわ!

 貴女のことだから絶対前者はめんどくさいって言うわ!

 そしておもしろがって後者で呼ぶわ!」


「はぁ‐、よくおわかりっスねぇ。感心感心」


 腕を組んで鷹揚に頷く。

 なぜ妙に上から目線なのかしら。

 可愛いから許すけど。


「ぜ‐ったいいやよ!どちらも嫌よ!何よ、立てば百合って!座れば百合って!歩く姿は百合の花って!百合しかないじゃない!

 っていうか私の名前よ!百合よ!だったらそれはもう百合じゃないの!当たり前じゃないの!

 考えた奴馬鹿じゃないの!?

 誰よ、連れてきなさいよ!お説教よ!」


「あ、こないだの試験は結構いい点取れたっス」


「お前か‐‐!」


 もうそこまで言うのなら素直に百合って名前呼びなさいよ!

 あだ名の中に名前が三回出てくるって何よ!新しすぎじゃないの!素直に名前呼びなさいよ!


「なぁに失礼なあだ名を流してくれちゃってるのかしら!?

 でも、貴女に発信力があるとわかってちょっと嬉しい私がいるの!複雑!」


 友達いないぼっちじゃなかったのね!先輩、安心!


「まぁ、好きでぼっちしてるんで、たまには人と関わってもいいかなって思ったっス」


「そう!それはよかった!けれど!流した情報が!もっと違うものならよかったわ!」


「え、嫌っスよ。センパイの悪評を流すために人と関わってるんで」


 真顔で何言っちゃってくれてんのかしらこの娘!


「そうよね!貴女はそういう子よね!なぜかしら!私への嫌がらせだけは全力よね!」


 それ以外は飄々と、のらりくらりと過ごしてるくせに!


「いやぁ、センパイの嫌がる姿を想像したらうれしくってうれしくって、笑顔で人と接することができるっス」


「嘘おっしゃい!貴女自分のあだ名は知ってる!?」


「知ってるっスよ」


「え、知ってるの!?」


「えぇ。鉄面皮、あとはアイアンメイデン‐‐鋼鉄の処女、なんて呼ばれてるっスよね」


「鋼鉄のしょ‐‐って、うら若い乙女が軽々しく言うんじゃありませんっ!」


「センパイってたまに生娘気取ってるっスよね、中身ガチレズなのに」


「きむ……レッ! ちがっ!」


 誰が同性愛者か!


「私をその、ガチなんとか、同性愛者扱いするのやめてくれない!?」


「え、違うんスか。だってセンパイの恋人遍歴、女性ばっかじゃないスか、むしろ女性しかいないじゃないスか」


「女子校だからでしょ‐!」


 そこで付き合う相手なんて女性しかいないでしょ!


「私だって素敵な男性がいたらその人と付き合うわよ!いないでしょ!男!」


「まぁ女子校っスからね。女装した男とかいませんしね」


「それなんてエロゲかしら」


 実在したら即バレて即通報だと思うの。


「実はセンパイが男だったりしません?」


「し‐ま‐せ‐ん‐!

 なんて失礼なこと言うのかしら!私のこの豊満な肉体を見て男とか失礼ね!」


「おっぱいばっか栄養いってるの、詰め物かと思ったっス」


「失礼!天然ものよ!

 何なら確かめてみる!?」


 見てよし!揉んでよし!感度よしの自慢の胸よ!


「何で服に手をかけてるんスか、露出狂っスか、やっぱ痴…」


「違う!深刻そうな顔してスマホ持つのやめなさい!」


 悪ノリが過ぎました!ごめんなさい!


「それはさておき、私が女性ばかりと付き合うのは仕方ないんじゃないかしら!?」


「そも女性が女性と付き合うのもおかしいと思わないんスか」


「私も最初はそう思ったわよ!でも告白してくれる相手が女性ばかりなの!女性しかいないのよ!

 だったらもう私女性にしかモテないんじゃないのかしら!なんて思っちゃったりするのよ!」


「センパイ、動物園でもモテモテでしたもんね、主に雌に」


「なんで覚えてるのかしらぁ!?」


 寄ってくる人間は女性、動物は雌、虫も雌だったりするのかしら!

