カイラク
この広いworldでどうしてこいつと出逢ってしまったのだろう。よくよく見れば、当時の面影が残っている。
目の前にいる大柄DQNは、幼稚園の頃の悪敵、ジャイアントアキオであった。
「カナちゃーん。やっと気付いたみてーだな」
亞殺悪はニヤニヤと笑っている。周りのDQNも、笑いながら半円になり、カナトを包囲しようと歩み寄ってきた。
「...だから何か用があるなら言いなよ」
「とりあえず“お友達”になろうぜー?」
『亞殺悪からフレンド申請が来ました。承認しますか?』
再び、カナトの前にメッセージウィンドウが開いた。亞殺悪も、取り巻きDQNも、この状況でカナトが“NO”を押すわけが無いと確信していた。
相手を萎縮させる容姿にNOと言わせない数の暴力。それが亞殺悪軍団のやり方であった。
アキオは他児に比べてデカかった。幼稚園の頃も、小学校の頃も。小学校までは、その恵まれた身体の意味を知らなかった。足が早くないのでリレーの選手にはなれない。鉄棒もあまり得意ではない。球技も好きではなかった。アキオのクラスメイトも、アキオの事を『体が大きな意地悪な子』としか認識していなかった。
中学に進学すると、小学校の時とはクラスの雰囲気が違う事に驚いた。少しずつだが、人間のランク付けが行われている事に気付いた。容姿が良い人間は自然とランクが高くなる。男子ならばサッカー部やバスケット部、女子ならばダンス部や軟式テニス部などに所属している、所謂“いまどき”な人間もランクが高かった。一方で漫画研究会や鉄道研究部等の所謂“オタク”と言われるコミュニティに属する者のランクは自ずと低くなった。
アキオは...どちらにもなれなかった。ランクが高くも、低くもなかった。運動は得意ではないので運動部に入る事なんて考えられなかった。かといって文化部に入ってオタクっぽい事に没頭する自分も想像が出来なかった。
アキオのように、部活に所属しない者も僅かだがいた。しかし、そうした者は同じ小学校だった気心知れた友人がいる為、“サッカー部の〇〇の友達の誰々”“ダンス部の△の友達の誰々”というような、自身の存在を証明する術を持っている者ばかりであった。
アキオの場合、同じ小学校だった者達が『体の大きな意地悪な子』とアキオの事を学年中に伝え広めていた為、そうした術を得る事も出来なかった。
アキオはいつも1人だった。
中学に入学して初めての夏休みが終わると、クラスの中でのカーストが磐石な物になっていた。夏休み中に、お互いの友情を確かめ合ったであろう者同士で、自身の地位を支え合っているからだ。
波風の無い海原では船は進まない。
クラスメイト皆、この無風の海に、誰かが風を運ぶのを待っていた。
動いたのは帰宅部の数人だった。部活に入らず、学校が終わると駅前をプラプラしている、そんな連中だった。帰宅部が選んだ風、それはアキオだった。
初めは小さな事だった。授業中、退屈そうにアキオが窓の外を見ていると、後ろの女子がクスクスと笑っていた。気になってアキオが振り返ると、女子は机の上にあった小さな紙を慌てて窓の外に放り投げ、俯いた。休み時間にアキオが紙を拾いに行くと、知性の感じられない汚い字で〔おバカなアキオ君は雲を数えて現実とうひちゅう!〕と書いてあった。
アキオは怒った。しかし、その矛先を何処に向けていいのかが分からなかった。誰がこの紙を書いたのか。
その手紙からは早かった。授業中にアキオの髪の毛に消しカスが飛んでくるようになった。アキオはすぐに後ろを振り返るが、皆知らん顔をしている。アキオが前に向き直ると、一斉に堪えていた笑いを絞り出すように吐いていた。
休み時間になると、数人の帰宅部がアキオの周りを囲むようになった。アキオが席に座っているのに、アキオの机を椅子代わりにしてわざと尻をアキオの目の前に来るように座っていた。これまでの陰湿な嫌がらせを受け、アキオの牙は折られかけていた。あの手紙を見つけた時が懐かしい。あの時はあんなに怒りが湧いたのに、今は自分よりも身体が小さい見るからに雑魚の尻を目の前にしてただ座るしか出来なかった。
「うわー産まれそう〜産まれるわ〜」
机に座っていた帰宅部の1人が突然尻をアキオの眼前まで持ち上げた。
「う、産まれる〜♡」
ブブゥーッ!という音と共に、腐らせた卵のような臭いの屁がアキオの顔に吹きかけられた。
「産まれた〜♡」
「バカお前臭すぎだろ」
「何食ったらそんな臭いになるんだよ」
帰宅部の3人は、ぎゃははははと下品な高笑いをした。周りのクラスメイトも、それに合わせて嬉しそうに笑っている。異常だ。
アキオの中で何かが音を立てて崩れ......無い。むしろ、その何かは急速に熱を帯び、アキオの体を支配していった。
“怒り”
「おい」
「あ?アキオちゃーん。お前は黙って座ってぐべぁお!?」
アキオの右手が屁の主の首を捉えた。そのまま、アキオはゆっくりと立ち上がり、右手を天井に向かって掲げた。屁の主は首吊り状態となり、顔色が段々と紫色に変色していた。周りのクラスメイトも、「降ろせよ!」「キャーやめてー!死んじゃうー!!」などと好き勝手に騒ぐだけで、屁の主を助けようとする者はいなかった。
「て、てめぇーアキオ!タクミを降ろせ馬鹿野ろぅゔぁふぁ!」
帰宅部2の言葉を最後まで聞かず、右手で持った屁の主、タクミを顔面に叩きつけた。屁の主と帰宅部2の顔と顔が勢いよくぶつかり合い、頭をコンクリートに打ち付けたような鈍い“ドゥン”という音の後に、鼻が潰れる“クシャ”という音が鳴った。歯と唇、唇と歯がぶつかり合い“ピシャ”という音が鳴った後、歯が教室の床に落ちる乾いた音がした。
「う、うわぁあああ!」(やっべーすげー!)
