セリフは誰が発するかが重要であるが、それ以上に作者は読者との認識を考えなければならない
特定の作者、作品に対する非難ではありません。
「お前が言うな」
リアルでもフィクションでも誰もが一度は思った事がある言葉だと思います。
意図的に作者が読者にそういう風に感じさせるような言い回しの使い方もありますが、今回は恐らく作者的には、意味のある台詞にしたかったが読者とのすれ違い、つまり認識の共有不足ゆえに
「何を言っているんだ」
となってしまったパターンについてのお話です。
言葉は当然、物語中のキャラが喋るものです。語尾や癖は置いといて、重要となるのは場所や相手等、キャラ本人以外の要素も多く含まれます。
例として乱戦の最中の主人公が
「なぜそうも簡単に人が殺せるんだよ!死んでしまえ!」
といいます。…思いっきり元ネタが分かるセリフになりますが、このセリフ不謹慎かも知れないですが非常に面白いです。
セリフ中の殺せるんだよ!の否定から死んでしまえと!という矛盾が生じますが、乱戦の最中次々と失われる命に対し、主人公が憤りながら闘う、戦闘の凄まじさや矛盾を感じさせる言葉です。
ぶっちゃけた話になりますが、劇的な台詞はネタにされやすいですが、その時の状態を知っている読者や、視聴者的にはとても印象深く残ります。
そもそも当然の事ではありますが、言葉は誰もが喋る事が出来ます。ロマンチックな言葉を誠実な人が言うこともあればチャラ男が言うこともあります。
もちろん、言葉を受ける側を使い様々な反応をさせる事によって対比として扱う事も可能です。これは自然に使えるのであれば非常に強力な技になるでしょう。
しかし、そうじゃない…例えば作者的には推したいけれども、読者的には好きでもないキャラ。多くがこういったキャラの認識の違いによる悲劇によって起こります。
キャラは作者が誕生させたのですから、愛着を持つのは当然でしょう。しかし、あまりにも強すぎる愛着はそれを持っていない者には不可解に写ることもあります。
自分の推しキャラほど作者は扱いに気を付けなければなりません。
なろう小説に多く感じるのは推しキャラが主人公である故に起きる弊害です。主人公は基本的に話の核となる存在ですから、出番も他の主要キャラやサブキャラより当然多くなります。
そして、作者による愛を一心に受ける主人公は待遇も素晴らしいものです。金や名誉、強さ。人であれば優しい隣人、親しき友人、頼れる戦友、愛しき恋人等々、誰もが一度は夢見る素晴らしきモノの数々です。
しかし、別にこういったモノが悪いとは思いません。
私自身、考えはコロコロ変わる人間ですが、やはり魅力的なモノに惹かれて物語を読むのも間違いではありません。
問題はそこではないのです。作者の頭の中の主人公図と我々読者の主人公図が異なっている点にあります。何度も繰り返しになりますが、認識の違いを理解しなければなりません。
作者の頭の中にあるキャラクター像を書き出したのが、我々が理解しているキャラクターであり、この時点である程度の認識の差異があります。キャラの説明はテンポよくしなければ物語によっては致命的なつまらなさになる場合があります。しかし、それがなければ認識の乖離は極端なモノとなります。
そして、連載が始まるわけですが、ここからが作者の力の見せ所です。いかに読者とのキャラに対する認識を自分と合わせることが出来るか。
それが出来なかった場合、例えばではありますが極端な話
「主人公は(元勇者だから)強い」
「ふざけんな!主人公強すぎ」
…無茶苦茶極端ですけどね笑
結局キャラに対する認識は意図的な部分を除き出来るだけ統一しなければなりません。
小説の難しい所はやはり基本的に全ての情報の伝達は文章という部分になる所、もちろん良い点としても挙げられますが…
文章によって、いかに読者の頭に鮮明なキャラが浮かぶせるか。難しい事です。けれども、それをこなす作者、物語を私達読者は魅力的に感じます。
結論として
1 キャラ認識を作者、読者共に近くする
2 必ずキャラ認識は作者の頭の中だけで終わらせない
3 そういったキャラが話す言葉が重要(ライブ感やその時の現状、心情が読める台詞)
こんなとこですかね…難しい。まぁ、出来る人はすくないんじゃないでしょうか。(当然のように私は出来ませんし)
ただ、キャラ認識の話だけでも頭の隅っこに入れといてくれれば嬉しいですね。恐らく課題になる方はいるでしょうし。
んな事出来たら苦労せんわ!って言われそうですけどね笑