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Lv.1 転校初日

 新天地であるというのに、僕の体内目覚まし時計はいつも通りの時間に鳴った。いつも通りに起きたはいいものの、いつもやるべきことはここにはなかったので、身支度を整えてからぼーっと花のモチーフを編んでいると来が起きてきた。来は無言で僕の隣に座ると、テレビをつけて目を閉じた。とりあえず僕はグラスに氷とお茶を入れて、彼の前の机に置く。それを少し飲んでから、来はまた目をつむって腕を組んだ。来がようやく声を発したのは、それから約十分後のことだった。


「……何してんだ、お前」

「暇だったから。おはよ」

「…………はよ」


 来は気だるげに立ち上がって洗面所に向かった。来は起きてからしばらくは動けないタイプなのかもしれない。それでも六時半には自力で起きれるあたり、目覚めは悪くないのだろうが。

 顔を洗ったり制服を着たりして身支度を整えた来は、七時過ぎに声をかけてきた。


「学食行くけど。お前も行くなら場所教える」

「もう食べたからいいや。いってらっしゃい」


 笑って言うと、来はやや驚いた顔をしたが、「そうか」とだけ残して部屋を出ていった。テレビに目をやると、レポーターが流行りのカフェをいくつか取材している。どこもおいしそうだ。特に最初のお店の、ブルーベリーのムースがいい。表面には生クリームとハート型の赤いチョコが乗っている。ミキサーにかけるのであれば、冷凍の安いブルーベリーでも問題ない。紗良はベリーが好きなので、作ってあげることができたらきっと喜ぶ。

 ぽんぽんと頭の上にレシピが浮かぶようだ。ムースもいいけれど、スコップケーキも簡単でいい。生クリーム、クリームチーズ、ブルーベリーソース。スポンジ生地は市販のカステラでも使えば失敗しないだろう。それから、飾りに小さなミントを一つと、銀色のアラザンがあるといい。

 そこまで考えて、僕はテレビを消した。ついでに部屋の照明も。想像はこれくらいにしておこう。綺麗なケーキもおしゃれなラテも、全寮制の男子校では虚しいだけだ。

 僕は洗面所に向かい、鏡に自分の顔を映した。昨日と同じ、まっすぐな黒髪にカチューシャと花飾り。カチューシャと花飾りを外す。代わりに、編み込みとハーフアップを組み合わせて結ぶ。その部分を隠すように花飾りを着けた。今日はこれで行こう。

 リビングで編み物を再開し、一つ目が完成した八時頃、来が戻ってきた。洗面所で歯を磨いてソファに座る。


「学校行かないの?」

「まだ時間あるだろ」

「来は学校が嫌いなんだね」

「別に」


 来は自室に行ってしまった。僕の言葉が気に食わなかったのかと思ったが、本を手にまた出てきたので、そういうわけではなかったようだ。

 来のようなイケメンはどんな本を読んでいるのだろうと見ると、フランス語の参考書のようだった。さすが、イケメンは次元が違う。僕にはフランス語を勉強する理由すらも皆目見当つかない。


「……何だよ」


 じっと見すぎたのか、来は眉を顰めて本を閉じた。


「フランス語を覚えてどうするの?」

「いつか仕事で使うんだよ」

「ふうん。勤勉だね」

「うるせえ。お前こそ何でそんなん作ってんだ」

「ヘアゴムとかピンに付けると可愛いんだよ。ニット帽でもいいけど、今は季節が違うから」


 先程出来上がった黄色の花を自分の頭に近付けて、こういう感じだと伝える。花のモチーフは可愛いし、毛糸とかぎ針だけで作れる。紗良だって気に入ってくれた。


「お前、特待生か?」


 渋面のまま来は尋ねた。有峰学園は名門の私立男子校で、そこに通う生徒はお金持ちのお坊ちゃんが大半だ。一般家庭出身の生徒は奨学金を貰って特待生として入学していることが多い。来は僕がお金に困って内職をしていると思ったのだろう。確かに時々売ることもあるが、お金がほしいならアルバイトをした方が早い。家庭内手工業が滅びるのも納得だと思うくらい手間がかかるのだ。暇つぶしにはちょうどいいけれど。


