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ヘッドギアの起動により、意識が体から抜け出るのを感じたが、それは一瞬の出来事であった。すぐに意識ははっきりとし、自分の体の中にその存在を感じられた。
先程まで見えていた自室の天井は見えなくなり、教室程の広さの四方がコンクリートで囲まれた窓の無い部屋にいた。部屋の真ん中には、真っ白なドアが置かれている。某猫型ロボットのお得意ドアのように、そのドアは部屋の中央で、有る意味神々しさを放って鎮座していた。カナトは自分がゲームの中にいる事を理解し、そして驚愕した。
余りにも現実過ぎた。目の前に見えるドアも、その場に漂う空気も、素足で感じる床の冷たさも...
カナトを取り巻く全てが、worldをもう一つの現実と言わせるに足る物であった。
「凄い...凄すぎる...」
驚愕しながら、足裏をヒタヒタと鳴らして壁際まで移動し、コンクリートの壁に触れる。
「冷たいな...そして硬い」
コンクリートという素材其の物が放つ冷気を両手で感じた。その冷気が体に纏わりついてくる。
それにしても寒い。
そう思って視線を下げてカナトはまたしても驚愕した。一糸纏わぬ生まれたままの姿だった。
「えっ!?裸...っ!?なんで!?おれの服...!!」
慌てた様子で辺りを見渡すが、服は見当たらない。小走りで部屋の隅までくまなく探したが、自分の服はおろか、身に纏えそうな布切れ一枚落ちていなかった。
「...裸のまま、このドアを開けるって事か...?」
端から見たら1人コントと言えるほど、独り言が止まらない。カナトの慌ただしさとは裏腹に、真っ白なドアは沈黙を守っていた。
衣服は無いが、このドアを開けるしか選択肢は無いようだった。
ドアの前に移動し、心を落ち着かせる。
(大丈夫。問題無い。今の所普通にログインしただけで、規約違反になる事は何もしていない筈。これは確定イベントみたいなもんなんだ。)
理由は定かではないが、多分ログインした時は全員この姿なのだろう。カナトはそう解釈し、恐る恐るドアを開けた。
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ドアの先もまた部屋だった。先程と同じく教室程の広さだった。先程のコンクリートで囲まれた部屋と違うのは、天井も含めた部屋全体が通ってきたドアと同じく、真っ白である事と、視界の正面に姿を全て移す鏡が設置してある事だった。
(なんで鏡があるんだ?)
そう思い、近づいて見る事にした。鏡に向けて数歩歩いた所で、急に視界外から声を掛けられた。
「新人さんいらっしゃいませ〜♪」
カナトは驚いた表情で声のした方を向き、声の主の姿を確認した。
声の主はカナトと同年代であろう女の子であった。肩にかかる程の綺麗な水色の髪をし、全体が青と白で統一された制服のような物を着ていた。
咄嗟に両手でカナトのカナトを隠し、声の主に問いかけた。
「君は...誰?NPC?」
カナトの問いに、声の主は怪訝な顔をした。
「私は新人対応係員、番号77043です♪まぁ番号で呼ばれるのはあまり好きではないので、いつも新人さんにはナナちゃん♪って呼んで貰ってます♪」
そう言うと、ナナはその場でターンをし、ピースした右手を右目付近に当て、笑顔を振りまいた。
「...一昔前のアイドルみたい...」
「そ、そうですか〜?今までの新人さん可愛いって言ってくれましたよ♪」
カナトの言葉が癪に障ったのか、一瞬ムッとした表情を見せたが、すぐに元の笑顔に戻った。そして女の子らしい可愛らしい歩き方で、先程の鏡の横に移動した。
「さ、新人さん!鏡の前に移動お願いしまーす♪あ、大事な部分を隠してる両手は外して下さいね♪」
「なんでだよ!外せるわけないだろ!君に見えるだろ!」
ナナの言う通りに両手を外せばカナトのカナトが顔を覗かせてしまう。カナトの反応は当然かと思われた。
しかし、カナトの言葉を受け、怪訝な表情をしてナナが問いかけてきた。
