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始まりの三人 2

 その声は、いくら自分にしても他人事を語っているようにしか聞こえなかった。それは、現実を受け入れられない受験生と同じ気持ちだった。


「…………死んでいるのか?」


 目に映る首つり死体は、僕に常識とは程遠い現実を教えてくれる。まるで子供に親がこれが真実だとサンタクロースが貧乏の家に来ない理由を告げるように、これまで存在していた何かが崩れていく感触があった。


 手の中に納まっていたはずのガラス玉が、砂のように崩れていった。


 掌から最後の砂粒が流れ落ちた瞬間、僕はようやく理解した。



◇ ◇ ◇ 



「ハア、ハア、ハア…………」


 吐瀉物で汚れた服を洗いベランダに放置して、初めて僕は腰を下ろすことができた。


 砂粒の全てが流れ落ちたあの後、僕は目の前にある光景を拒絶するかのように女性の死体を引きずり下ろした。手に持った包丁の刃はズタボロで、もう料理に仕えないだろう。


 いや、今の文には訂正しないといけない部分がある。僕が死体だと思っていた女性だが、実はまだ息があった。ドラマや映画では、人が首を吊ると即死んでしまうのをよく見るが、現実では何分間の猶予と呼べる時間があるらしい。

 タイムラグと呼べばいいのか。

 それでも、水中で人間が何分間息を止められるような時間があったとはいえ、彼女を助けることができたのは奇跡なのだろう。

 

 感動と安心。その二つの感情が僕の胸から生まれると同時に、恐怖と痛みが襲った。生きていたとはいえ、先ほどの光景は脳裏に焼き付き、体が嘔吐という形の拒絶反応を示す。


 手探りでトイレに駆け込む。初めて訪れる部屋だったが、二つ目の部屋で当たりを引いたから、僕はついている。


 胃の中のもの全て吐いたんじゃないかと思うぐらい、吐いた。そうして軽くなった体で僕は自分の後始末を行った。上着は洗ったが、ズボンは脱ぐわけにもいかないので、タオルを濡れしてふいた。それでも悪臭はするだろうが、僕には何も臭わなかった。


 なんでだろう? 頭がとても軽い気がする。

 まるでマシュマロが風船のように飛んでしまうように、頭が軽い。


 風に揺れる風船のように僕の頭も揺れていき、仕舞には体までもが風に引っ張られるように倒れていった。

 この後の文を続けるのは、これから気を失う僕では無理であり…………。



◇ ◇ ◇



「きゃああああああああああああああああああああああああ!!!」


 甲高い悲鳴に脊椎反射のように体ごと起こされた僕は、咄嗟に首を回し悲鳴の主を探した。


 視界に入ったのは、先ほどまで吊られていた女性と、同じクラスであり幼馴染である久遠静稀クオンシズキであった。

 あんぐりという表現を使うのは文を書くものとして嫌いな傾向にある僕だったが、彼女の口はまだにあんぐりと開いていた。驚きにさらに驚いた、そんな口だった。


 僕はなぜか胸の疲れが取れたといな感覚を久遠静稀から貰い、その心のまま呟くことにした。


「なんだ、久遠か」

「なんだじゃないでしょうー!!!」



◇ ◇ ◇



 彼女は大きな声で怒鳴ったかと思えば、突然泣き出し、人より細い僕の体を力強く抱きしめた。わんわんと泣く彼女に罪悪感を抱いてしまうが、それ以上に彼女が僕を抱きしめて泣いてくれたことに、感動した。


 彼女がいうには、僕は目を開いたまま気絶しており、虚ろの目をしたその僕の姿がまるで殺されているのだと勘違いしてようだ。


「それで、勉はどうしてこの部屋にいるの?」

「久遠こそ。どうしてお前がここに来たんだ?」

「あたしは、ほら。勉に呼ばれて来たの」


 久遠が取り出した携帯電話のメールに『草刈勉クサカリツトム』という人物から一通のメールが届いていた。内容は、何時何分にマンション福田に来てくれというものだった。


「これ、僕じゃないぞ」

「え? でも差出人が勉じゃない」


 彼女の言う通り、差出人は僕であった。僕は自分の携帯電話を開いて確認してみたが、送信ボックスにそのようなメールは存在しておらず、そもそも僕自身、そのようなメールを打った覚えもなかった。