「そんなことはないよ。そんなに頭はよくないし、お金がないなら中卒でいい。弟もいるからね」


 僕のいる家はそれなりに裕福で、この学園の私立大学並みに学費や寮費や、食費もすべてお世話になっている。収入のすべては父の稼ぎだが、父は今海外に単身赴任中だ。病気にでもかかったらと思うとハラハラする。僕はともかく、弟は頭がいいのだから大学まで出るべきだ。


「お前が兄なのか」

「そうだよ。僕の弟は来よりかっこいいよ。物腰が柔らかだし、優しいし、自分の意見をちゃんと言えるんだ」

「そうかよ」


 弟はサッカーが好きで、部活にも入っていた。ユニフォームを着てボールを追う姿を思い出し、自然と笑みが浮かぶ。しばらく会っていないけれど、元気だろうか。中学でサッカー部を引退してから太った気がすると言っていたが、僕にはそうは見えなかった。

 呆れたような顔で来は見ていたが、何も言われはしなかった。

 八時十五分になると、来は立ち上がって「そろそろ行くぞ」と声をかけてきた。僕はもう準備ができているので、部屋から鞄を取ってきて玄関に向かう。その途中で待ったをかけられた。勿論来だ。


「お前、その格好で行く気か……?」

「うん」

「制服はどうした」

「サイズがなくてさ。特注はしたけど時間かかって」

「マジかよ……」


 来は疲れたように手で顔を覆って俯いた。僕も自分の体を見る。上は学園のシャツにベージュのカーディガン。下はグレーのスカート。勿論有峰ではないが、スカートは前の学校のものだし、来のスラックスと似た色なので、上下揃った制服みたいだ。ちなみに来のスラックスは黒に近いグレー。昨日は休日だったので履かなかったが、学校で生足だと福祉に反するかもしれないので、黒いタイツも履いている。ちなみに特注はお金がかかるのでスラックスだけにしておき、大きいがシャツはSサイズで我慢することにした。スラックスも最大限履こうとは思っていないが。


「変?」

「いや、普通に女みたいだ。だからまずいんだろ」

「怒られる?」

「それもある。それ以上に、言っただろ。犬より頭の悪い馬鹿に襲われる」

「はは、そしたら獣姦だね」


 茶化すと来に睨みつけられた。来は僕の弟と違って柔らかさがない。硬派というか、大人びているというか、少し威圧感があるので睨まれると中々怖い。叱責が飛んできそうな感じがする。


「いや、ごめん。正直どうでもいいんだよ。むしろちょうどいい」

「はあ?」

「上手く言えないや。行こう」


 靴を履いて来に向き直る。来はため息をつくと、自分も靴を履いて狭い玄関で僕とすれ違った――と思いきや、ふっとこちらを向くと、僕の顔の横に手を突いてきた。段々と顔が近づいてくる。鼻がくっつきそうな距離の先で、強い意志を感じる瞳の中に僕だけが写り込んでいる。


「こうやって、しなくてもいい苦労をする羽目になる」

「すごいね、来くらいのイケメンだとそこまで嫌じゃないね。嫌だけど」


 何も言わずにじっと見下ろす来。この学園の風潮を嫌悪しながらも、忠告のためとはいえそれらしいことをできるあたり、来もここの生徒だなぁと思う。そして面倒見がいい。怒られそうなので言わないが。

 来はぱっと手を放し、身を引いて、何事もなかったかのようにドアを開けた。先に出て、ドアを押さえて僕が出るのを待っている。無表情に見えるが、多分少し怒っている。面倒見が良すぎて、自分の言うことを聞かない人には腹が立つのかもしれない。来が言っているのは間違いなく正論だから、正義感が強いのだろう。きっと委員長タイプだ。


「ごめんね」


 僕と同室になってしまって申し訳ない。きっと来の心を乱している。だけどそれでも、僕にはこのスカートが必要なのだ。だから謝ることしかできない。僕のことは気にせず、どうか心安らかに日々を過ごしてほしいものだ。

