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Lv.3 聖域の愛し子

 日滝事件の翌日の昼休み、日滝が教室にやってきた。彼が教室の入り口で不安そうにきょろきょろしていると、クラスメイトの熊谷くんが駆け寄っていって話をし始めた。クラスメイトは何でもないようにしながらも、明らかに入り口を気にしている。そうか、確か日滝は目立つ美形、すなわち親衛隊持ちの生徒であるからか。

 何にせよ、僕には関係のないことだ。今日はどこに隠れて昼食を食べようかと思っていると、熊谷くんが大きめの声で僕を呼んだ。入り口を見ると、僕と目が合った日滝は瞠目した。僕は歩いていって熊谷くんを見上げる。同級生は全員僕よりも背が高いが、熊谷くんはクラス一の長身だ。


「呼んだ?」

「日滝様が用があるってよ」

「そうなの?」


 首を傾げて日滝に尋ねると、「あ、う、うん!」とどもりながらも返事があった。熊谷くんは「じゃあ、失礼します」と一礼して席に戻った。彼は日滝に敬称を付けて呼んでいたから、日滝の親衛隊に入っているのだろうか。意外と身近にいるものだ。


「どうしたの?」


 また来に怒られるだろうな、と僕は苦笑した。


「あ、ううん。大したことじゃないんだ。あの、お礼を言いに……」


 最後の方はとても小さな声だった。こんな人の多いところで暴行やら強姦やらの話はしたくないのだろう。自分が被害者であるからなおさら。


「ああ、大丈夫だよ。しつこいようだけど、君が無事でよかった」


 僕も最後の方は小声で言った。発言には気を付けないと、勘の鋭い人であればすぐに推測できてしまうだろう。もし僕が熊谷くんのような大男であれば、それだけで分かる人には分かるかもしれない。僕が日滝以上に小柄だから、日滝が転校してきたばかりの僕を訪ねてきても、すぐに暴力のイメージとは結びつかないだけであって。

 お礼の言葉は受け取ったが、なぜか日滝は去ろうとせずに俯き気味にもじもじしている。僕が「じゃあ」と踵を返すと、日滝は焦ったように僕のカーディガンの裾を掴んだ。


「あ、ま、待って。あの――」


 今にも泣きだしそうなほど緊張した面持ちで口を開いた日滝。しかし唐突にビクッと身を竦ませ、カーディガンからゆっくりと手が離れていく。視線は僕ではなく、僕の背後の教室にくぎ付けになっている。視線の先を追って振り返ると、頬杖をついて僕たちを見やる来がいた。僕に気付いたのか、来は目を逸らして正面を向く。


「知り合い?」

「……うん」


 眉を八の字にして目を伏せる日滝。あまりいい意味の知り合いではなさそうな様子。どちらも優しいのに不思議だ。来の正義感が合わなかったのだろうか。来もそこまで押し付ける人ではないと思うのだが。しかし、タイプの違う来と日滝が知り合いということは、親衛隊持ち同士は意外と縁があるのかもしれない。


「あの、学食でお昼一緒に食べない? 何か奢らせてほしいな……」

「学食? うーん……」


 僕は少しだけ悩んだ。学食の使い方というのか、注文する流れなども知っていたいが、誘っているのは親衛隊持ちの日滝。やめよう。


「気持ちだけもらっておくよ。僕はこう、貧弱だから。親衛隊がある人にはあまり近付かないようにしておこうと思って」

「大丈夫! みんなには説明しておくから!」


 日滝は僕の手を両手で握って前のめりに言った。彼はパーソナルスペースが狭いのだろうか。僕は半歩後ずさりした。


「そういう制度もあるの?」

「えっと、僕の親衛隊は優しい人が多くて……」

「ふうん。じゃあいいのかな?」


 来がいいと言えば安全なのだろうが、教室では喋りかけてこない来だ。僕から声をかければ返事はしてくれるだろうが、あまり迷惑はかけたくない。「本当にいいの?」と確認すれば、日滝は満面の笑みで「うん!」と頷いた。ならばと僕は財布と携帯を持って教室を出る。しかしそのとき視線が交わった来の、物言いたげな視線に、失敗したかもしれないと思った。


「行こう。あっちだよ」


 だがにこにこと嬉しそうな日滝に、「やっぱり無理」なんてことは言えなかった。来にはあとで怒られよう。呆れて怒ってもくれない可能性はあるが。


「赤司くんはどうしてスカートを履いてるの? あ、とっても似合ってるんだけどね!」

「ありがとう。姉がね、くれたから使ってるんだ」


 必要なものはすべて僕にあげると書かれてあった手紙を思い出す。僕にはこの服が必要だった。だからこの学園まで持ってきたのだ。


「そう、なんだ。風紀委員には何か言われないの?」

「テスト明けに呼び出すんだって」


 学食は中庭を挟んで向こう側にあり、少し遠かったけれど、食後のいい腹ごなしになるのではないだろうか。


「奥の方がいいかも」


 そう言って日滝に案内されたのは、学食の奥の、半分柱に隠れているような席だった。四人掛けの机に向かい合って座る。注文は備え付けのタッチパネルでおこなうらしい。会計はクレジットカードの機能も備えている学生証か現金。現金なら学食の入り口のレジで会計をおこなうが、学生証ならこのタッチパネルの機械で支払えるそうだ。