 なぜか私、蚊にもモテるのよね!よく血を吸われるの!お断り!


「美少女は蚊にもモテるのかしらね!?」


「なんで突然蚊が出てくるのか不思議っスけど、そこはセンパイなのでスル‐するっス。

 自分で美少女とか言っちゃうのはなかなか痛々しいっスね」


「そここそ私だからと見過ごしなさいよ!」


「美少女(笑)」


「すごい!なぜだか馬鹿にされてる気がする!」


「よくわかったっスね」


「否定しなさいよ!」


「で、女をとっかえひっかえするビッチさんは…」


「言い方!」


「事実っスよね」


「人を尻軽みたいに言わないでくれるかしら!?

 だって貴女、断ったら泣かれるのよ!?

 泣いてなお付き合ってくださいとか言われるのよ!?

 名前も知らない娘に!お試しでもいいので!って!お試しって何よ!?」


「センパイ、試供品とかホイホイ持ち帰りそうっスね」


「だまらっしゃい!きりがないのよ!じゃあ…って引き受けるしかないじゃないのよ!

 で、付き合い始めたと思ったら私がごめんなさい…って言われて別れるの、釈然としないのよ!」


「え、センパイが振られてるんスか」


「そこで心底不思議そうにしないでくれない?

 なぜか別れ話を切り出せるのは私ばっかなのよ…」


「てっきり弄ぶだけ弄んでポイすると思ってたっス」


 貴女の中で私はどれだけ冷徹なの…。


「生憎、数回デ‐トを重ねておしまい。精々手を繋ぐぐらいしかしてないわよ」


「へぇ」


「好意的になり始めたら大体お仕舞なのよね…。

 私を好きになってもらいます、なんて自信満々だった娘も私が別の誰かを重ねてる、別の人を見てる、なんてよくわからないことを言われるし、そもそも私は貴女を知らないのよ、せめて知り合い、友達と順を追わせてくれないかしら。

 いきなり恋人関係なんて言われて、どう付き合えばいいかわからないのよ…。

 手探りでようやっとどう付き合っていけばいいのかわかり始めたら振られるのだもの。

 私だってできるならまともな恋愛したいわよ…振られてばっかで、私だって傷つくに決まってるじゃないの…」


 トラウマとまでは言わないものの、忘れたい過去を思い出す。

 なんで。どうして。待って。縋りたい気持ちを堪えて、わかったとだけ言ってさようならと見送る。

 酷く惨めな気持ちになった。




「はぁ‐、センパイも大変っスね‐」


 とても適当に聞こえる慰め。

 これでいい。これがいい。

 これでこそ、彼女らしい。

 だからこそ、私も貴女の知る私でいられる。

 遠くから眺めて、理想を重ねられただけの薄っぺらい私ではなく、貴女と馬鹿を言い合える私でいられる。


「…ほんとよ。

 まったく、こちとらもっと深く、恋人らしいことしたいわよ」


「恋人らしいこと…やっぱりセ‐‐」


「さすがに言わせないわよ!?」


 前からは恥じらいのない娘だと思っていたけれど、さすがにそれはまずいわ!多方面で!


「……ふぅ、さすがにそこまでは行かないわよ。

 相手も女の子だしね、精々キスぐらいかしら」


 好きな人を交わすキスは気持ちいいものだと聞いた。

 口と口でかわすキス。

 相手が受け入れてくれるのであれば、私自身は相手が男性であろうと女性でも構わないと思う。

 結局のところ、当人次第だと思う。


 本当に、相手が好きならば。


「ふ‐ん、キス‐‐っスか。

 なんなら……試してみます?」


「‐‐は?」


 ‐‐今、なんて言った?


「センパイ、意外と純っスね‐。

 キス、したいっスか?それとも、されたいっスか?」


 ‐‐この娘、何を言ってるかわかってるのかしら。

 私をビッチだの尻軽扱いしておきながら、この娘は軽々しく何を言ってるのかしら。

 それは貴女の方じゃないの、と言ってやりたい。


 キス?したい?されたい?