 ちょうどこの時間帯は校舎へ向かう生徒が多いのだろう。好奇心で満ちた目が数多く降ってくる。中には「えっ!?」と困惑の声を上げる人もいる。来と距離を取るために歩く速度を落とすと、来も合わせるかのようにゆっくり歩いた。立ち止まると、来は数歩先で立ち止まって振り返る。僕が駆け寄って隣に戻ると、何も言わずに来はまた歩き出す。


「知り合いだと思われたくないよね?」


 僕は前を向いたまま小声で尋ねた。来は、親衛隊がいるから自分にはあまり近づくなと言ったし、自分の忠告を聞かない僕を好ましく思っていないだろう。来もこちらを見ずに口を開いた。


「今日はいい。少しは抑止力になるだろ」

「よく分からないけど、来が子犬拾っちゃう系ってことは分かった」

「黙れ」


 十分ほど歩いて、ようやく校舎にたどり着いた。往復だと二十分。いい運動になるが、夏場はしんどいだろう。第一棟は第二・第三棟と繋がっていて、一階が昇降口になっている。二階以上は職員室や事務室、校長室のあるところなので、昇降口以外に生徒はあまりいないと来が説明した。


「担任の名前は分かるな?」

「うん。木崎先生」


 職員室の扉を開けて、来は入室の文句を言った。許可が下りる。


「こっち見てる、白いシャツの若いやつだ」

「分かった。ここまでありがとう」


 来にお礼を言って、木崎先生の元へ歩いていく。話をしていた先生や何か作業をしていた先生たちは、口や手を止めて僕を見た。木崎先生も固まっている。先生は柔和な顔立ちの、二十代後半と思しき人だった。何の先生だろう。僕は先生という職業に就く人をとても尊敬する。公立の先生なんて、宝塚以上の倍率を突破しないとなれないじゃないか。この学園のような私立だとコネも大きいのかもしれないけれど。


「おはようございます。今日からお世話になる赤司です」

「あ、ああ、初めまして。赤司君でいいんでしょうか?」

「はい」


 木崎先生は僕のスカートを見つめ、困ったように頬をかいた。


「そのスカートは……」

「間に合わなくって。怒られますか?」

「うーん、そうですね……。教師はともかく、風紀委員の子たちが何か言ってくるかもしれませんね。ここは生徒の自主性を重んじる校風ですから」

「頑張ります」


 実のところ、風紀委員会の人に捕まったとしても、厳重注意で終わるのではないかと期待している。きっとこの学園の敷地内のどこにも、僕に合ったサイズの制服も体操着もないだろう。男子高校生の平均的な身長は百七十センチだが、僕は百五十四センチ。おまけにガリガリ。だから僕に合ったサイズの予備の制服を置いているはずはなく、強制的に着替えさせることもできず、僕を部屋に帰して着替えさせるしかない。中等部の制服は若干デザインが違うことだし。


「赤司君の同室者は来君でしたね。どうですか? 彼はしっかりしていますが、あまり人付き合いを好みませんから」


 木崎先生は少し聞きづらそうに言った。


「来はなんか、関わりたくないけど放っておけないって、生きづらそうです。本人も大変そうに見えます」


 人間嫌いではなさそうなので、恐らくは元々世話焼きで、何か嫌な経験して人と距離を置きたくなったのかもしれない。しかし世話焼きと拒絶は矛盾しているので、自覚があるにしろないにしろ苦しいのではないかと思う。


「赤司君は人を見る力があるんですね」

「そうですかね」


 木崎先生は感心したように言ってくれるが、たった一日だけ一緒にいた他人の空言だ。もし本当に人を見る力があったとしても、大して役には立たない。本当に必要なのは、大きな声と素早い行動だろう。

 先生が椅子を持ってきてくれたので、予冷が鳴るまで話をした。話は大体、来から聞いたことと似ていた。新情報として、風紀委員長は来の兄らしい。正義感の強い血というのはあるのだろうか。讃えられるべき血統だ。


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