「赤司くん、お先にどうぞ!」

「ありがとう。少なめのものって何があるか教えてくれる?」

「うん!」


 日滝は慣れた手つきでパネルを操作して、「このあたりのもの、どうかな?」と示してくれた。外食は久しぶりだと少し浮かれた気持ちで画面を見て、僕は閉口した。ちょっと、どころではなく、高い。いや、彼らにとっては普通なのだろうか? 恐らく一般的な飲食店の三倍弱の価格。


「どうしたの? ……あんまり好きなのないかな?」

「いや、逆だよ。全部おいしそうだね」

「うん。本当に全部美味しいんだよ」


 僕はそのページの中の一番安いものを選んだ。焼きサバと煮物、味噌汁、漬物、白米の定食。日滝も同じページにあった、少なめの和食を注文した。十分ほどでウェイターさんが料理を運んできてくれる。


「ありがとうございます」


 日滝と同時にお礼を言った。ウェイターさんは僕の姿に僅かばかり目を大きくさせたが、微笑を浮かべ一礼をして去っていった。さすが、高いお店の店員さんはスマートでかっこいい。学食とはいえども。


「……おいしい」


 味噌汁を一口飲んで、自然に言葉がこぼれた。日滝は自分が褒められたかのように、嬉しそうに笑った。


「よかった」

「うん、みっちゃんの家のごはんと同じくらいおいしいなぁ。一年に数回しか食べられない味をしてる」

「みっちゃん?」

「ん、たまに会いに来てくれる知り合い」


 風紀委員会室で、この学園にいることが判明した僕の知り合い。満月と書いてみつきと読む、とても綺麗な名前をしている。みっちゃんは優しくてかっこいい上に、とても頭がよくて努力家。少し甘えたな部分もある。とりあえず顔がいいので親衛隊はあるだろう。僕の弟も同様に。

 のんびりと箸を進めていると、何だか気になるところを見つけた。学食には二階席がある。壁に面した一部分だけで、あまり大勢は座れなさそうな範囲だが。生徒たちの視線が時折そちらを向くのだ。明らかに注目を浴びているにも関わらず、二階席は空きが目立つ。


「ねえ日滝、あそこは何?」

「え?」


 ぽかんとした表情になった日滝。艶々とした唇が可愛い。


「あの二階。何でみんなあそこに行かないの?」

「あ、え、えっとね。あそこは生徒会と風紀委員会の皆さんと、風紀委員会から許可をもらった生徒しか使ったら駄目なんだ」

「どうして?」

「えっと、静かにごはんが食べられるように、かな?」

「日滝は許可をもらってるんだ?」


 困ったように説明するものだから、僕は察した。


「僕なんて、顔が少し女の子っぽいことしか取柄なんてないのにね……」


 まったく同意できないが、日滝は悲しそうに俯いた。日滝は顔が美しいのはもちろんのこと、勇気があり、こうやってお礼に来てくれる礼節も備えている。ついでに言えば謎の積極性も。何をそんなに卑下することがあろうか。


「もう少し楽観的でもいいと思うよ。昨日会ったばかりの僕でも、君の長所、十個くらいは思いつく」

「え……」


 日滝は伺い見るように、困惑の視線を向けた。信じられないようだ。とことん自分を過小評価していると思う。僕は指を一つずつ立てながら、日滝の長所を上げた。


「ほら、まず、顔が綺麗。勇気がある。礼儀もある。面倒見がいい。優しい。人望がある。謙虚。素直。諦めない。立ち直りが早い。……どうかな?」

「う……」


 恥ずかしそうに頬を染める日滝に、近くの人が席を立って前かがみの姿勢で去っていった。僕は少し引いてしまったが、まあ日滝なら可愛さのあまりそうなっても仕方がないか。


「わ、分からないよ。僕は人望なんて……!」

「日滝の親衛隊はボディーガードみたいな人が多いって聞いたよ。日滝が優しいから、傷ついてほしくないんだ。人望があるね」

「あ、諦めもするよ!?」

「時と場合にもよると思うけど。僕が見たとき、君は諦めてなかった」


 体格の大きな男二人に抑えられても、日滝は最後まで抵抗していた。ショックだっただろうに、僕を守るためにすぐ立ち直った。日滝の心は聖火のようだ。風にあおられれば揺らぐけれど、いつも美しく燃え続けている。みんなその価値を分かっているから、消えないように守ろうとする。


