マモル
亞殺悪は急いで顔を上げた。すると、カナトはまっすぐに亞殺悪の顔を見つめてきた。
カナトの瞳には、恐怖の色は無かった。ただ、目の前にある亞殺悪アキオを、静かな瞳で見つめていた。
「悪いんだけど、アキオとはフレンドになりたくない。ごめんね」
亞殺悪の顔を真っ直ぐに見据えながら、カナトは正直な気持ちを伝えた。亞殺悪や取り巻きDQNへの恐怖心は、微塵も感じられなかった。カナトの返事を受け、亞殺悪の表情が険しくなった。が、亞殺悪よりも先に、取り巻きの1人が動いた。
「クソが!クソ餓鬼!わざわざアッキーがフレンド申請してんのになんで拒否るんだ!?あぁん!?」
取り巻きの1人が高圧的に威圧するも、カナトの表情は変わらない。落ち着き払った口調で、諭すように話し始める。
「いくら高圧的な態度をあんた達がしても、おれの意思は変わらない。アキオとはフレンドにならないよ。アキオとはっていうよりも、あんた達の誰1人ともフレンドにはならない」
いよいよ取り巻きDQN達の顔面が沸騰したかのように赤くなった。塞き止めていたダムが決壊するかのように、罵声をカナトに浴びせる。
「おおい!!このシャバ僧!!てめぇいい加減にしろようぉらー!!」
「調子こいてんじゃねーぞ!!やるぞ!?」
「てめぇ!!なめてんのか!?」
「おら!!餓鬼が!ナマ言ってんじゃねーぞ!」
「かっこつけてんじゃねーよ!!おおう!?」
取り巻きDQN5人が、唾を飛ばす勢いでカナトに詰め寄る。それでも、カナトは冷静だった。何故ならここは“world”という仮想現実の中である。現実では無いのだ。いくらDQN達が威勢を張っても、システムの壁を越える事は不可能である。
「あんた達さ、そんなに威嚇してもどうしようも無いって分からないかな?ここはworldの中なんだよ。数の暴力でおれを殺して、赤名前になるつもり?」
取り巻きDQN5人の表情が一瞬にして曇った。それぞれがいくら威勢を張り、頭数を合わせても、所詮は暴力という手段に頼るしか無い烏合の衆である。後先の事を考えて行動に移す程の知能は、5人は持ち合わせていなかった。しかし、赤名前になる危険性と弊害については、予備知識として持ち合わせていたようだ。
「...まぁ、あんた達に無料でやられるつもりも無いけどね。まぁいいや。おれもう行くね。」
カナトは亞殺悪達に背を向け、歩き始めた。取り巻きDQN5人は、悔しく憎々しい表情でカナトの後ろ姿を見つめるしか無かった。
取り巻き5人とは対照的に、亞殺悪はニヤリと笑っていた。カナトを振り向かせる策が、亞殺悪の頭の中には存在していた。
「カナちゃーん。なんて言ったっけアイツ。カナちゃんと仲良しだったチビで生意気なアイツだよー」
亞殺悪の言葉を受け、カナトの足が止まった。だが振り返りはせず、亞殺悪の言葉が続くのを待っていた。一抹の不安を覚えながら。
カナトが足を止める事は、亞殺悪には想定内であった。亞殺悪の余裕を持った態度を見て、取り巻きDQNも息を吹き返したかのようにニヤニヤと笑っていた。亞殺悪は、カナトが絶対に聴き流さないであろう呪いの言葉を、ニヤつきながら吐きかける。
「あ、思い出した。レイって言ったっけなーアイツ。カナちゃんレイちゃんのカマ野郎コンビだったよなー」
“レイ”という単語は、カナトを振り向かせるのには充分過ぎる程の効力であった。カナトは勢いよく振り向くと、先程までの冷静さを失った表情を見せた。アキオがどういう人間かは幼稚園の頃に嫌という程思い知らされていた。アキオが何を言わんとしているかを、カナトは理解してしまったのだ。
振り向いたカナトの表情を見て、亞殺悪は嬉しそうに笑いながら、わざとらしく言葉を続けた。
「カナちゃんがお友達になってくれないんじゃしょうがないな。レイちゃんにお友達になって貰うか」
そう。アキオはこういう人間である。人の嫌がる部分を的確に突いてくるのだ。
「......レイは関係ないだろ」
「関係あるだろー?カナちゃんがお友達になってくれなかったら、誰が俺らの装備品や消耗品を調達するんだよ?これじゃあ俺らいつまでたっても新人から卒業出来ないだろ。カナちゃんがやってくれないなら、レイちゃん捕まえてお友達になって貰うしか無いだろ」
「...いくらお前達に何か言われても、レイは絶対にそんな事はしない」