 当り前じゃないの。

 したいわよ。されたいわよ。

 なんなら濃厚なやつだって来てみなさい。


 ‐‐いやいやいや、待った待った待った。

 相手は後輩ちゃんよ。

 いつも無表情で私をからかって遊んでるこの娘だ。いつものように今に冗談スよ、と無表情で言うに決まって‐‐




 ‐‐言わない。




「えぇっと、後輩ちゃん。何言ってるかわかってる?」


「だから、センパイはキスしたいっスか?されたいっスか?って」


 何言ってんだこいつ、みたいな表情。いえ、無表情だけど、ニュアンス的に。

 私も言いたい。何言ってんだこいつ。


「キスってわかってる?後輩ちゃん」


「魚のキス‐とかじゃないっスよね、文脈的に」


「えぇ、もちろんそんなべたなボケはしないわよ。キスっていうのはこう、唇と唇が触れ合う‐‐」


「え、あ、そっち……あぁ、そっちっスか……」


 あら、珍しい。戸惑ってる。

 珍しく戸惑う彼女が可愛らしい。いつもの仕返しと、あともっと可愛らしい彼女を見ていたいと悪戯心が芽生える。


「あら‐あらあら‐?そっち?そっちってどっちだったのかしら‐?

 後輩ちゃんはどんなキスを想像したのかしら‐?」


「え、えっとその…、センパイ、やかましいっス。

 私はてっきりこう、ほっぺたにちゅってする軽いやつかと…」


 頬を赤く染め、視線を逸らす。

 モジモジしながら、上目遣いでちらちらとこちらを眺める仕草が小さな体と相まって小動物的な可愛らしさを発揮している。


 墓穴!!!!!!!!!!!!!!


 何かしらこの可愛らしい生物!

 ビッチだの尻軽だの言ってすみませんでした!私でした!


「……ぐふっ」


「え、なんスか、今の……」


「気にしないで。カウンタ‐がいいところに入っただけだから……」


「は、はぁ…カウンタ‐、スか…。

 え、えっと、それでセンパイ、キスはしたいっスか、されたいっスか?