「キャー!先生呼んでー!!」(とりあえずこう言っとけば好感度アップ♪)
「アキオ!もうその辺にしとけよ!」(いいぞーもっとやれー!)
「誰か!先生呼んでよ!やばいよ!血やばいよ!」(私は続きが気になるんだから誰か行けよ使えねーなー!)
研ぎ澄まされた感覚からだろうか。アキオはクラスメイトの心の声が聞こえた気がした。
今まで、アキオの事をクラスの最底辺としてきた連中が、今はアキオの一挙一動に注目していた。クラスメイトの心の声援を受け、アキオは帰宅部3に向き直った。
帰宅部3は、ひゅー...ひゅー...とかろうじて息をする帰宅部仲間2人を見て、腰が砕けて立ち上がれずにいた。アキオが自分を見ていると気付くと「ひぃッ!!」という情けない声をあげ、その場にへたり込んだ。
「おい」
「ひぃッ!や、やめてくれ!やめてー!」
ゾクッ
「ピーピー五月蝿えよ。俺の目を見ろ」
「ひゃァッ!あぁああ!」
ゾクッ
「俺の、目を見ろ」
「はィっ!!見マぁあぁす!」
アキオは帰宅部3の目を見つめた。恐怖に慄く表情の中にあって、瞳は絶対的な強者を映し出していた。
アキオだ。アキオは帰宅部3の瞳に映る自分自身を見た。1人の生き死にさえ選択出来るほどの絶対的な強者を。
「......」
アキオは無言で右手を振りあげた。
「ひィいいい!!」
帰宅部3は情けない声をあげながら両手で頭を必死に守った。余程の恐怖からか、下半身が小刻みに震えている。
ゾクッ
先程からアキオが感じているのは怒りではない。
“楽しい”
自分の持つ絶対的な暴力で、自分を苦しめていた存在がこうも弱々しく、産まれたての子鹿のように震えている。自分の恵まれた体格はこの為に神から与えられたに違いない。自分は絶対的な強者だ。
(面白いぞーもっとやれー!)
(とどめを刺せー!)
(やーれ!やーれ!やーれ!)
突如として現れた暴風雨に、クラスメイト達も目を輝かせていた。他人を陥れるクラスの雰囲気が、少しずつクラスメイトの心の歯車を狂わせていた。
突然、教室のドアが勢いよく開き、教師が入ってきた。
「こら!お前ら何騒いでる!ってうわぁぁぁ!なんだこれは!凄い怪我じゃないかぁぁあ!宮田と土屋!職員室へ行って他の先生を呼んできてくれ!おれはとりあえず救急車呼ぶから!」
教師は持っていた携帯電話で、119番へ電話し、救急車の手配をし始めた。アキオは振り上げた行き場の無い右腕を、ゆっくりと下げた。アキオの顔には笑みが浮かんでいた。迫害を受けた日々が今日終わる、そんな事が嬉しいのでは無かった。
“これからの事”を考えるだけで、楽しくて仕方が無いのだ。
絶望の表情の中にある瞳に映る絶対的強者の自分を、これからはいつだって見られるのだから.......
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「こらクソ餓鬼。わざわざアッキーがフレンドになってくれるって言ってんだからさっさとYesを押せよ!」
「なーに黙ってんだよ?あぁ?」
「調子こいてんじゃねーぞ!!!」
元屁の主と、元帰宅部2・3は眉間に皺を寄せながら捲し立てた。他の2人も「黙ってんじゃねーぞ!!」「さっさと押せやクソ餓鬼!!」と、大声でカナトを威嚇していた。
その様子を亞殺悪は満足気に見ていた。そろそろ、表情に恐怖の色が見え始める頃だというのを知っていたからだ。
カナトは俯いて亞殺悪のフレンド申請を見つめていたが、右手をすっと上げると、人差し指でウィンドウをタッチした。
亞殺悪は満足だった。また新しい子分が出来た。こいつもきっちり“教育”して、自分の手足にしよう。亞殺悪の前に、メッセージウィンドウが開いた。
『カナトへのフレンド申請は拒否されました』
......拒否?
この体格差だぞ?この容姿だぞ?この人数だぞ?
亞殺悪は急いで顔を上げた。すると、カナトはまっすぐに亞殺悪の顔を見つめてきた。
カナトの瞳には、恐怖の色は無かった。ただ、目の前にある亞殺悪を、静かな瞳で見つめていた。




