Lv.1-4 人間の条件
「お前は転校生だな?」
その質問に僕は首を縦に振った。僕であることは知らなかったが、転校生がいることは知っていたようだ。
「二年五組の赤司です」
何だか少し悔しいので、せめて笑ってやろうじゃないか。僕が謎の意地で笑みを浮かべると、長机の方から「委員長、出したぜ」と声がかけられた。
「日滝、向こうで犯人の顔を探してこい」
「え、でも……」
「帰れってわけじゃないんだ。こいつを逃がすわけでもない」
「逃げませんけどね」
というよりも、多分、逃げられない。足の長さが圧倒的に違う。単純に身長差約三十センチを二で割っても十五センチだ。足の長さが物差し一個分は違うなんて悲しい。ついでに言えば腕の長さもかなり違う。
日滝は心配そうな目をしながらも、ゆっくりと向こうに移動した。日滝は不思議なことに僕のことを心配してくれているようだ。僕としては、あれだけ可愛い容姿と物静かな性格をした彼の方が、危険に晒される度合いは高いと感じるのだが。
改めてといったかんじで委員長は僕と向かい合った。
「どうやって日滝を助けた?」
「消火器で何とかなりました」
カーディガンを燃やしたあたりはさすがに怒られそうなので黙っておく。
思うに、消火器型の防犯ツールは有用ではないだろうか。例えば家に不審者が入ってきた場合。包丁で立ち向かっては、奪われた時の危険度が増す。だからといって箒やアルコールスプレーでは心もとない。まあ消火器型なんて大げさなものでなくとも、普通の催涙スプレーで事足りる気もするが、消火器だと火事にも対応できて一石二鳥。
「……そうか、よくやったな。消火器を一つ発注しておこう」
「ありがとうございます」
「だがもうするな。次も上手くいくとは限らない」
諌める色を含んだ言動。僕が返事をせずに微笑んだまま委員長を見つめていると、彼ははあっとため息をついた。
「誰かに聞いたかもしれないが、この学園では男が男を強姦することがある」
「はい」
「よって、特に襲われやすそうな生徒には風紀委員の護衛を付ける場合がある。騎士制度なんて馬鹿な名前がついているが……。負担が重くならないよう交代制でな」
そこまで聞けばあとの流れは推測できる。
「いや、大丈夫です」
「大丈夫じゃない。お前は日滝よりも対象になりうる」
「もしそうだとしても大丈夫です。誰かの手をわずらわせるほどではないです」
委員長の底まで見透かすような双眼が飛んでくる。戦いを放棄して早々に目を逸らすと、机の上のカップが視界に入った。せっかく淹れてもらったのだからとカップを手に取る。
「親衛隊というものがある。特定の生徒に好意を持つ者たちの集まりだ。そいつらはその特定の生徒に近付く者に、制裁という名の暴行を加えることもある」
「そうですか」
「日滝にも親衛隊はあるが、幸いなことにボディーガード的な地位に立っている。日滝があまりに小動物的で親心を持ってしまうのかもしれないな」
なるほど。分からないこともない。男同士で何をといったかんじはあるが。
「それに日滝は高嶺の花といったように、目の保養に留まることも多い。だが……」
「僕は平凡な顔で手ごろな感じがするし、日滝より小さくて弱そう。だから親衛隊もできないと同時に狙われやすい」
「頭は回るようだな」
褒められた。素直に嬉しいのでお礼を言う。
自分で言うのもなんだが、僕は勉強こそできないものの、頭の回転は悪くないと思っている。ピアジェの発達心理学でいうのなら、具体的操作期から形式的操作期への移行もきっと早かった。それを他人が分かってくれるのは嬉しい。ただ、その中途半端な賢さが身を滅ぼす原因でもあるのだから笑えない。
「お心づかいは感謝します。確かに生徒の停学や退学を事前に防ぐことは大切かもしれませんね」
「加害者の考慮はおまけだ。被害者を減らすことが第一だろう」
委員長は呆れたように言うが、何に呆れているのだろう。よく分からない。
「じゃあ、よくある折衷説でいきましょう。委員長と僕の要望の中間を取るんです」
「言ってみろ」
「僕が暴行の被害者になったのが分かったら、その措置をお願いします」