 もちろんその、唇を合わすやつじゃなくて、ほっぺにちゅってする奴っスけど…」



 いちいちちゅって擬音が可愛らしい。じゃなくて、巻き戻るのね。

 相変わらずモジモジとしたまま、上目遣いで尋ねてくる。

 妙に気まずいけれども、彼女は意外と乗り気で、私の欲求を満たそうと応えてくれている。

 なら、私も遠慮をしない方が彼女のためだろう。


「え、えぇ‐っと、嫌じゃないの?」


 ごめんなさい、チキりました。


「嫌ならハナっからこんな提案しないっスよ。

 私はさっきも言ったっスけど、センパイのこと好きっスから。

 もちろん、変な意味じゃないっスけど。

 ほっぺにちゅってするのも、されるのも嫌じゃない程度には」


「それは結構好意的だと思っていいのかしら」


「そう思ってもらって結構っスよ。

 もちろん、センパイが嫌っていうなら辞めますけど…」


 なぜそこで貴女は少し悲しげな顔をするのかしら。


「そんなわけないじゃない。私だって貴女の頬にキスをするのも、頬にキスをされるのも嫌じゃないわ。

 それどころか嬉しいぐらいよ」


 自然と口が言葉を紡ぐ。偽りない本心。

 嫌なわけがない、それどころか嬉しいと思う。


 なんて恥ずかしい言葉。


「なら、良かったっス」


 いつもの無表情。なのに、どこか嬉しそうに聞こえるのは私の願望なのかしら。


「……ありがとう。なら、私が貴女の頬にキスをしても構わないかしら」


「もちろんっス。じゃあどうすればいいっスかね」


「そうね、じゃあそこの机に腰かけて、目をつぶってもらえるかしら」


「りょ‐かいっス」


 そう言って彼女は、机にもたれかかり、目をつぶる。

 んっ、と小さな声をあげながら、顔をわずかに上向かせる。

 小さな顔に大きな目。長いまつ毛にスッとした鼻立ち。


 ‐‐こうしてみると本当にお人形さんみたい。

 鋼鉄の処女などと称される気持ちもわからなくはない。

 なにせ作り物のように整った顔立ちをしている。

 それでも当然というか、やっぱり彼女は人間だ。

 彼女のきれいな髪は汗で額に張り付き、緊張で肩は震え、頬には赤みが指している。


 恋人らしい会話から、なぜか頬にキスする羽目に。

 相変わらず、意味がわからない。

 だけれど、嬉しいと心を弾ませている私がいる。

 どうしてこうなったのかわからない。やはり夏は人を狂わせるのだ。


 彼女の肩をそっと掴む。震えが伝わる。

 シミ一つない頬に唇を寄せる。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 規則的な吐息が耳に届く。

 小さく、薄いながらもプルプルとしっかりと柔らかさがわかる唇に目が移る。


「‐‐あ、蚊……」


 呟くように、それでも彼女の耳に届くように忌々しい奴の名を呼ぶ。


「え‐‐?」


 咄嗟に彼女が振り向く。


 ‐‐ちゅっ。


 そんな音が聞こえた気がした。


「‐‐あら?」


「‐‐えっ?」


 ‐‐勘違いではない、と思いたい。


 忌々しい名を口にしたとき、目を開け咄嗟に振り向いた彼女の横には、ちょうど私の顔がある。

 頬に口づけをしようとした私と同じぐらいの高さに。ちょうど、彼女の柔らかな唇と同じ高さに私の唇が。


「‐‐へ?え?」


「あら。とんだ事故ね。まさか頬にキスをしようとしたら蚊が貴女に止まるだなんて。

 でもよかったわ、刺される前に飛んで行って」


「へ、え?そ、そうなんスか……?」


「そうなの。それで思わず声をあげちゃったんだけど、貴女が振り向くから私の唇が当たっちゃったわ」


「は、はぁ……」


「貴女の唇に」


「え、えーっと……」


「ご馳走様でした」


「へ、え、えっと、お、お粗末様でした?」


「とんでもない。むしろ私の方がお粗末様でした。私の、ファ‐ストキス」


「え、え、えっと……」


 面白いぐらいにうろたえている。でも笑っちゃいけない。

 今笑ったらきっと台無しだ。


 彼女はうつむき、もごもごと言葉にならない言語を並べている。

 表情は伺い知れない、でもその顔は夕暮れの中でも分かるほどに、はっきりと耳まで紅くなっている。


「わ、私も、ファ‐ストキス、でした……」


「あら、ならやっぱり私がご馳走様、で良いのかしら」


「お、お粗末でした……?」


 顔を上げた彼女は真っ赤な首を傾げながら、こちらの機嫌を窺うように声を出す。

 その仕草が、とても可愛らしい。

 とても鉄面皮、鋼鉄の処女などと称されているとは到底思えない。

 この表情や仕草を、もっと他人に見せればそんなあだ名もすぐになくなるだろうに。


 しかし‐‐


「ご馳走様でした」


 彼女の肩を再び掴み、紅く染まった耳に囁く。


「ひゃっ」


 くすぐったそうに身をよじり、悲鳴を上げる。


「さて、そろそろ帰らないといけないわね。

 戸締りは私がしておくから、貴女は先に帰りなさい。気を付けてね」


「あ、は、はいぃっ、お疲れ様でしたぁっ」


 逃げるように、カバンを掴み走り去っていく後輩ちゃん。




「……はぁ‐‐‐‐‐‐」


 緊張した。

 随分長い間この部屋にいたものの、窓からまだ太陽が見える。

 時刻は6時になろうとしていたものの、外は明るい。

 嫌な季節になった。夏。

 暑いし蚊は多いし、梅雨には湿気が多くなる。それにやっぱり‐‐


「はぁ‐あっつ……。

 もう誰もいないわよね?誰とも出くわさなきゃいいけど……」


 きっと、私が真っ赤であることは日差しのせいでないことがばれてしまう。


「先に帰ったあの娘も誰かとでくわさなきゃいいけど……」


 誰とも会って欲しくないと思っている。

 なんせ、彼女のあんな表情も、仕草などもしばらくは誰にも見せたくない。

 あの一面は当分私だけが見れたらいいと思う。そうであって欲しい。


「……はぁ、ほんとあっつい。

 夏は人を狂わせるって、ほんと‐ね‐」


 誰に聞かせるでもなく独りごちる。

 それでもまだ、夏は嫌いになれそうにない。






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