長州の志士
「……ん…っ…?」
次に、千夜が目を覚ましたのは、夜中の事であった。部屋の中は、真っ暗で、今、此処に来てから、どれぐらいの時間が経過したのかすら、わからない。
今、何時なんだろう?まだ、日付けは変わらないのだろうか?
体を動かしたい。屯所に帰りたい。自分の意思とは、裏腹に、上手く動かない身体。
芹沢……。
お前は、暴れてないか?時間が……無いんだ。
あいつの命の灯火が、着々と弱くなっていく……芹沢、お前を止めるのは、私なんだからな?必ず、止めてやるから頼む。まだ、
————逝くんじゃないぞ。芹沢。
ダメだ。この毒は、達が悪い。毒に抗おうとする千夜だったが、何もできないまま、意識は、遠退いていった。
******
(ちぃ……)
闇夜の町を駆け抜ける黒装束
(何処におる?)
どれぐらい駆けずり回っているか、山崎の額からは汗が流れ落ちる。
(どこ行ってん…?)
木の上から、キョロキョロ辺りを見回す。たった一人の女を懸命に探す山崎。
(戻ったら、治療言ったやろが!)
「ちぃ……」
見つけたる。絶対。見つけたるから、
お前は、必ず守るから、無事で居てくれ。ちぃ…
***
「おいでやす~」
着飾った女達が出迎える島原、花街
土方、沖田は、壬生浪士組の行きつけ「角屋」に来ていた。
「土方はん、ワッチ待ってたんでありんすよ?」
廓言葉で話しかけられる土方、
………誰だっけ?今はそれどころじゃねぇーんだが…
女の名前すら忘れる、土方。
「土方さん、さっさと、聞いて帰りますよ。
僕、この変な匂いする場所に、長居したくないですからね。」
冷ややかな沖田の声。
相変わらず、千夜以外の女には冷たい……
千夜の情報を求めて、島原まで来たのに、土方の馴染みの天神に囲まれてしまった二人。沖田は呆れ顏で、その表情には、もう帰りたい。と書いてある様だ、
「僕、帰っていいですか?」
囲まれた土方を助ける気もない。沖田が欲しいのは情報だけで、女ではない。しかも、鼻の下を伸ばした上司を見てるのもつまらない。
そして、沖田の嫌いな匂いが充満してくる始末。白粉や練り香水、香り袋などとにかく鼻につく……。できるものなら、立ち去りたいが、
千夜の情報と考えると動けなかった
「 そねえな所で、何をしてるんでありんすか?お客様の邪魔でありんす……」
凛とした声に、群がっていた天神達が二人から離れた。
「小寅姐さん…」
「さっさと持ち場に戻りなさい!」
サッと、さっきの群がりが、嘘の様に、たった一言で、天神達が居なくなった。
土方と沖田の前で、頭を下げた小寅。
「 申し訳ありんせん。先日は、助けて頂き、
ありがとうございんした。」
先日……?芹沢に髪を切られそうになった時の事か。
「いや、あれは、こっちが悪かった。
すまねぇな、怖い想いをさせっちまって。」
「いえ…」
いつまでも続きそうな会話に、沖田は、ため息を吐いた。
「土方さん、今は、ちぃちゃんの事を!」
「君菊の事?それなら、部屋用意しんす。こちらへ…」
二人は、顔を見合わせた。しかし、いつまでもそこに居るわけもいかず、小寅の後を追って個室に入った。
「ちぃを知ってるのか?」
「へぇ、知ってんす。壬生浪士組に入ってるのも。君菊に何かあったんでありんすか?」
千夜が、長州に連れ去らわれた事を簡単に話した。
「長州?前に、長州のお客さんが居んしたけど、確か、君菊が座敷に入ったと思いんす。
座敷の中で、何を話したか………。ちょっと、待ってておくんなんし。」
そう言って席を外した小寅。
キュルキュル~
「お腹空きました~」
呑気な奴だな。
「飯、まだ、だったな。しょうがねぇ、食ってくか!」
「ごはんだけですよ?女の人を食べないで下さいね。土方さん」
いや、食う気もないんだが。
呑気にごはんを食べて、
小寅から、長州の者が
よく利用する宿を聞き出す事に成功した二人。
でも、その宿は一つだけではなかった。
五つはある宿を、くまなく探さねばならない。
小寅に、宿の場所を紙に書いてもらい、その日は、屯所に帰る事にしたのだった。
*****
ペシペシ
「……ん…?」
薄っすらと開かれる碧い瞳。目の前には、高杉の姿。どうやら、彼が、自分の頬を叩いたらしい。まだ、外は暗いのか、行灯の光がゆらゆら見える。さっきより、少し体が軽くなった気がした。
「お、目開けた。」
今、ペシペシ叩かれたんですが?