「被害者になってからじゃ遅い」
「それくらいがちょうどいいんです。無理矢理その騎士とやらをつけるなら、僕は騎士から全力で逃げます」
護衛をする騎士といえども一生徒。授業には出ないといけないはずだ。もし昼休みのたびに教室に来るのだとしても、僕がチャイムが鳴った瞬間教室から逃げれば追いつけないだろう。委員長は考えるように少し黙った。よし、もう一押しだ。僕は室内を見回してみる。日滝がタブレットを相手にうんうん言っているのが見えた。
「もう五時間目なのに、風紀委員が三人もいる。昼休みや放課後はもっといるんじゃないですか? よく分からないですけど、風紀委員会は忙しいんだ」
「最近はな」
「じゃあ僕なんかに人員を割くのも本当は惜しくないですか?」
「そんなことはない」
予想に反して委員長は即答した。
「理由はあるかもしれないが、強姦はする奴が確実に悪い。非のないお前たちが傷付くのなら、俺の睡眠時間を削った方がましだ」
まっすぐすぎる言葉に、カッと体が熱くなるのを感じた。不快な変化に眉を寄せる。熱はすぐに収まったので、僕は小さく息を吐く。
しかし、それにしても、遺伝とは怖いものだ。絶対に委員長と来は同類だ。命名するなら「正義の血族」。この確固たる正義の前ではちょっとした悪巧みや誘惑は軽くあしらわれる。もしかしたら来も昔はこんな感じだったのかもしれないと思うと、少し悲しい。僕の勝手な憶測にすぎないので、来が昔から今と同じ様子であるなら恥ずかしいが。
「まあいいだろう。委員たちにお前をよく見ておくよう伝えよう。どうせすぐに狙われるからな。それを未遂で抑えて、そのまま姫行きだ」
「姫? ああ、騎士がいる人のことですか。うわぁ、死ぬほど嫌だなぁ、その肩書き」
「なら危機管理を怠らないことだな」
委員長は穏やかに笑った。それを見て、僕はこの人を来と同じ「とてもいい人」枠に入れた。ちなみに日滝もそこに入っている。僕の「とてもいい人」の基準は、見知らぬ人のために自分を沢山犠牲にすることができるかである。「沢山」は直感的な判断なので、やはり直感的な基準だが。
そういう人に、僕はあまり近づかないようにしている。なぜならそういう人は、僕の不幸に巻き込まれやすく、巻き込まれても逃げずに僕をかばってくれることが多いから。
委員長と僕の話が一段落ついたのを見計らってか、長机の三人がこちらにやってきた。
「委員長。日滝思い出せねぇって」
「ごめんなさい……」
しょんぼりと小さくなっている日滝。日滝を襲った二人は、こうやって風紀委員に相談されるのを恐れてか、ネクタイを外していた。そうなると候補はおよそ四百五十人。実際に見るのと写真とでは顔も違って見えるかもしれない。
「春休み中に外見を変えるやつも多いからな。残念だが、分からないなら仕方がない」
委員長に座るよう促され、日滝はソファに着座した。一年生の委員はソファに後ろに立ち、三年生の委員はソファの肘掛けに腰を下ろしてタブレットを弄っている。僕は立ち上がって三年生の委員に近付いた。
「僕も見ていいですか?」
「ん? ああ。覚えてるのか?」
「少しだけなら」
渡されたタブレットには、卒業アルバムのように生徒の写真と名前がずらっと並んでいた。画面を動かして次々と生徒の顔を見ていく。四百五十人もいるなら見逃すかもしれないなぁと思いつつ指を動かしていたが、見覚えのある顔と名前に動きを止めてしまった。
これは、まさか……というより、どこからどう見ても彼である。なぜここに。
そんな僕に委員長が声をかける。
「見つけたのか?」
「いや、人違いです」
そう返事をして犯人捜しを続行する。他人の空似と言うには顔も名前も一致している。僕の知り合いがこの学園にいるのか。昔から付き人らしき人を従えているし、年に一度お邪魔する家も豪邸だったから裕福なのは知っていたが、なるほど。普通の土日と比べて長期休暇中の出現率が妙に高いのも全寮制だったからか。まあしかし、同じ学校にいるのなら、意図せずとも縁があればそのうち会うだろう。
「あ、いました」
「えっ!」
「どれ?」
「この人ですね。堀井くん」