「新人さん、配られた冊子は読みましたかー?」
読んでいなかった。昨夜はいつの間にか寝てしまい、今朝はログイン開始日だというのに寝坊をしてしまっていた。そしてそのまま急いでログインしたのだから。
「...読んでない...ごめん」
「そ、そうですか♪worldについて、説明してくれる人が近くにいますー?」
「...いないな。両親は忙しいし、兄姉はいないからね」
「...それじゃあ、worldについての知識は...♪?」
「うん。右も左も分からない」
「...」
話ながら、ナナの表情が少しずつ曇っていった。最後のカナトの返事を受ける頃には、笑顔は消えていた。
2人の間に気まずい沈黙が流れた。大きな溜息をついた後、ナナが口を開いた。
「あんた名前は?」
「カ、カナトだけど」
「カカナト。冊子を読まないって事は–」
「いや、カナト!」
「...チッ」
「え、舌打ち...」
「...カナト。冊子を読まない、予備知識が無いって事は、私が1から10まで全部説明しなきゃいけないって事なの。分かる?worldについてきちんと理解させた上で新人を旅立ちの扉から通すのが私の仕事だから。あんたは冊子を読まない事で私の仕事を増やしたの」
アイドルに成り切っていたナナはもう此処にはいなかった。カナトの不甲斐なさからか、新人の不安を拭う為に綿密に練り上げた自身のキャラクターを忘れていた。
非は自分にある事は分かりきっていたので、カナトは謝った。
「ごめん。仕事を増やして」
「...素直に謝ったからまぁいいや。じゃあ取り敢えず肩でも揉んでよ」
「はぁ!?」
「朝からバンバン新人来て休みなしだったから疲れてんのよ。やっとひと息つけると思ったら、worldの事をなーんも知らない新人が来ちゃったの」
「....」
「今から私はその新人にworldについて1から10まです・べ・て!教えてあげないといけないの」
「...」
「だって私がしっかりと教えてあげないと、その新人は夢に見たworld生活をずーっとこの部屋で過ごす事になるんだから!」
「...揉みます...」
「え、なんか言った?」
「揉むよ!ナナがもうやめてって言うまで揉んでやる!」
ナナの口撃を受け、カナトはやけくそ気味に叫んだ。カナトの突然の揉みまくる発言に、ナナの顔が赤くなる。
「か、肩だけだからね!分かった!?」
「?肩でも揉んでってナナが言ったんだろ?足も腰もマッサージしろって今更言われても嫌だよ」
「...うっさい!」
顔だけでなく耳まで赤くなったナナは、自身の目の前の何も無い空間を人差し指で軽く押した。空中にメニュー画面のような物が開いた。ナナが持ち物の中から椅子を選択すると、先程まで何も無かった空間に椅子が現れた。
その椅子に深く座ってカナトに視線を向け、揉めというようにジェスチャーをしてから肩を指差した。
ナナの後ろに立つと、緊張がカナトを襲った。思えば、異性の手すら触れた事が無い。ナナの後ろに立つと女性らしい良い香りがした。
「ちょっと。早く揉んでくれない?」
「...分かってるよ!」
もうどうにでもなれ!
勢いに任せ、両手をナナの肩にそれぞれ乗せ、揉み始めた。
柔らかい。
女性の持つ優しく愛らしい良い香りと、柔らかさに驚きながらも、優しく揉んだ。ナナの反応を見てドギマギしながら、照れを隠すように聞いた。
「いつまで揉めばいいんだよ」
「私がもういいって言うまでかなー♪」
「...くそ」
「上手だよー気持ちいい気持ちいい♪極楽ごくらく♪」
本当なら今頃、剣でモンスターを討伐したり、ステ振りやスキル振りに頭を悩ませたり、装備品の調達などをしている筈だった。
が、今している事は全裸で、やたら口達者なNPCの肩揉みだった。
(全裸で女の子に肩揉みするなんて事は、もう一生無いだろうな…というよりあってはならない…)
あまりの自分の情けない姿に肩を落とすが、この肩揉みが明日の狩りに繋がる。そう自分に言い聞かせながら、丁寧に肩揉みを続けた。




