セツメイ
「worldについての説明を始める前に、皆に言っておく事がある。worldの説明は、いまこの時間、全国の中学校の卒業生全てのクラスで一斉に行う事になっている。国から支給されたこの冊子でな。」
男性教師は教室の後ろに座る生徒にも見えるように、冊子を高らかに掲げた。生徒達の期待のこもった眼差しを受け、嬉しそうに男性教師は話しを始めた。
「時間は...よし、丁度いいな。皆聴き漏れが無いように集中して聴けよ!って、待ちに待ったworldの説明を聞かない奴はいないか!保健体育の授業や修学旅行の説明の時もちゃんと聞いていたもんな!皆はそういうイベント毎の時はちゃんと話しを聞いてて、しっかり団結していて...先生はそんな皆の姿を見るたびに“あぁ良いクラスを持ったなぁ”なんて感情に耽っていたんだ...そんな皆とも今日で...今日で...」
生徒達との別れを思い出してしまい、教師がまた涙を流す一歩手前で、教室の最後尾の席からレイが言葉をかけた。
「たきちゃん!全国一斉なんだろ?とりあえず泣くのは後にして、説明をさ!頼むよ!」
教室内の他の生徒もレイの意見に同感のようで、ウンウンと首を縦に振っている。
「そ、そうだな!遅れたら大変だからな!レイ、ありがとう!」
先程まで泣きそうになっていた男性教師だが、爽やかな笑顔を取り戻し、レイに向けて右手を突き出してウィンクした。レイも笑顔で右手を突き出した。
「よし!それじゃあ改めてworldの説明を始める。worldとはそもそも何か...ってこれは皆知ってるよな。worldとは、2026年に峯田士郎氏が開発したVRMMOだ。VRとは読んで字の如く仮想現実の事だ。仮想現実とは、簡単に言うと、皆にとっての新しいもう1つの世界だ。」
普段とはうって変わって、真面目な表情で静かに説明を続ける男性教師の姿に驚きながらも、教室の生徒全員が静かに耳を傾けていた。
「もう1つの世界というと少し抽象的過ぎるか...まぁ具体的に言うと、world内でも他者に触れられるし、食べ物を食べれば美味いと感じる。見た景色は全て現実感を帯びているし、怪我をすれば痛い。ようは“感じること”が出来るんだ。」
タイミングを見計らったかのように、男子生徒の一人が手を挙げた。男性教師に発言権を渡されるのを待つ事無く、興奮した様子で口を開いた。
「はい質問!じゃあworld内で人に触れたり、キスしたりしても感じる事が出来るんですかー?」
「出来るぞ。」
男性教師の返答を聞き、教室内は弾けたように騒がしくなった。ガッツポーズをして喜びを体全体で表現する男子もいれば、女子生徒同士で手を取り合ってキャーキャーと叫び始めたりしていた。
「ヤバイ!おれworld内でこじなつとキスするわ!」
「おれはアナちゃん!アナちゃんのあのプルプル唇に触れたい!」
「馬鹿野朗!いまアツイのはHKB48のさくら様だぞ!さくら様とあんな事やこんな事をして感じたい〜!」
男子達の燃え滾る欲望を、氷のように冷え切った表情で女子が見つめる中、男性教師が静かに話始めた。
「期待を、希望を持ってworldにログインする事はとても良い事だ。だけどな、現実と同じように“感じる”という事は恐ろしい事でもあるんだ。」
普段とは違う静かに語りかける男性教師の姿を見て、先程までふざけていた教室の空気が少しずつ張り詰めていく。
「皆は、人に悪意を...殺意を向けられた事があるかな?無いよな。普通に暮らしていたら見ず知らずの他人から殺意を向けられる事なんてあるわけがない。だけどな、あるんだよ。worldの中では。MMOに取り組んだ事がある人は知っているかもしれないけど、world内にはデスペナルティという物が存在する。これは何かというと、死んだ時にプレイヤーに課せられるペナルティの事なんだ。world内のデスペナルティは所持金の10%と、所持アイテムの10%を死んだその場に落とすという物なんだ。このデスペナルティによるアイテムドロップを狙って、他のプレイヤーをPKする、レッドネーム達がいるんだ。」