「えっと?」
「飯食えるか?」
ニカッと笑う高杉。
ゆるゆると、起き上がり周りを見渡す。高杉以外は、居ない様子だ。
「……食欲ない。」
視線を落として、初めて気づく。自分の着物が変わっている事に…
視線を見てわかったのか、
「…すまねぇな。
着物汚れてたから、着替えさせた。」
「…そうなんだ。」
なんとも薄い反応。赤くなるとか、恥ずかしがるとかするかと思ったのに、そんな反応もなく、平然と言われた言葉に、高杉は、まだ、意識が朦朧としてるのか。と結論づけた。
千夜の意識は、正常なのにも関わらず…
「ほら、飯食う。」
無理矢理持たされた箸…
ニコニコしてる高杉。
なんで…?私、敵じゃないの?
優しくされる理由なんて無いのに…
「……いた、だきます。」
「おう、食え。」
オズオズと、お味噌汁を飲む。千夜にとっては、久しぶりのまともな食事。
毒入りのごはんばかりを、食べていたから
「……高杉…」
「なんだ?」
ニコニコしてる高杉に、聞いてもいいのだろうか?
「————…私は、敵じゃないの?」
不安そうに自分の顔を見る女。確かに、芹沢鴨の子と聞いて、副長の小姓と聞いて欲しくなった子。
壬生浪士組の動きは、喉から手が出るほど欲しい。だけど、女中として間者に出した女に
毒まで盛られても自分達を怖がらない目の前の女に、同情をしたのか、もしくは、綺麗な女だからか、わからないが、敵だと思いたくない自分が居た。
「今は、とにかく食え。なっ?」
「…………うん。」
いつもなら。言いたい事を言ってしまうのに、
なかなか言い出せない千夜…
体を動かせる自身がないから、何も言えないのかもしれない。今の千夜は、起き上がれはしたものの、それが精一杯。つまり、逃げられない。
今、自分が言いたいことを言えば、殺されるかもしれない。不利だから話せない
なんとも勝手だが、まだ、死ぬ訳にはいけない……
敵なら、敵だ。と、言ってもらった方が、まだマシだ。複雑な気持ちのまま、箸を動かす。
目の前にはニコニコした高杉。
敵意は感じない。
はぁ。無意識に、ため息が出た。
「どうした?」
この優しさも、今の千夜には重荷でしかない。
「……なんでも…ない。」
もどかしい。自分の気持ちが言えないのが。
高杉が、首を傾げたが、気付かないふりをして
少し多かったごはんを食べきった。
スッと襖が開き、吉田と桂が部屋に入ってきた。
「あぁ、起き上がれたんだ。結論早かったんだね……」
上から下まで見るような目。特に敵視はしていない彼らの視線。
なんで?なんのために、連れて来たんだろうか…?
「へぇー。ねぇねぇ、お前さ、何で芹沢と土方に気に入られてるの?」
まるで友達と話している様な吉田の話し方、
この時代にもいるんだね。
こういう人……。人懐こいというか、なんと言うか……
「……知らない。本人に聞けば?」
サラッと言った千夜に三人は固まった。
結構、ハッキリ言った千夜に、三人は驚き固まった。千夜の外面との差があったのだろうが、用は三人の勝手な思い込みである。
「ヘェ~なかなか、面白い子だね。君。」
面白い?何が面白いのか、千夜には全くわからない。
「ねぇねぇ、千夜って言うんだよね?千夜って呼んでいい?」
………既に呼んでるのに
確認する必要があるのだろうか?
「別に、いいけど…?」
本当に、なんなんだろうか?
やったーっと喜んでいる吉田の姿を見て、何がそんなに嬉しいのか…
「まぁ、今日は遅いし寝るか!」
まだ、食べたばっかりですけど?とは、突っ込めず、布団に横になる。
ガサゴソ……
「千夜、俺となりね~。」
「あっ!お前ずりぃぞ!」
「はいはい、うるさいよ。
俺は隣の部屋にいるからね~。」
吉田、高杉、桂の順に話すが、
別に、どうでもいい千夜……
寝よっ。と、瞼を閉じた。
しばらくして、まだ、千夜は眠れずに居た。目を開け体を起こしてみる。
あーそうか……。今日は、心臓の音聞いてない。いつの間にか、千夜の元気の源になった上に、日課になってしまった、心音を聞くというだけの行為。無くなったら、無くなったで、眠れない。困ったもんだ。
横を見れば、吉田が布団に抱きついて寝てる。
反対には、高杉。
「……なにしてんだろ…私。」
屯所に帰りたい…
「何がだ?」
へ?まさか、返事が、返ってくるとは思わなかった。
「高杉?起きてたの?」
まぁ、見張りだろうから、どっちかが起きてないと、ダメでしょうが。
「あぁ。どうした?眠れないのか?」
「………うん。」
まさか、心音聞けなくて、寝れませんなんて言えるわけが無い。
「お前まさか、土方と一緒に寝ないと、寝れないとか言わないよな?」
ガシガシ頭を掻きながら聞かれた。ある意味正解だが、別に、よっちゃんじゃ無くてもいい。
うん、最低な発言だが、別に恋仲でも無い。
ただ、よっちゃんには、何故だか悪い気はするが……。
「別に……。そんなんじゃない。」
フイッと顔を背け、布団に戻る
「ならいいけどよ…」
何も良くない。全く寝れる気がしない。結局、空が明るくなるまで、千夜が眠る事はなかった。