カナトの瞳は怒りの色を覗かせた。亞殺悪が思う程、レイは弱い人間では無い。しかし、1人でworldで金を稼いで家族に少しでも楽をさせたいという明確な目標の為に、world内の何処かで1人頑張っているレイの邪魔をしようとする亞殺悪の発言は、流すことは出来なかった。
カナトの感情の変化を受け、先程までニヤついていた亞殺悪は逆に感情を隠した。肉食動物が狩りをする前に自分の存在を極限まで消し去り、茂みに隠れるかのようだった。感情を見せない機械的な表情のまま、亞殺悪は言葉を続ける。
「...じゃあ殺るからいいや。幼稚園の時吹っ飛ばされた恨みもあるからな。見つけて殺る。赤名前になろうが知ったこったゃねぇ。worldなんかどうでもいい。ぶっ飛ばしたい時にぶっ飛ばせないってのが1番フラストレーション溜まるんだよ。レイを見つけたら殺る。この人数で一方的にな。捕まえて、指を小指から順番に折る。泣こうが喚こうが絶対に止めない。全部の指を折ったら、小指から切り落とす。殺してくれと頼むまで、楽しませて貰う」
亞殺悪の残酷過ぎる言葉を受け、カナトは怒りで足元の感覚が薄れた。自身の身体の一部を認識出来ない程に、カナトの身体は怒りに支配されていた。
「......レイに何かしてみろ。絶対に許さない」
怒りに震えるカナトから発せられた言葉を聞き、取り巻きDQN達はギャハハ!と下品な笑いをあげ、挑発した。
「どう許さないんだよ。てめぇーに何が出来るんだ?」
「やってみろや餓鬼!!」
「でけー口叩いてんじゃねーぞ!」
「おれらに勝てるわけねーだろ!!!」
「カッコつけてんじゃねーぞ!!」
取り巻き達に捲し立てられ、さらに感情的になっているカナトを冷静に見つめていた亞殺悪が動いた。亞殺悪からしてみれば、今のカナトは蜘蛛の巣に絡まった羽虫のように感じられた。
「カナちゃん。そんなにレイを守りたいんだったら契約だな」
「...何を契約するんだよ」
「いいから承認しろよ。レイをどうにかするぞ?」
「...」
契約
PC亞殺悪をリーダーとする6名PT対PCカナトで“決闘”を行い、勝敗により以下の事項内容を得る。
亞殺悪PT勝利→PCカナトをPTメンバーに迎え入れ、カナトの装備品及びドロップ品の取得権利を得る。(最大30日)
カナト勝利→対戦相手である亞殺悪以下5名からのカナト・レイに対する一切の接触を禁止する。
無表情の仮面の下で、亞殺悪は笑っていた。感情的になっているカナトは、レイを守る為に迷わず契約を成立させるだろう。カナトを暴力で屈服させる機会を、システムに弾かれる事無く得る事が出来るのだ。パシリ期間の30日も新人にとっては大きい。散々こき使ってやるつもりだ。
「カナちゃーん。早く契約成立しろよ」
「...この内容で契約するよ」
掛かった。亞殺悪の策にカナトは溺れたのだ。亞殺悪はニヤリと笑った。
“感情的になったバカが、無茶な契約に引っかかった”
亞殺悪も、取り巻きDQNにもそのようにしか見えていなかった。
しかし、カナトは冷静さを取り戻していた。契約内容を受け、レイの安全を確保出来る事が分かったからだ。レイの...親友の“夢”をこんな下らない事で邪魔しなくて済むという保証を、この契約がしてくれたからだ。
そう。勝てばいいのだ。
取り巻きDQN達は次々に武器を装備した。どの取り巻きも初期装備の木剣では無く、鉄製の片手剣か短剣を装備している。
亞殺悪がインベントリを操作し、武器を取り出した。人の頭程もある鉄球が先端についており、持つ部分が木製の槌のような物を装備した。
「アッキーの武器やっぱ凄いっすね!」
「良い武器買う為にカツアゲした甲斐がありますね!」
「アッキーSTR全振りっすもんね!マジかっけーす!」
「おいクソ餓鬼!アッキーがてめーのどたまカチ割るからな!」
取り巻き達は緊張感の無いだらけたニヤけ面で亞殺悪の武器を褒めていた。にやけるのも分かる。勝つのが約束された決闘なのである。普通に考えれば。
「カナちゃーん。デスペナ食らってパシリになる心の準備は出来たか?」
槌を右肩に担ぎ上げながら亞殺悪がニヤけながら言った。
カナトはインベントリを操作した。カナトの右手に、月喰いが握られた。のどかな新人用狩場にあるべきではない、月を喰らう程の漆黒の刃が、静かに鳴った。