三年生の委員がメモを取る。日滝が慌てたように横から覗き込み、首を傾げた。委員長も立ち上がったので、ソファの端で集まるというおかしな集合を果たした。
「え、でも……髪が黒いし、少し地味だよ?」
「そうだね。だけど多分この人だよ。二重で三白眼で、右目の下に泣きぼくろがあって。身長は百七十くらいだったかな?」
写真と先ほど見た生徒とでは、確かに印象が違った。真顔で写っているその生徒は、黒髪でシャツのボタンも上までしっかり留めた、少し目つきの悪い普通の生徒。しかし実際の彼は、髪は明るい茶色に染めて、目には青っぽいカラーコンタクトを入れていた。制服も結構着崩していたか。
「もう一人はこの人かな」
同じように、記憶とは少し印象の違う井村くんの写真を指さした。日滝が「あ、この人は言われてみれば……」と呟く。
「学生証の事前受け取りをやってたのかねぇ」
「多分そうでしょうね」
一年生の委員が説明してくれたが、普通、学生証は四月の上旬に顔写真を撮り、下旬に交付されるという。しかし四月の初めから身分証明書として使いたいという生徒には、三月中に顔写真を撮って、四月一日に学生証を寮の荷物預り所や指定の住所に届けるようにするのだという。そうすると、高等部デビューする前の写真が貼られた学生証と、デビューした後の本人とでは差が出てくることもある。
「春休み中に写真撮るの面倒だからやる人少ないし、こうやって高等部デビューする人もそんなにいないんですけど」
「何にせよでかした。現行犯ではないが、何とかなるだろう」
委員長が僕の頭を雑に撫でた。きっと身長差が三十センチもあると、手の位置的に撫でたくもなるのだろう。それはさておき、現行犯じゃないと困るというのは、証拠がないと反論されることだろうか。目撃証言でよければ提供できるのだが。
「堀井くんは可愛いパンツ履いてましたよ」
「……パンツ?」
「黄緑色で、お尻の方に目と口が描いてありました。何のキャラクターだっけ。ディズニーで一つ目の丸いお化け」
「マイクじゃね?」
「多分。井村くんは黒とピンクのボーダーで、紐の部分に白い文字があって。DIE……ディーゼル?」
「よし」
委員長はデスクからボイスレコーダーを取ってきた。そして更にタブレットを操作してボイスレコーダーのアプリを開いた。
「録音するからもう一度言ってくれ」
「分かりました」
こうして堀井くんと井村くん、略して堀井村のパンツについての証言が、風紀委員会のボイスレコーダーとタブレットに録音された。自分で言っておいてなんだが、ちょっと可哀想になった。
「捕まえてズボンを下ろす計画か。燃えるね」
三年生の委員がにやりと笑った。
「二人とも二組のようですね。今、授業に出ているか確認してきます」
「頼む。奴らがさぼっていそうなところも探すか。寮に戻っている可能性もあるな」
三人は風紀委員として仕事をし始めた。ちらりと日滝を見ると、緊張しているような興奮しているような、そういった表情で三人を見つめている。いや、主に委員長を見ているか。何だろう。
僕はソファの隅で膝を抱えて座り、目を閉じた。こっそり帰ってしまおうかとも思ったが、公欠にはならずとも委員長の印鑑が押された欠席届のようなメモなどを貰いたいし、日滝が着ているジャージも返してほしい。そのためにはしばらくここで待っていなくてはならないと判断したのだ。
真っ暗な世界の中、先程の言葉が鮮明に蘇る。
『理由はあるかもしれないが、強姦はする奴が確実に悪い。非のないお前たちが傷付くのなら――……』
膝に額を載せて深く息を吸い、吐いた。
僕もそう思うよ。僕の価値観に照らし合わせれば、あなたはとてもいい人だ。世界中の人間が、どんなときもあなたのように相手の痛みを理解しようと努力するのなら、きっと誰も心を病むことはない。それこそが人間の条件だ。あなたこそが人間だ。人が他人の痛みに目を向けず、自分本位な言動を繰り返すのは、人という生物が持つ野生に振り回されているから。そんなのは人間じゃない。そんなものはただの畜生だ。
「そんなのは、人間じゃないよ……」
膝を抱える腕に力を込めて、僕は委員長たちが仕事を終えるのをひたすら待った。