オクレ
豪華な食事の並ぶダイニングテーブルの近くの家庭用電話機が鳴っている。しばらく鳴り続けたが、受話器を取る者がいないと諦めたのか、鳴るのを止めた。
しかし、しばらくすると。
プルルルル...プルルルル...
鳴るのをやめた電話機が再び息を吹き返したかのように鳴り出した。電話をかけてきている相手がそうさせるのか、先程よりも音に力強さが宿っている。
諦めない姿勢を見せた電話機が、カナトを深い夢の中から浅瀬程には引き揚げた。片足をまだ夢に残したまま、朦朧としながらも受話器をとった。
「はい、もしもし...」
「こんにちはーフクロウ運輸です。ヘッドギアのお届け物があるのですが。」
明るく、元気で爽やかな男性配達員の声がカナトの頭の中をクリアにしてくれた。
VRMMOのworldにとって必需品であるヘッドギアは、その年の新人のログイン開始日当日の朝に送られてくる事になっている。
そんな事を兄や姉をもつクラスメイトの誰かが話していた事を思い出した。が、配達前に電話連絡が来るというのは受取手の事を考えてくれている会社だな、という事を思いながら、配達屋へと丁寧に対応する。
「ヘッドギアですね。有難うございます。届けて頂いて大丈夫です。」
「了解でーす。では15分後にお届けにあがります。」
「ありがとうございます。お待ちしてます。」
カナトが受話器を置こうと耳から離したタイミングで、電話相手の配達員が心配そうな声で言葉を続けた。
「あのー。体調どこか悪いんですか?」
突然男性配達員は、配達するにはおよそ関係の無い事を言い出した。何故そんな事を聞くのかと疑問に思いながらも、カナトは返事をした。
「体調は良いですよ。何故ですか?」
「いやー自分がドライバーになってから初めてのケースだったもんで、つい気になってしまいました!」
配達員はおかしな事を言っている。もしかしたらこの電話は何かしらの詐欺なのかもしれない、と思い探るように理由を聞いた。
「初めて?何がですか?」
「ヘッドギアを朝に受け取らない人がですね!大抵の人は、朝から玄関先で僕達ドライバーがヘッドギアを配達するのを今か今かと待ちわびていますからね!朝配達に伺った時に誰もいらっしゃらなかったようなので、何度かお電話さしあげたんですけど出られなかったので、体調でも崩されてるのかなーって心配になっただけです!すみません!」
声もだが、対応も爽やかであった。好意で心配してくれていた配達員を疑ってしまった自分をカナトは恥ずかしく思った。
と同時に、配達員の言葉に耳を疑った。
...朝に受け取らない?
家庭用電話の受話器を耳に当てながら左手をポケットに潜り込ませ、携帯電話を取り出し、現在の時刻を確認した。無常にも、ディスプレイには13時を少し過ぎた時間が表示されていた。今年の新人ログイン可能時刻から3時間程経っていた。完全に寝坊だ。
受話器の向こうで言葉を失っているカナトの事情を察知したのか、配達員は慰めるように言葉を発した。
「だ、大丈夫です!すぐに届けますからね!」
「普段通りのペースで大丈夫です。お待ちしております。」
カナトは受話器を置いた。平静を装って返答したが、内心は穏やかでは無かった。あんなに楽しみにしていたログイン可能日に寝坊するなんてと、アラームをセットしなかった昨夜の自分を恨んだ。が、すぐに気持ちを切り替え、配達員が到着するまでの時間を有効に使う事にした。
風呂場へ向かい、昨日着てた衣服を脱ぎ捨ててシャワーを浴び、昨夜からダイニングにあった料理の一部を流し込んだ。掻き込むように食べたからか、すぐに腹は満たされた。
腹が満たされたと同時に、配達員の到着を知らせるチャイムが家の中に鳴り響いた。
玄関を開けると、元気で爽やかでもあり、どこか申し訳なさそうな表情をした配達員がヘッドギアが入ったダンボールを小脇に抱えて立っていた。
「ヘッドギア、お届けにあがりました!サインと個人番号の記入をお願いします!」
「有難うございます。」
配達員から渡されたボールペンで、伝票に名前と、国民一人一人に割り振られた個人番号を記入した。
「はい、ではこちらヘッドギアになります!簡単な説明書が同封されていますので、確認してみて下さい!」
「はい、ありがとうございます。」
「では失礼します!」
配達員からダンボールを受け取り、玄関を閉めた。先程までの大切なログイン初日に寝坊をしてしまった陰鬱な気持ちは、ヘッドギアを手に入れた興奮でどこかへ吹き飛んでいた。
ダンボールを小脇に抱え、階段を上がってすぐの自室へと向かった。
自室に入り、ダンボールを開ける。そこには真っ白なヘルメット状のインターフェースと、コードと説明書が入っていた。
ただ、説明書とは名ばかりで、薄い紙にただヘッドギアとコードを繋げ、そのコードをLANポートに差し込む、という事を現している絵と、ヘッドギアを装着してベッドに横になる男の子の絵だけが描かれていた。
ログインしたら後はなんとでもなる。と言わんばかりの絵であった。
説明書通りにヘッドギアにコードを繋ぎ、LANポートに差し込んだ。遂にworldへログインする準備が完了した。
カナトは説明書に描いてあったようにベッドに横になり、ベッドギアを装着して目を閉じた。装着者が横になった事を自動で感知したのか、ベッドギアが僅かな起動音を発した。
《worldにログインしますか?》
ヘッドギアがカナトに問いかけてくる。それは音ではなく、脳に直接問いかけてくるような不思議なものだった。
(もちろん!どんなにこの日を待ち望んだ事か。)
そう考えたと同時に、カナトの返答を受けたヘッドギアが、また僅かな音をたてた。
カナトがその音を感じ取った刹那、意識が頭上に引っ張りあげられるような感覚に陥った。少しずつ、自分の意識が自分の体から離れていく。