 しかし、通話履歴の中に一人心当たりのある人物がいた。そいつの履歴は非通知で、手がかりというものも証拠というものも一切ないが、それ以外に該当する人物もいないわけで。


 自分でもバカげていると思いながら、携帯を見ながら当惑している彼女に、僕が何故ここに来たのかを含めて、僕が会話した”あいつ”のことを伝えた。


 話しを聞き終えた彼女は、当然のように困り顔を見せた。混乱しているのは明らかだ。


「ええと、未来の勉が過去の勉に電話して。それで、過去の勉がこの部屋に来て死にそうになっているあの人を助けることが出来たっていうことでいいよね?」

「うん、そうだね」

「そうだねって。あなたのことでしょう」


 僕は未来からの自分の言う通りにしただけだ。未来の自分の分まで責任追及しないでほしい。

 なにより。


「僕は通話した相手が『未来の草刈勉クサカリツトム』だとは思っていないよ」

「どうして?」

「なんとなくだけど。未来の僕は自分のことを『私』と呼ばないから」


 一人称は、『僕』。その表現が一番しっくりきていて、それ以外は他人のように見えてしまう。自分を大切にしたいとは思わないが、積極的に失うような愚かなことだけはしない。


「でも。彼女がもう少しで死にそうなことを判っていたから、勉を呼んだんじゃないの? そうじゃなきゃあ、こんな奇跡と呼べるタイミングであの人を助けることなんかできないよ」

「なにかトリックがあると思う」

「うん。そっちの方が現実的だと思うけど、まだ幻想の世界から抜け出ていないかな」


 彼女の呆れた声の理由は僕でも良く判る。

 トリックとは、殺人方法を隠すためやアリバイ作りのための細工といった理由が存在する。僕が対面することになった女性の首吊利の場合、犯人は女性自身、つまり自殺の節が高いことは明白だ。

 そして、彼女自身が死にきれていないことも、また大きな要因だ。彼女に殺意がある人間の犯行ならば、もっと確実に殺す手段がいくらでもある。撲殺して人里離れた山に埋めれば、捕まる可能性は限りなく少なくなり、彼女の名前が行方不明者の一覧に並んで終わり。


 トリックする理由がどうにも破綻している、僕も久遠の目にもそう捉えるのだ。人間としての感覚が僕らに強いメッセージを与えている。


 少なくとも、これは『自殺』だと。


「……ねえ。『未来の草刈勉』の正体は置いといて。その人の目的ってなんだと思う?」


 焦りと恐怖を帯びた声で、呟くように言った。僕に発した声ではないかもしれないから、僕も呟くように彼女に言った。


「彼女を助けることじゃないかな」

「でも、あの人は『自殺』なんじゃない?」

「そうかもしれない」


 嘘だ。本当は気づいていた。久遠静稀よりも僕は判っているはずだ。

 この部屋に入った直後、あの女性は『自殺』したのだと人間として悟っている。彼女の絶望した肢体に呑まれたのは自分じゃないか。


「もしも、あの人の『自殺』を止めたとして、これで終わっていいの?」

「……座ろう」


 僕は疲れた体を癒すように身を下ろした。


「ちょっと」

「まだ、決まったわけじゃないんだ。決まったわけじゃないけど、僕達がこの部屋に来た理由と、ここにいる理由を彼女に話さなくちゃいけない。

 このまま帰ったら、それこそ疑われるから」


 暗に誰とは言わなかった。

 久遠も小さく返事しながら僕の隣に体育座りした。何かを抱えているその体勢は、きっとこのためにあったんだと僕に誤認させるほど、悲しく見えた。

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