「赤司くんは、人をよく見てるね。…………あ、ちが、あ……当たってるって言いたいわけじゃないよ!」

「うん」


 よく赤くなるところもきっと日滝のいいところだ。見つめ続けるのも酷かと思い、何となく周囲を見回してみる。


「…………?」


 一階の席に、妙に人が集まっているところがあった。背中を逸らして柱の影から顔を出し、目を細めてその中心を見定めようとする。僕の視線の先に気付いた日滝は、「希海くんがいるね」と呟いた。ほどなくして僕もその人物を見つける。

 そこにいたのは、ぼさぼさの黒髪で古めかしい眼鏡をかけた、あまり粋とは言えない生徒。しかし彼の周囲には極上に顔のいい人物が集まっている。周囲のエキストラは中心にいる彼ではなく、その周りの生徒たちが目当てで集まっているのだろう。


「希海……」


 僕の瞳は美形たちを素通りし、彼に釘付けとなった。見知らぬ顔のはずなのに、なぜか心がざわついた。ずっと見ていたいけれど、苦しくてまともに見ていられない。まるで太陽のようだ。これはおかしい、絶対に何か理由があるはずだと、僕は日滝に問いかけた。


「日滝の友達?」

「うん、そうだよ。赤司くんと同じ転校生なんだ。一月に来たんだけど、明るくて面白くてね。すぐ人気者になったんだ」

「綺麗な顔をしてる?」

「え……あ、うん。僕はそう思う、かな」


 日滝は口ごもりながらそう言った。何となく、何となくこれじゃないかという推測を頭が弾き出した。早く次の質問をと理性が急かすが、感情がどうしても躊躇っている。ため息をつくと、日滝が眉尻を下げて首を傾げた。


「もしかして、気分が悪かったりする……?」

「いや……。あの、希海くんの苗字って、何かな?」


 力なく微笑み、日滝の答えを待つ。


「神谷だよ。神谷希海くん」

「…………はは、そっか」


 目元に手を当て、宙を仰ぐ。力なく背もたれに体を預けた。自らの運のなさには心底脱帽する。もはや笑うしかない。こんな場所で同級生となるなんて。


「あ、赤司くん?」


 様子のおかしい僕に混乱している日滝。僕は笑うのをやめて上半身を前に出すと、真剣な顔で日滝に頼んだ。


「お願いがあるんだ。彼には僕のことを言わないでほしい。名前もクラスも、何もかも」

「え……」

「お互いに傷付くんだ。お願い」

「赤司くん……」


 日滝は困ったように眉を八の字にしている。わけが分からないだろう。僕もわけが分からない。彼は――神谷希海は何も覚えていないかもしれない。けれど少なくとも僕は覚えているし、ふとしたことで彼を傷つけるかもしれない。

 彼は神の愛を受け、すべての人から愛されるために生まれてきた子だ。ただ、産まれ落ちる場所を間違えて出鼻を挫かれた。幸せになることが彼の使命なのだから、僕たちは関りを持たないべきだ。


「分かった、絶対に言わない!」


 日滝は口を引き結び、強い意志を宿した瞳に僕を映した。情けないことに、僕は弱った顔をしていた。これでは駄目だと目をつむり、笑みを浮かべてもう一度開いた。僕はどんなときも穏やかに立っていなければならないのだ。

 食材と料理人に申し訳なく思いながらも、これまでにないような速度で料理を平らげ、僕は席を立つ。


「ありがとう。ごめん、先に戻るね。これはどこに返せばいいのかな?」

「そのまま置いてて大丈夫だよ!」

「そうなんだ。じゃあ、ありがとうね。ごちそうさまでした」

「あっ、あの……!」


 足早に去ろうとした僕を、日滝の声が引きとめた。日滝は携帯を両手で握り、縋るような目で僕を見ていた。


「あの……カーディガンは買って返すね。サイズはSでいいかな?」

「気にしなくていいけど……日滝の気が済まないなら、ありがたくもらっておこうかな。Sで大丈夫だよ」

「うん……」


 ちゃんと返事をしたつもりだが、日滝は不安そうな面持ちで目を伏せた。携帯を握る手に力が込められたように思う。もしかすると、LINEか何かのアドレスを交換したいと思っているのかもしれない。それはどう考えても友好が目的だろうから、僕としては少し困ってしまう。


「じゃあ、またね」


 僕は気付かないふりをして、今度は呼び止められないように小走りでその場を後にした。


この小説は今後、かなりきわどい描写が含まれることが予想されます……。

そこで突然ですが、ムーンライトノベルズさんへ移動することにいたしました。

初めのうちに正確な判断ができず、申し訳ありません。

もしここまでお読みいただいて続きが気になる方がいらっしゃいましたら、タイトルや話の内容に変更はありませんので、今後ともよろしくお願いいたします。


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