つい先程までふざけ合っていた男子生徒達も、少し顔を青くし、真面目に聞き入っていた。
「想像して欲しい。冒険に胸躍らせてフィールドを歩いている自分を。目の前に現れる見知らぬプレイヤーを。突然剣で斬りつけられる恐怖を。剣に肉を削がれる痛みを...」
頬から、背中から冷たい汗が流れるのをカナトは感じていた。そしてそれはレイも、他の生徒達も同じだったようで、教室内に沈黙が木霊する。
5分のようにも30秒のようにも感じられた静寂を破ったのは男性教師だった。
「1番初めにこの話をしたのは、いま話した内容がworld内で想定される最低で最悪なケースだからなんだ。なんていうのかな、浮き足立った新人を戒めるような物なんだ!決して、無闇矢鱈に怖がらせたくて話したんじゃないからな!この冊子にも、まずはPKの話から入るようにと書いてあるんだ!」
男性教師は萎縮した生徒達を驚かさない程度に、右手で持った冊子を左手ではたいた。その時、無情にも終わりを告げるチャイムが鳴った。付近の教室の扉が開き、次々と最後の下校に向かっていく他クラスの生徒の足音が聞こえる。廊下から聞こえる他クラスの話し声は明るく、このクラスの雰囲気とは正反対であった。
男性教師は自身の時間配分の誤ちを嘆き、落ち込んだ様子で口を開いた。
「すまん...先生の説明が悪いばかりに時間になってしまった...このworld説明の時間は決められていて、これ以上皆に何も伝えてあげる事は出来ない...ただ不安感を煽る話しか出来なくて本当に申し訳ない...あとはこの冊子を配るから、各自読み進めてから、明日のログインを迎えて欲しい...最後のさいごまでダメな担任で本当にごめんな...」
男性教師の落ち込み様を見る事でPKの恐怖を忘れたが、晴れの卒業の日に担任がここまで落ち込んでしまい、果たして自分達は笑って校門をくぐる事が出来るのだろうか...という不安が教室に広がった。
「全然駄目じゃないですよ。むしろ、たきちゃんらしい最期で良かった。」
カナトが笑いながら言葉をかけると、(このタイミングしか無い!)と察したのか、他の生徒も男性教師に言葉をかけ始めた。
「このクラス、楽しかった!たきちゃんありがとう!お疲れ様でした!」
「私もたきちゃんのクラスで良かったよー!」
「なんか変なタイミングだけど、たきちゃん1年間ありがとうございました!」
たきちゃん!たきちゃん!と、生徒達が次々と男性教師の周りに集まる。そんな熱い生徒達の姿を見て目に涙を浮かべながら、男性教師も熱く答えた。
「皆!卒業しても、world内で会う事が出来るぞ!先生はこう見えてもworld内では有名人でめちゃ強だ!だから、レッドネームが皆を狙うような事があっても、先生が守る!卒業しても、皆先生の大切な教え子だ!」
この熱い展開のきっかけとなったカナトだったが、あの熱い輪の中に入る勇気は無く、レイと共に少し離れた場所で見守っていた。カナトはレイの方に向き直り、幼稚園からずっと一緒に進学してきた仲間に対して言葉をかける。
「卒業おめでとう。レイ」
「カナトもな。」
「なんか照れくさいか。」
「そうだな、笑」
「おれの生徒はおれが全員守る!ウォーーー!」
ヒートアップした担任の熱さにあてられて、カナトとレイ、クラスの生徒皆に笑顔が戻った。
1年分の思い出が皆の頭をよぎり、笑いながらも泣いていた。




